季語・夏柳(なつやなぎ)で一句、そしてnoteでよかったこと
こんにちは
今朝の神戸は肌寒い〜と思ったら暑くなってきました。
衣替えしたばかりなのにまた長袖出して着たり
また脱いだりしています。
俳句幼稚園登園します🐣
白川の若かりし夢夏柳
(しらかわのわかかりしゆめなつやなぎ)
若い頃、京都の大学生とお付き合いしていた時期がありました。
彼とはデートで京都によく行きました。
等間隔でカップルが座っている京都の鴨川も有名ですが
京都の白川には美しい柳の木々が延々と続いているんです。
京都の夏は本当に蒸し暑いのですが、白川沿いの柳の並木道を歩いていると涼を感じられて・・・
若くて身も心も柳のようにしなやかで柔軟性に富んでいた彼と私
若かった頃に胸に抱いていた夢を
『もしも叶えていたら、今頃どうなっていたんだろう・・・』
とひとりごちてしまいました。
昨年の12月に俳句幼稚園に入園してもうすぐ半年になり、俳句だけでも80記事を投稿していました。
そこで振り返って考えてみると
私の詠む句は自分が見たり感じたことしか表現できないのだなとつくづく思います。
本当は解説なしで読み手の心に響く句が詠めたら素晴らしいのでしょう。
私の詠む句はスマートさやカッコ良さもなく、難しい言い回しも出来なくて
結局は感覚が優先されて思ったことや感じたことをそのまま詠んでしまうんです。
(もともと知識も豊富でないし記憶力も良くない😅)
近頃はそれが私なんだと自分に甘く、恥ずかしげもなく投句しています。
一時は自分でも俳句の成長が感じられなくて上手く詠めないことに劣等感を持ったりもしましたが、だからといって焦って背伸びしても出来ないことは出来ないからと受け入れて、これでも良いかなと思えるようになりました。
noteを始める時に思ったことは、誰かに評価されたくてするのではなくて
自分の表現したいことを書き残していきたい。
これだったんです。
初心を忘れかけていました。
今までの私なら自分で勝手に『もう無理だ』と判断してやめていたかもしれません。
けれどもここ『noteの世界』では違いました。
俳句幼稚園の先生方やお仲間の園児の方々、そして私の温かいフォロワーさんたちが反応してくださるおかげでなんとか俳句を続けられているんだと感じています。
誰かが見守ってくれている安心感
下手でも失敗しても一緒に笑ってくれる仲間がいること
独りじゃないって強くなれるんですね。
noteを始めて私は自分に優しくなれた気がします。
これまではちゃんと結果を出せないとダメだと決め付けて、すぐに方向転換したり自己判断でやめてしまったり諦めたことが多々ありました。
(なぜか娘たちに対しては気長に見守ってやれるのですが、私自身には厳しくなってしまうんです。)
そうなる理由は以前にも記事に書きましたが
私の母からの『ちゃんとしなさい』の精神が身に染みていたからかもしれません。
『ちゃんとできなくても良いんだ』
noteを始めてから私は少しずつ自分を許せるようになった気がします。
自分を許せるようになったことで長年母に対して感じてきた葛藤や違和感を以前よりは受け入れることができるようになりました。
そして表面的ではなくて心の中から優しい気持ちで母に接することができるようになりました。
俳句から長々と私の気持ちを書いてしまいましたがここまで読んでくださりありがとうございました。
こんな私ですがいつも拙句にお付き合いくださって(私の書く記事にも)本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも私のnoteを読んでくださり、温かくて思いやりのあるコメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。