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フェンスの外に出たかった
2025年1月17日(金)朝の6:00になりました。
手続きはめんどくさいけれど、進むと気持ちがよいものです。
どうも、高倉大希です。
フェンスの外に、出られない。
中高生のころに、嫌で仕方がなかったことのひとつです。
登校の時間が過ぎると、校門がぴたりと閉められます。
部活が終わる時間までは、外に出ることができません。
べつに、外に出て何かがしたいわけではありません。
出られないというその事実に、窮屈さを感じていたのです。
現代の教育に比類ない痕跡を残した教育学者の一人であるデューイだが、子どものころの彼にとって、学校は楽しい場所ではなかった。学校の授業や教科書は退屈で、興味を引くものでも、興奮に包まれるものでもなかった。生きた学びを感じたのは、むしろ学校の外であった。
何よりも嫌だったのは、出ようと思えば出られるという点です。
学校を囲むフェンスなんて、大した高さではありません。
返しがついているわけでも、有刺鉄線が張られているわけでもありません。
監視されているわけでも、よじ登るだけの体力がないわけでもありません。
出ようと思えば出られるのに、出ない自分がそこにいました。
そんな自分もまるっと含めて、嫌で仕方がなかったのです。
いろいろ文句を言うことによって、人間はうまく安定を保っていることが多いのではないだろうか。私も忙しくて本が読めないなどと言っているが、もし暇になっても、決して今より多く本を読むことなどないのではなかろうか。
そんな中で、軽々とフェンスを飛び越えて外に出ていく奴がいました。
フェンスの向こうに遠ざかる、彼の背中を覚えています。
フェンスの外に、出たい。
出ようと思えば、出られる。
極めて、シンプルな話です。
きっとアイツは、そのシンプルさがわかっていたのだろうなと思います。
シンプルを実現するのはシンプルじゃない。スティーブ・ジョブズは「思考を整理し、シンプルにするには努力がいる」と述べている。
大学に進学したときは、それはもう感動しました。
自分の意志でフェンスの外に、出ることができたからです。
短い休み時間でも、フェンスの外に出られます。
陽が傾くのを待たずして、フェンスの外に出られます。
いまの仕事も、自分の意志でフェンスの外に出られます。
フェンスの外に、出られないのはもうこりごりです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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