名言で勝手にエッセイ 【16】
本日の名言
今回は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉から借りてみます。
彼はドイツ人なので、原文はドイツ語と思われます。
が、例によって例のごとく、自分が訳出の理由付けをしながら試訳できるものは英語なので、英文と両論併記で参ります。ご容赦ください。
原文
まず、ドイツ語のほうから。
次に、英語バージョン。
試訳
何を笑うかが、その人物の人品を最も露わにする。
※ 小ネタとしての文法
形としては文頭にnothing なんだけど、要するに、距離の離れた no … more than ですよねという文型。
文末の方から遡るのは、話すためには絶対やってはいけない(苦笑)禁じ手になってしまいましたが、日本人にはわかりやすい読解の一法だと思います。
後ろから訳して行くと、
彼が笑うもの以上に、彼のキャラクターを示すものは何もない。
おお、この話法、漫画っぽくて今風の若者にも通じるかも。
なんつって…おっさんだな…。
実例
例えば…。
皆が免疫のあるパターンでいうと、学生で言えば、クラスルームであんまり反りが合わないな…と思っていたクラスメイトが、自分が好きなアーティストだとか映画をこき下ろして笑っていた(嗤っていた)ということなら、単に予想のつく価値観の相違だということで、ムカつくとしても予兆があって、免疫もあろうかと思うのですよ。
でもメンタルにこたえるパターンでいうと、信用できる先輩だとか、メンター、あるいは親友だと思っていた人間が、上記のアホと同じことをしたというとき、価値観の合致を前提にしていたので、闇討ちでサンドバッグにされたようなショックが襲ってくるってことはありえますよね(誇張かな?)。
自分は眼前の人物の何を見ていたんだろう?みたいな。
場所を職場に置き換えても良いですし、女性に置き換えても良い喩えだと思うのです。
もちろん、健全な笑いは良いんですけどね。嗤いがね。
え?そんなパターンないですか?感受性おかしくてすいません…。
もう少し深刻だと、人生の指針にしているものとかについても言えそうですよね。
そうなると刃傷沙汰とかにもなりそうなので、具体例は書きませんが…。
それでも、少し広い射程で一つ敢えて書くとしたら。
今の日本は「言の葉の国」という伝統があるのに、敗戦後は、ずっと若い国であるアメリカのキャピタリズムやらプラグマティズムに汚染されてしまい、古典的な思想や言葉を軽視して、「金にならない言葉」は笑い飛ばしたりしますよね。
ポエムか?とか言ってね…。
そこにお前の人品が見透かされてるんだぜ?精神の貧困だろ?
ってゲーテは大昔に射抜いている。
アメリカの猿真似しかしないことは、本来の知識人も殺してしまうのでは(五輪の中抜きやコロナ禍最高益との報道などで一躍有名になった、竹中〇蔵みたいなのがメインストリームに)。
僕らパンピーの、日々の価値観形成においてをや。
締めくくりに
金にならない文章ですが、嗤ってやってください。文理横断の賢人以上にあなたが賢いかは、僕の知るところではないけど。
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