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廊下を走ってはいけません?


2024年9月5日(木)朝の6:00になりました。

人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。

どうも、高倉大希です。




「廊下を走ってはいけません」

子どもに向かって、先生が注意をします。


「ぶつかったら危ないでしょう」

再発を防ぐためにも、理由をしっかりと伝えます。


学校の日常風景です。

そんなようすを傍目に見ながら、ずっと違和感を抱いていました。


「盗撮は犯罪だ、すぐにやめなさい」「親からもらった体を傷つけてはいけません」「学校には頑張っていかないとダメだよ」とか言うわけである。(中略)精神科医としては、規範的にその行動をやめさせるのではなく、盗撮に頼らないといけないその辛さを認めるところから診療が始まる。

尾久守侑(2022)「偽物論」金原出版


なぜなら、子どもたちはわかっているはずだからです。

廊下を走ってはいけないことくらい、言われなくてもわかっています。


わかった上で、走っています。

要するに、走らざるを得ない別の理由があるわけです。


それにも関わらず先生は、目に見える行動のみを指摘します。

そこに理由を添えたところで、根本的な解決にはなりません。


ともかく正しいこと、しかも、100%正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって、「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。煙草を吸っている人には、「煙草は健康を害します」と言う。何しろ、誰がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。

河合隼雄(1998)「こころの処方箋」新潮社


この人、本当のことを言っていないな。

面と向かって話してみれば、だいたいはわかります。


そんな人に対して、「嘘をつくな」と怒っても仕方がありません。

こういうときは、嘘をつくというその人自身の判断をいったんは受け入れます。


嘘そのものを、受け入れるのではありません。

嘘をつくというその判断を、いったん受け入れてみるのです。


彼が僕にしつこく干渉していた理由は、同じ直樹という名前だったからだと、事後処理をする大人達の会話で知った。先生が僕のことを、「直樹」と呼ぶのを聞いて、自分の名前を奪われると不安になったのかも知れない。その後、彼に怯えることはなくなった。僕を嫌う理由が分かったからだ。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


その人を、そうさせる何かがあったはずだ。

と、考えるようにしています。


「廊下を走ってはいけません」

「嘘をついてはいけません」


本当にそう思うなら、直接的な注意が悪手だと気づかなければなりません。

正しすぎる意見は時に、ものごとを複雑にしてしまいます。






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