
書いていなければ会うこともなかっただろう
2024年8月21日(水)朝の6:00になりました。
きみの癖を知りたいが、ひかれそうで悩むのだ。
どうも、高倉大希です。
書いていなければ、会うこともなかっただろう。
ときどき、そんな人との出会いがあります。
ここに住んでいなければ、会うこともなかっただろう。
この仕事をしていなければ、会うこともなかっただろう。
「何でもそういうもんでしょ」と言ってしまえば、それまでなのかもしれません。
ただやっぱり、文章を介した出会いはちょっとだけ特別です。
さて、インターネットのディスプレイ画面を見つめている人は、根本的なところで孤独です。乱暴な言い方だということは承知していますが、こんな姿が孤独でないわけはありません。
毎朝6:00に、虚空に向かって文章を投稿しています。
なかなかに、孤独です。
どうやら、人がいるらしい。
リアクションをいただくことで、ギリギリその事実を把握します。
それでもやっぱり、確証はもてません。
この人たちは本当に、この世に実在しているのだろうか。
さっきは、頭の中に引きこもっちゃだめだって言ったけど、同じように、なんの変テツもない仲間内に引きこもっちゃ、だめだ。変なものに、変なひとに、出会う。そのときこそ、それを「変だ」と感じる自分自身とはじめて出会える。そこに、考えるという場が開かれる。
そんな人が、目の前に現れるわけです。
そりゃあ、うれしいに決まっています。
書いていなければ、ほぼ間違いなく会っていません。
その人のことなど知らないままに、生涯を終えていたはずです。
虚空に投げた文章が、そんな人のところへと連れて行ってくれるわけです。
もはや、そのために書いているんじゃないかとすら思います。
愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。
おそらくこの出会い方じゃなかったら、仲良くなってはいないだろう。
これもまた、おもしろいポイントです。
同じクラスの同級生だったとしても、仲良くなってはいないだろうと思うのです。
そういう意味でもやはり、文章を介した出会いはちょっとだけ特別です。
これからも、毎朝6:00にここにいます。
「またいつか」という言葉は、あまり信用していません。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
いいなと思ったら応援しよう!
