![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158517739/rectangle_large_type_2_7edd321391cff041dd39b82ed6fa5b51.jpeg?width=1200)
「死」という選択肢を奪わないで
当たり前だけど、「死にたい」と言うと、大抵の場合、否定される。「死ぬな」とか、「死なないで」と。
私はずっと「死ぬな」と言うなら、「生きたい」と思わせてよ、と思っていた。
「死」という選択肢を奪われるのも嫌だった。
私の希死念慮を否定しないでほしい。「死」という選択肢があるからこそ、何とか踏ん張って生きているから。最悪の場合、死ねるという安心材料があるから、辛くても苦しくても、頑張ってきたところがある。
でも最近、他人によって「生きたい」と思えるようになることなんてないのかもしれないな、と気づいた。ただ、私は人のせいにして生きてただけなのかな、とふと思った。
いつだったか、言われたことがある。「翠を救えるのは翠しかいない」と。
周りの人間はその手助けしかできない、と。
私は心底自分が憎い。
自分のことすら正確に把握できず、過去の記憶すら曖昧で、トラウマだけが残っていて、ただ毎日薬を飲んで寝るだけで、こんな生活で、こんな私が、私のことを救えるはずがなかった。あんなにも周りに助けを求めていたのに、誰よりも救う気がなかったのは私だった。
そんな自分に殺意が湧く。
私はただ救われたい、報われたい、幸せになりたい、そのためにこんな辛い毎日を、代わり映えのない毎日を、必死に歩き続けている。
私は、私を救うために何をすればいい?
今思えば私自身は私を救うために何もしてこなかった、全部他人任せだった、自分のことなのに。そういう人間が、1番人として弱いのだろうな。
たまに思うんだ、自殺ではなく、殺してやりたいと。私が、私とは別の人間として、私の命に触れられたらどれだけよかっただろうか、と。
「救えないなら殺せ」
これは私自身へのメッセージであり、それと同時に私の覚悟でもある。中途半端な救済は要らないという私へのメッセージと、殺す気で救えという戒め。
しあわせな気持ちのまま、満たされた気持ちのまま、眠れる夜が来るように。
陽の光を心地良いと感じる日が来るように。
いつか、同じように苦しむ人の絶対的な味方になれるように。
いつだって、しあわせになる準備はできてる。
しあわせになってね、なろうね。
最後に……。
私は現在高校3年生で、春から大学生になります。進学先として東京の通信制大学を志望していますが、年に2-4回、スクーリングで東京に行く必要があります。
親からは「学費は出すが交通費は自分で稼げ」と言われています。
関西に住んでいるので、往復の新幹線代を稼ぐため、バイトをすることも考えましたが、働ける状態ではないので、noteで有料記事を書くことにしました。
地元の関西では、私の興味のある分野を学べる大学が少なく、夢を諦めたくないので、応援してくださる方は、フォローして待ってていただけると有難いです。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
いいね、フォロー、励みになるので是非お願いします🙇🏻♀️ ̖́-
読んでくださった貴方の明日に、しあわせが訪れますように。
いいなと思ったら応援しよう!
![翠](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105910242/profile_282dbb4d3980352c26209b89431dbfba.png?width=600&crop=1:1,smart)