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自己開示が苦手な人ほど書けばいい
2023年7月21日(日)朝の6:00になりました。
私たちが言語を用いるとき、それは存在そのものの開示である。
どうも、高倉大希です。
毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど568日目になりました。
我ながら、よく書いてんなと思います。
毎日書いていると、気がつくことがたくさんあります。
そのひとつが、書けば書くほど露呈するということです。
思考の癖も、表現の癖も、語彙力のなさも、頭の悪さも。
毎日読んでくださっている人には、きっとすべてがバレています。
『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。
バレると言うと、少し聞こえが悪いのかもしれません。
言い方を変えるなら、自己開示ができるということです。
毎日書いていれば、自然と開示されていきます。
どれだけ隠したとしても、どれだけ装ったとしてもです。
これがひとつの記事だけだったとしたら、なかなかそうもいきません。
それなりの技術があれば、容易に装い切れてしまうからです。
ぼくたちは読書感想文で、嘘をつく。作文のなかで、嘘をつく。それはもう、避けられないことだ。なぜ避けられないのか。学校の先生や友だちが読むからだ。それが評価の対象になっていて、評価を気にして書くからだ。
それが毎日ともなれば、隠し通すことなんて不可能です。
書けば書くほど、あらゆるものが露呈します。
だからこそ、自己開示が苦手な人ほど書けばいいのになと思います。
気まぐれに書くのではなく、毎日書けばいいのになと思います。
「大した文章が書けないから」とあなたは言いますが、それでいいのです。
「大した文章が書けないあなた」を、見てもらえばいいのです。
生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。
見栄を張ったところで、仕方がありません。
もちろん、書かずして自己開示ができるのならそれでいいと思います。
おもしろい文章を書こうとか、タメになる文章を書こうとか。
そんなことを、考える必要はありません。
自分が世界を、どのように観ているのか。
それだけを、ただひたすらに書き続ければいいのです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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