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柿の種

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毎朝6:00に更新します。
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#文章

自分の文章を自分は読みたいと思うのか

2025年2月8日(土)朝の6:00になりました。 今日も今日とて、人に会いに行きます。 どうも、高倉大希です。 校長先生の話を、つまらないなと思いながら聞いている。 そんな、小学生でした。 校長先生自身は、その話を本当におもしろいと思っているのだろうか。 校長先生が子どもだったころは、自分と同じように思っていなかったのだろうか。 これらは決して、嫌味ではありません。 純粋に、そう思っていたのです。 わりと多くの人たちが、自分と同じようにつまらないと思って聞

読んでいる人の頭の中と会話する

2024年11月28日(木)朝の6:00になりました。 明々後日から、毎日ランニングを開始します。 どうも、高倉大希です。 読んでいて気になったことが、ちょうど次のページに書いてある。 熟練した書き手ほど、読み手が抱く疑問を見事に回収してきます。 なんならむしろ、その疑問を抱くように仕組まれているまであります。 読み手に特定の疑問を抱かせて、その疑問を自ら回収するわけです。 言い換えるなら、読み手の頭の中とつねに会話しています。 よい書き手は、決まってよい読み

引き算が上手な人になりたいぜ

2024年11月25日(月)朝の6:00になりました。 当たり前に心から笑えて、当たり前に日々を駆け抜けて。 どうも、高倉大希です。 複雑なものを、複雑なままに書くことは簡単です。 結論までの途中経過を、保険として残しておくことができるからです。 誰かに何かをツッコまれても、「ここに書いています」と言うことができます。 「ちゃんとそこも通っているよ」と、アピールすることができるわけです。 こうして、要点がよくわからない難解な文章が完成します。 頭が悪いと思われ

ほとんどの文章は自分のために書かれたわけじゃない

2024年10月24日(木)朝の6:00になりました。 はやく、シャワーからお湯が出ますように。 どうも、高倉大希です。 文章を読んでいて、難しいなと思うことがよくあります。 用いられている語彙に馴染みがなかったり、論理がやや複雑だったり。 「頭のいい人は、難しい内容も易しい言葉で表現してくれるはずだ」 「だから、書き手が悪いんだ」 そう言いたくなる気持ちも、わからなくはありません。 わからなくはありませんが、どうにも前提が間違っているような気がします。 そ

言いづらいことを本音と呼んでいるだけ

2024年10月20日(日)朝の6:00になりました。 これまでにあなたがついた嘘なんて、どうでもいいよというような海。 どうも、高倉大希です。 言えないことは、書く。 SNSの発達により、書くことに対するこのようなイメージが強くなりました。 サブ垢だとか、裏垢だとか。 いわゆる本垢では書けないようなことが、その人の本音として扱われます。 書いていることが本当で、言っていることは嘘。 このような二元論を耳にするたびに、いつも極端だよなと思います。 対話は、相

文章と年齢

2024年10月13日(日)朝の6:00になりました。 5連休3日目、会いたい人に会いに行く旅スタートです。 どうも、高倉大希です。 この文章は、若すぎる。 そう思って、書きかけていた文章を消すことがよくあります。 妙な熱が、残っていたり。 真面目すぎて、つまらなかったり。 あまりにも尻が青くて、嫌になってしまいます。 そんなときは遠慮なく、全選択して消去します。 歳相応の文章というものが、あるような気がするのです。 ここで言う歳とは、必ずしも実年齢を指す

照れて言えないものだから

2024年9月24日(火)朝の6:00になりました。 いいことを照れもせずに言うやつは、みんな疑ったほうがいいぞ。 どうも、高倉大希です。 照れくさくて、言えない。 そんな言葉が、生活の中にはたくさんあります。 そんな照れくささが、まわりくどさを生み出します。 そんな照れくささが、新たな表現を生み出します。 「月が綺麗ですね」の裏側には、きっと照れくささがあったはずです。 「どうしてあなたはロミオなの」の裏側にも、きっと照れくささがあったはずです。 わたしの

真面目も休み休み言え

2024年9月10日(火)朝の6:00になりました。 にやにやと笑っているからといって、不真面目と決めてしまうのは間違いだ。 どうも、高倉大希です。 うっかりすると文章は、真面目になってしまいます。 堅苦しくて、暑苦しくて、押し付けがましくなっていきます。 だからと言って、遊びが過ぎるとそれはそれで見てられません。 読んでいるこちら側が、恥ずかしくなってしまいます。 真面目すぎてもダメ、遊びすぎてもダメ。 真面目さと遊び心のバランスが、書き手には求められます。

〆切のおかげで前に進める

2024年9月9日(月)朝の6:00になりました。 恥の多い生涯を送って来ました。 どうも、高倉大希です。 毎朝6:00という〆切の中で、日々文章を書いています。 この〆切を自分に課していなければ、おそらく三日坊主でやめています。 本当にこんな文章を公開してもよいのだろうかと、不安ばかりが大きくなって。 黒歴史になるかもしれないと、公開してはまた消して。 いつまで経っても、記事の数が増えることはなかっただろうと思います。 〆切のおかげで、「えいやっ」と投稿ボタ

みんな書きなよ

2024年8月24日(土)朝の6:00になりました。 書くという仕事は毎日、10円玉を貯金箱に積み立てていくようなこと。 どうも、高倉大希です。 この文章を、読んでいる。 当たり前のようでいて、なかなかにすごいことだなと思います。 文章なんて、この世にはごまんと溢れていて。 note を書いている人も、わけがわからないくらいいます。 そんな中で、たまたまこの文章を読んでいます。 とんでもない、巡り合わせです。 自分で書く文章の、ひとり目の読み手は自分です。

書いていなければ会うこともなかっただろう

2024年8月21日(水)朝の6:00になりました。 きみの癖を知りたいが、ひかれそうで悩むのだ。 どうも、高倉大希です。 書いていなければ、会うこともなかっただろう。 ときどき、そんな人との出会いがあります。 ここに住んでいなければ、会うこともなかっただろう。 この仕事をしていなければ、会うこともなかっただろう。 「何でもそういうもんでしょ」と言ってしまえば、それまでなのかもしれません。 ただやっぱり、文章を介した出会いはちょっとだけ特別です。 毎朝6:0

文章は自動的に複雑になる

2024年8月3日(月)朝の6:00になりました。 複雑に見えるものごとも、その動機においてはきわめて単純なのです。 どうも、高倉大希です。 よし、書くぞ。 そう意気込んで書いた文章は、自動的に複雑になってしまいます。 べつに複雑なことを書こうだなんて、思っていなかったとしてもです。 難しい言葉をつかっているとか、そういう話ではありません。 平易な言葉を使っていても、自動的に複雑になってしまいます。 シンプルな文章は、努力の上に成り立ちます。 よし、書くぞ。

普通の人が書いた普通の文章

2024年7月25日(木)朝の6:00になりました。 大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。 どうも、高倉大希です。 人の note を、けっこう読みます。 あなたの note も、あなたの note も、じつはけっこう読んでいます。 note には、普通の人が書いた普通の文章が、日々投稿されています。 普通の人の頭の中を、すこしだけ覗き見ることができるわけです。 おそらく note がなければ、その人の思考と交わることなどなかったはずです。 そ

自己開示が苦手な人ほど書けばいい

2023年7月21日(日)朝の6:00になりました。 私たちが言語を用いるとき、それは存在そのものの開示である。 どうも、高倉大希です。 毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど568日目になりました。 我ながら、よく書いてんなと思います。 毎日書いていると、気がつくことがたくさんあります。 そのひとつが、書けば書くほど露呈するということです。 思考の癖も、表現の癖も、語彙力のなさも、頭の悪さも。 毎日読んでくださっている人には、きっとすべてがバレています。 バレ