【毒白】母がしんどい。私は母のサンドバッグでゴミ捨て場。
松の内が過ぎたので、今回は年末年始に溜まった毒を吐いてみる。
ネガティブ全開の記事になるが、将来の自分への戒めを込めて記録しておく。
生い立ちが複雑だったらしい母は、私の見立てでは強度のアダルトチルドレンかつHSP気質。
昔からつむじ曲がりで白と言えば黒と言う人なのだが、80歳を過ぎた今なお、私が何か言うたびその毒舌で私を全否定する。
ここ数年は、加齢による体調不良を半ば脅迫のように私に訴え、(しかし世の多くの母親は子供に心配をかけまいとするものではないだろうか?とこれを書いていてふと思った)その不調の原因は、耳がほとんど聞こえず自分に反抗的な父のストレスのせいだと言い張る。
母の気質を受け継ぐ私は、その気持ちは分かるし同情もする。
そこで娘としてできる限りの善意で対応策(サプリメントとか健康法とか意識改革とか)を探しては母に提案してみるも、母は
「あんたのその屁理屈が一番のストレスだ!」
と罵り今度は私を曲者扱いする。
とどめは、
「あんたの戯言は聞きたくない。
お姉ちゃん(私の姉)に相談するから、もうあんたに用はない。」
である。
老いても弁の立つ母は、相手に最も効果的な一撃を瞬時に放つ皮肉屋なのだ。
だが俯瞰的に考えると、父から受けるストレスは、ある意味母の自業自得だ。
母の言うことを聞かない父は、何十年も母に罵倒され続け、母に対して素直ではいられなくなった父という、母の成果物にほかならない。
母に言うと激高するので言わないが、父の難聴だって高齢のせいもあるけれど、母の毒舌を聞きたくないという拒否反応の現れではないか。
そもそも粗にフォーカスするから粗が見えるのであり、父というより母自身の問題だ。
私も過敏なタイプなのであまり人のことは言えないが、ストレスから逃れたいなら変わるべきは母のほうだろう。
しかし自分を一切省みない母は、父をどうにか変えようと飽きもせず父に圧をかけ続け、それは恐らくどちらかがくたばるまで続くだろう。
そんな父も言われっ放しという訳ではなくて。
昔から父は、母の口撃に対しては激しい暴力を奮った。(そのせいで私たちきょうだいは一生消えない心の傷を負った。)
減らず口を叩く奴は畜生と同じで痛い目に遭わせるしかないという、昭和ひと桁の価値観である。
ボコボコにされた母はますます憎悪を深めるという悪循環。
そして暴力で母の減らず口が治ることはついぞ無かった。
ともあれ、今まで事件にならなかったのは奇跡で、考えようによっては警察沙汰になる前に父の耳が遠くなってくれて、一族にとっては幸いだった。
話を元に戻します。
更に言えば、母の体調不良だって自業自得だ。
体のあちこちで機能不全が起こるのは高齢だから仕方がないとはいえ、それでもあのネガティブ思考とネガティブ発言を多少でも控える努力をしていたら、もう少し健康で暮らせたのではないか。
昔話題になった「水からの伝言」シリーズではないけれど、あれだけ毎日周囲の人を裁き毒を吐き続ければ、毒された血液は体中を巡り、臓器や細胞が悲鳴をあげるに決まっている。
人は笑うだけで免疫力が上がるというが、その真逆を行く母の免疫力が下がるのは当然の成り行きだろう。
さて長くなってしまったが、ここからが本題。
私は、母がしんどくて辛い。
母は私が実家に顔を出すたび、会わない間に溜め込んだ夫や親戚近所の悪口—そのほとんどは母が勝手に妄想を膨らませ、突拍子もない方向に結論づけた他人の思惑の妄想なのだが—を延々と語り、私を疲弊させる。
つまり私は50代半ばとなってなお、母のサンドバッグであり感情のゴミ捨て場なのだ。
母に対して万年反抗的だった私も悪い。
だがその反抗は、母が私を、他のきょうだいと愛情で差別し続けたから。
それも私を巧みに憤らせるべく、わざわざ私の目の前で。(そう言えば母は姉が私をいじめる様子を見て、姉を制止するどころか姉に加勢する人だった)
これが他人なら陰湿な嫌がらせになるであろうその差別は、今も家族が集まる盆や正月のたび、ここぞとばかりに私に向けられる。
母は自分の体に毒を充満させるだけでは飽き足らず、私の体にまで毒を注ぎ続けているのである。
そうして母の毒に侵され続けるのも辛いが、もっと辛いのは自分が母に似ていることだ。
身近な老人を見ていると、「人は成長し社会生活を送るうちに中庸に寄っていくものの、最終的には生まれつきの本質(本性)に戻っていくものだな。」と感じることが多いのだが、
母はよく
「近所のご老人は皆仏様のようになっていくのに、うちのじいちゃん(父)だけはどんどん偏屈になる。」
と嘆く。
その言葉は、まんま母にも当てはまると思う。
だから私もやがて母のようになってしまうなら。
娘トラに私と同じ思いをさせてしまうなら、長生きなどしたくないとさえ思う。
年老いて、朝から晩まで夫の一挙一動にケチをつけながら死期を待つのも嫌だ。
ただひとつ私が母と違うのは、
私は物ごころついた頃から、いつも自分にダメ出しをしては一人反省会をし、どうにかして変わりたいと思いながら生きてきたのに対し、
母は自分を変えようとは微塵も思わずに生きてきたということ。
あの気質で子供3人を育てるのは相当な生きづらさがあったはずだが、私は母が自分の性格を悩んだり反省したりするのを一度も見聞きしたことがない。
その違いを頼りに生きていけば、この先父や母を介護したり見送ったりという中で、まだ少しは変われるだろうか。
老いて本質に舞い戻ろうとする自分に、抗える自分が果たしているだろうか・・・?
この思いを抱え悶々としていた時に出会い、救われた記事がある。(そして文字に吐き出してみる勇気をいただきました。)
まさに母は、反抗期の子供が母親にするがごとく私に歯向かい、私は母の母であろうとしていたのだと気付かされた。
そんなわけで、救いの言葉に引き合わせてくれ、やり場のない思いを吐き出させてくれたnoteという居場所に感謝。
そして纏まりのない長文を、ここまで読んで下さりありがとうございました。