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それは相手が決めること


2024年9月27日(金)朝の6:00になりました。

相手が希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。

どうも、高倉大希です。




自分とは、何なのか。

生きる意味とは、何なのか。


わたしたちはこのような問題に、平気で正面から立ち向かおうとしがちです。

哲学を学んだこともない人間が立ち向かうには、あまりにも難しすぎます。


数学を学んだこともないのに、積分の問題を解こうとしているようなものです。

すでに立ち向かってきた人がいるのだから、まずは学ぶが賢明です。


自分について考えるなんて、哲学の勉強もしてないのに、簡単にできるはずがありません。否定すべきは《己》ではなく、己が選んだ《方法》のみである。

坂口恭平(2024)「生きのびるための事務」マガジンハウス


忙しそうだから、声をかけるのはやめておいた方がいいかな。

気持ちはわかりますが、それを決めるのは相手であって自分ではありません。


返信が遅いけれど、何かまずいことを言ったかな。

気持ちはわかりますが、それを決めるのは相手であって自分ではありません。


どれだけ考えたところで、コントロールの範疇を超えています。

自分にできることは、敬意をもって相手の判断を受け入れることくらいです。


だいたいの悩みは昔は青年期だったのが、中年くらいの時期までもち越されるんじゃないでしょうか。(中略)ところが、非常に感受性の鋭敏な人は青年期に、イデオロギーのようなオモチャがないまま深い悩みに落ち込んでいく。だから気の毒なんです。

河合隼雄、柳田邦男(2013)「心の深みへ」新潮社


自分の思い通りにいかないという理由で、不安を膨らませてしまったり。

自分の思い通りにいかないという理由で、ぷんすかと怒りはじめてしまったり。


相手が決めることまでを、自分がどうにかしようとしてしまっているわけです。

そんなもの、思い通りにいくわけねえじゃんという話でしかありません。


自分で悩みを生み出して、自分で頭を抱えています。

相手からしてみれば、たまったもんじゃありません。


いいですか、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。

古賀史健(2013)「嫌われる勇気」ダイヤモンド社


何かを考えるということは、考えないことを明確にするということです。

考えなくてもよいことを考えているうちは、考えたいことを考えられません。


ひとりの人間が考えられることなんて、せいぜい限られています。

振り返ってみれば、過去に考えてきた人たちの記録もたんまりと残っています。


これほどまでに、考えることに適した時代はありません。

考えないことを明確にすることが、考えることの出発点です。






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