心の中では色々不穏なことを考えてしまっている自分がいる
心の中では色々不穏なことを考えてしまっている自分がいる。
記事では綺麗なこと言ったって、私の心の中なんて、所詮そんなものだ。
人には言えない、もやもやした感情をあれこれ抱えながら、日々暮らしているのである。
大なり小なり、皆その傾向があるのかもしれないが、私の場合はちょっと神経症レベルなように感じている。
おそらくは、元来の性格と闘病中であることが少なからず影響しているのであろうが、時々こんな自分を持て余してしまう時がある。
死にたいとか、消えてなくなりたいとか、誰かを恨んでしょうがないとか、そういう切羽詰まったレベルの悩みではない。
正直、そういう時期もあったが、コロナ闘病後辺りから、私の心はそこまですさんではいない。
なのに、相変わらず、微妙にスッキリしないままなのだ。
生きるってことは、もしかするとこういうスッキリしない気持ちを抱えながら、少しでも楽しく生きるってことなのだろうかね。
スッキリしない気持ちを抱えていること全てに、いちいち違和感を感じていては、疲れるだけなのかもしれない。
私はメンタルが弱く、気になることがあると、気になることに対して、気付くとそこに頭(思考)が行きがちである。
切り替えが異常に下手なのだ。
で、思った。
これからしばらく、特に楽しく過ごすことを念頭に置きたいと。
できる範囲で、ゴキゲンに暮らす選択をしたいと。
内容は、些細なことからちょっと贅沢なことまで様々だ。
候補の行動を考えていたら、少しだけ楽しくなってきた。
暗いことばかり書いているが、今の私にとって一番の幸せは、老犬の柴犬2匹と戯れる時間なのだ。
とうとう寿命が来たかと心配していたワンコの体は、半年かけて8割方、回復してきたように見える。
ご飯も食べられるようになり、走り回れるようになり、目の病気で閉じてばかりいた目もだいぶ開けられるようになってきた。
この子達を抱きしめている瞬間だけは、何もかもを忘れさせてくれるような気がしている。
何が幸せか?何が不幸か?そんなことを考えるよりも、幸せだと思い込んでしまったもの勝ちとも言えるかもしれないね。
不幸の数を数えるよりも、幸せの数を数える方が楽しいに決まっているのだから。
でも、愚痴を言わない、考えない、これは無理がある。
それは適当に、小出ししていくことも、自分のゴキゲンの為には必要なことだし、人間らしいとも言えるのかなと感じる。
いやこれ、どっちもマイペースすぎだって・・・🤣🤣🤣