名言で勝手にエッセイ 【16】
※ 2024年11月2日に、少々の加除訂正をしました。
ご一読くださると幸いです👍
本日の名言
今回は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉から借りてみます。ダ・ヴィンチとは別の意味で、多芸多才な人として有名ですよね。
彼はドイツ人なので、原文はドイツ語と思われます。
が、例によって例のごとく、自分が訳出の理由付けをしながら試訳できるものは英語なので、英文と両論併記で参ります。ご容赦ください。
原文
まず、ドイツ語のほうから。
次に、英語バージョン。
試訳
何を笑うかが、その人物の人品を最も露わにする。
※ 小ネタとしての文法
実例
例えば…。
皆が免疫のあるパターンで切り出しましょうか。
学生で言えば、クラスルームであんまり反りが合わないな…と思っていたクラスメイトが、自分が好きなアーティストだとか映画をこき下ろして笑っていた(嗤っていた)というのはどうです。
最初から身構えている相手とのことなら、単に予想のつく価値観の相違だということで、ムカつくとしても予兆があって、免疫もあろうかと思うのですよ。
ゲーテの物差しで言えば、既に相手の人品は知れているわけです。真に客観的評価かはその人物について複数人の意見を聴かないと決め得ませんが(探偵役のように😅)、少なくとも自分の価値観の体系においては。
でもメンタルにこたえるパターンでいうと、信用できる先輩だとか、メンター、あるいは親友だと思っていた人間が、上記のアホと同じことを陰でしたというとき、これはどうです?
価値観の合致を前提にしていたので、闇討ちでサンドバッグにされたようなショックが襲ってくるってことはありえますよね(誇張かな?)。
「自分は眼前の人物の何を見ていたんだろう?」みたいな。
場所を職場の同僚に置き換えても良いですし、
知人の女性に置き換えても良い喩えだと思うのです。
もちろん、健全な笑いは良いんですけどね。
嗤いがね。堪(こた)えたりしませんか。
え?そんなパターンないですか?感受性おかしくてすいません…。
もう少し深刻だと、人生の指針にしているものとかについても言えそうですよね。
価値観の深刻なズレになると、刃傷沙汰とかにもなりそうなので、具体例は書きませんが…。
それでも、国家や社会という少し広い射程で一つ敢えて書くとしたら。
今の日本は「言の葉の国」という伝統があるのに、敗戦後は、自国よりずっと若い国である、アメリカのキャピタリズムやらプラグマティズムに汚染されてしまいましたね。
古典的な思想や言葉を軽視して、「金にならない言葉」は笑い飛ばしたりしますよね。ポエムか?とか言ってね…。
そこにお前の人品が見透かされてるんだぜ?
お前らの精神の貧困だろ?
ってゲーテは大昔に射抜いている。
アメリカの猿真似しかしないことは、本来の知識人も殺してしまうのでは?
(五輪の中抜きやコロナ禍最高益との報道などで一躍有名になった、竹中〇蔵みたいなのが言論界のメインストリームにのし上がったのも、一見弁舌爽やかなのですが、アメリカ留学帰りの売国奴としてですよね)
僕らパンピーの、日々の価値観形成においてをや。
締めくくりに
このように、金にならない文章ですが、嗤ってやってください。文理横断の賢人の直言以上にあなたが賢いかは、僕の知るところではないけど。
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