見出し画像

自己開示が苦手な人ほど書けばいい


2023年7月21日(日)朝の6:00になりました。

私たちが言語を用いるとき、それは存在そのものの開示である。

どうも、高倉大希です。




毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど568日目になりました。

我ながら、よく書いてんなと思います。


毎日書いていると、気がつくことがたくさんあります。

そのひとつが、書けば書くほど露呈するということです。


思考の癖も、表現の癖も、語彙力のなさも、頭の悪さも。

毎日読んでくださっている人には、きっとすべてがバレています。


『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


バレると言うと、少し聞こえが悪いのかもしれません。

言い方を変えるなら、自己開示ができるということです。


毎日書いていれば、自然と開示されていきます。

どれだけ隠したとしても、どれだけ装ったとしてもです。


これがひとつの記事だけだったとしたら、なかなかそうもいきません。

それなりの技術があれば、容易に装い切れてしまうからです。


ぼくたちは読書感想文で、嘘をつく。作文のなかで、嘘をつく。それはもう、避けられないことだ。なぜ避けられないのか。学校の先生や友だちが読むからだ。それが評価の対象になっていて、評価を気にして書くからだ。

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


それが毎日ともなれば、隠し通すことなんて不可能です。

書けば書くほど、あらゆるものが露呈します。


だからこそ、自己開示が苦手な人ほど書けばいいのになと思います。

気まぐれに書くのではなく、毎日書けばいいのになと思います。


「大した文章が書けないから」とあなたは言いますが、それでいいのです。

「大した文章が書けないあなた」を、見てもらえばいいのです。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


見栄を張ったところで、仕方がありません。

もちろん、書かずして自己開示ができるのならそれでいいと思います。


おもしろい文章を書こうとか、タメになる文章を書こうとか。

そんなことを、考える必要はありません。


自分が世界を、どのように観ているのか。

それだけを、ただひたすらに書き続ければいいのです。






いいなと思ったら応援しよう!

高倉大希
サポートしたあなたには幸せが訪れます。

この記事が参加している募集