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羅針盤なんて渋滞のもと


2024年8月15日(木)朝の6:00になりました。

個人的な嵐は、誰かのバイオリズムに乗っかって思い過ごせばいい。

どうも、高倉大希です。




考えたら、必然的にそうなっていた。

気づいたら、いつの間にかそうなっていた。


これが結構、大事なのではないかと思っています。

「そうなっていた」でしか、たどり着けない境地があります。


わたしたちは、多くのものごとをコントロールできると思い込みがちです。

そのような勘違いから生まれるのは、見た目だけよく似た贋物です。


無意識や無意味なんて、お互いにわかるはずがない。上澄みだけを見て意味を求めるから、「通じるはずだ」と思ってしまっているわけです。だから私は「人間はもっと謙虚になれ」といつも言います。自分の行動は、すべて自分でコントロールできていると思っている。そんなものは驕りです。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


冗談は、ウケを狙えば狙うほどスベります。

聞き手の中に「お前の思いどおりには動かないぞ」という意識が生じるからです。


一方で、まったくウケを狙っていなかった本音が、案外ウケに繋がったりします。

聞き手が天邪鬼を発揮せずに、素直に笑うことができるからです。


ベテランの芸人さんたちには、わざとらしさがありません。

聞き手をコントロールしてやろうという、小賢しさがないのです。


何かをあらわしたいと思っている間はダメなんだ。「あらわれた」というのはいいけどさ。これは難しいですよね、難しいけどおもしろい。だからね、ぼくは、年齢的に長生きしないと損だと思う。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


モノを手放した分だけ、自己顕示欲が大きくなった。

そんな、自称ミニマリストをよく見かけます。


ミニマリストというものも、きっと「そうなっていた」でなければなりません。

自ら名乗っている時点で、「そうなっていた」からは程遠いわけです。


たくさんのよいモノに触れた結果として、ミニマリストになった人と。

ミニマリストになるぞと思ってなった人とでは、まったくわけが違うのです。


抽象の世界での「単純化」は、短絡的思考とはまったく対極のもので、対象が複雑であればあるほどよく、それをいかにシンプルにするか、まさに「具体と抽象とのギャップの大きさ」を追求することです。一方の「短絡的な思考」は、具体の世界だけで一つのサンプルを見て、「〇〇人は××だ」というような結論を簡単に出してしまうようなことを指します。

細谷巧(2014)「具体と抽象 世界がわかって見える知性の仕組み」dZERO


過程で経験する紆余曲折が、結果に深みを与えます。

はじめから結果だけを求めても、見た目だけよく似た贋物にしかなりません。


羅針盤なんて、渋滞のもと。

わかりやすさが求められる世の中で、わかりにくさに滞在することが大切です。


羅針盤はたしかに、便利です。

しかし頼りすぎると、羅針盤がないと動けなくなってしまいます。






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