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フェンスの外に出たかった


2025年1月17日(金)朝の6:00になりました。

手続きはめんどくさいけれど、進むと気持ちがよいものです。

どうも、高倉大希です。




フェンスの外に、出られない。

中高生のころに、嫌で仕方がなかったことのひとつです。


登校の時間が過ぎると、校門がぴたりと閉められます。

部活が終わる時間までは、外に出ることができません。


べつに、外に出て何かがしたいわけではありません。

出られないというその事実に、窮屈さを感じていたのです。


現代の教育に比類ない痕跡を残した教育学者の一人であるデューイだが、子どものころの彼にとって、学校は楽しい場所ではなかった。学校の授業や教科書は退屈で、興味を引くものでも、興奮に包まれるものでもなかった。生きた学びを感じたのは、むしろ学校の外であった。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


何よりも嫌だったのは、出ようと思えば出られるという点です。

学校を囲むフェンスなんて、大した高さではありません。


返しがついているわけでも、有刺鉄線が張られているわけでもありません。

監視されているわけでも、よじ登るだけの体力がないわけでもありません。


出ようと思えば出られるのに、出ない自分がそこにいました。

そんな自分もまるっと含めて、嫌で仕方がなかったのです。


いろいろ文句を言うことによって、人間はうまく安定を保っていることが多いのではないだろうか。私も忙しくて本が読めないなどと言っているが、もし暇になっても、決して今より多く本を読むことなどないのではなかろうか。

河合隼雄(1998)「こころの処方箋」新潮社


そんな中で、軽々とフェンスを飛び越えて外に出ていく奴がいました。

フェンスの向こうに遠ざかる、彼の背中を覚えています。


フェンスの外に、出たい。

出ようと思えば、出られる。


極めて、シンプルな話です。

きっとアイツは、そのシンプルさがわかっていたのだろうなと思います。


シンプルを実現するのはシンプルじゃない。スティーブ・ジョブズは「思考を整理し、シンプルにするには努力がいる」と述べている。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 上」ダイヤモンド社


大学に進学したときは、それはもう感動しました。

自分の意志でフェンスの外に、出ることができたからです。


短い休み時間でも、フェンスの外に出られます。

陽が傾くのを待たずして、フェンスの外に出られます。


いまの仕事も、自分の意志でフェンスの外に出られます。

フェンスの外に、出られないのはもうこりごりです。






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高倉大希
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