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〜note気になる人〜6人目
はなふさふみ様
私が住んでいるところから車で1時間ばかし西へ
井原市に永祥寺という宗門の古刹がございまして
中学校の体育館くらいの大きな本堂で
ありし日の修行僧たちの血と汗と涙を感じさてくれる
老朽化甚だしいのですが、それだけに往時を偲ぶことが出来るというもんです
さて、ここに祀られているのが『平家物語』で有名な那須与一
この地が那須一族の荘園だったとかで顕彰されてるんですね
与一といえば弓矢
扇の的
殺伐とした陣中にあって敵味方関係なくヤンヤヤンヤの大喝采
前置きが長くなると大体話が濁るのでここらへんにしておきましょう
弱ったな
どうやって与一と繋げるかさっきまで浮かんでたんだけどな
散歩中は血流がいい感じになるのかアイデアが不意に浮かんでくる
そいつを書き留めておけばよかったのに、しまったな
まあいいや
脱線はいつものこと
辻褄合わなくても私はこの方のあの話とあの話が好きなのだ
先ずはなふさふみ様について
はなふさ ふみ様なのか
はな ふさふみ様なのか
ハナ肇とクレージーキャッツが浮かんだ為である
浮かばなかったらなにも迷うことなかった
迷いに迷った挙げ句今回は
ふみ様とお呼びすることにする
はな様ではうちの娘だからなんともやり難い
いやはや自分で勝手に迷っておいて解決したつもりになっているのだから暢気な話である
暢気には違いないが、人様のお名前だけにそこはそれ
それに私はいつも声に出して読むのでどうしても気になってしまうのだ
どこで区切るかはとても大切
なるべく声に出した方が文章を実感出来る気がする
多分間違っていないと思うが変なこだわりかもしれない
みなさんはnoteに限らず文章を読む際の決め事とか癖はございますか?
さてさて、ふみ様
ふみ様の書かれるのはエッセイもエッセイ
エッセイと随筆の違いが私は分からないので
エッセイとさせていただく
いや実に潔い
清潔感があって私みたいにヨタヨタフラフラしない
高校入試問題に出てきそうな清廉潔白さと妙味がある
どんなところにそれを感じるかといえば
例えば最新作『待つこと、自然体であること』
お住まいの北海道、それも二月の北海道が先ず描写される
知らないと絶対に読めない地名も出てきて北海道らしさを感じさせる
凍ったまま河口へと流れる川
これだけで澄んだ空気が鼻を突き抜けていく
広大な情景の後に、川に架かる廃線の名残りを眺めるふみ様
往時を回想されるのだが
先ずここがいい
北海道という雄大なイメージから一気にぽつんと焦点がふみ様に絞られる
それも廃線
私なんかイメージしか出来ないのだけれども
その旧日高本線というのは開拓者たちの血と汗と涙の結晶ではなかろうか?と憶測が膨らむ
もしそうだとしたら、否が応でも時間と生活が移り変わりしたことを"廃線"の二文字だけで表すことに見事成功していると思う
実に象徴的な二文字
ところがどっこいふみ様は、もう来るはずのない列車を待つのである
待つんですよ、この方は
これがふみ様のエッセイと詩のボーダーレスなところ
ここを感じること出来るか問われているのだよ中学生諸君!
ここが創作者になれるかどうかということだよ!
虚実皮膜の妙
来ないと分かっている列車を待つ
無駄も無駄、徒労も徒労なのだが
無駄も徒労も無い
だって行為と矢印は既に目に見えないふみ様ご自身の心境へ向かっているのだから
拙句"なんにもなくていっぱい"
私がnoteを始める際、一番最初に持ってきたこの句は
ふみ様のそれに強く共鳴する
更にふみ様は書く
"待つことでしかかなえられない希望。この受け身の姿勢が、時に、心を解放してくれることがある。"
たまりませんなぁ
"時に"が効いている
こちらというよりはあちらの都合
期待しているような期待してないような、、多分後者なんだろうけど
この機微
情景が情景だけにより一層重厚感が増しますよね
沖縄だったらこうはいかない
そしてこの地方で育つ競走馬に想いを重ねる
白い息を吐きながら立て髪揺らして疾駆する本能を、ふみ様はふみ様自身にも認めるのだった
遂にふみ様はご自身の身体と心の一致を実感されるに至る
でなければ、待つことなんて出来ませんものね
そんでもってこれまでは風景や回想を通して自らを見ていたのが、一気に現実の創作活動へと向かう
noteへの投稿など読む側も逐一頷かずにはいられない実感が綴られる
比べるのは過去と今の自分のみ
矢印はあくまでも自分
これですよ
グッときますね
他人事では済まされないものがある
お前はどうなんだ??と問われている気にさせる
私はそんな文が好きだ❤️
冒頭は川でしたが最後は海と空が描かれ、また焦点がふみ様に絞られる
ぼーーっと眺めていながら
耳を澄ませている
"待つという姿勢の中に、自分の本質を見出してきたような気がする。それは決して消極的な態度ではなく、自然の流れに身をゆだねる積極的な選択なのだ。"
どうです?
試験問題にしたい気持ちがお分かりいただけるでしょ?
ここで言う"自然"とは何ですか?
うちの娘なら"北海道の海と空"と書くことでしょう
締めにも"時には"が効いてますね
繰り返す意味も過不足なく伝わってきます
こういう文こそblogのお手本だよなぁと
完成度高いわぁ〜
短い文なのに情景と心境をここまで昇華させられる
見事だ
他にも好きな文があって
それは『手放さない、という選択』
私はこのところ削ることが好きだ
いろんなものを捨てようとしている
身辺整理
そのくせ家族には捨てられようとしている
なるべく削ぎ落としたい落とされたい願望
そんな最中にこの文に出会ってしまった
揺るぎませんぞ
そう思いながらも引き込まれていく我が身を認める
ふみ様はご自身の生活の中での私事というスタンスで書いておいでだが
それがどうもそれだけでは収束出来ないようである
波及効果
功者だなぁと思う
その理由はさっきも書いた通り
他人事では済まされない
お前はどうなんだ?
あらイヤだ!
お寺生活思い出すじゃない!
だがなぁ
少なくとも私はそこを抜きにしては考えられないのですよ
この古本にまつわる話でもそう
積読問題と断捨離
私にとっても実に痛いところを突いてくる
何がって、ふみ様は一つの事柄からどんどん連鎖していく
二の矢、三の矢を放つことが出来る人
こちらが考えている間に矢継ぎ早
ほとほと参ってしまう
矢を放つ才について私は一昨日の拙句"空気読めない色即是空"にてあらかた思いを書いた
私には無い才能だと
ふみ様は芋づる式名人であり
二の矢、三の矢の達人である
しかもそのどれもが的を得ている
おかげで私は陣中にありながらもヤンヤヤンヤ
おもいっきり貫かれてるとも知らずに
お粗末ながらどうにかこうにか那須与一に持っていけたぞ
バレバレだったとしても構うもんか
だってそれこそが私じゃないか
子供じみた居直りである
しかし多かれ少なかれ人生のどこかでそのような時を迎えるものだ
私は5年前に無職無収入の無為徒食になった時こそがそれであった
娘よ
父の暇人ニート生活に至った心境を『待つこと、自然体であること』の文中にある漢字二文字で表せ!
娘なら先程の質問が今度の答えなどとはつゆ知らず"廃線"と答えるであろう
ん?
待てよ
もしやそっちの方が正解か?
おい!
それはどういう意味だ?
愚かなる父へ
それがどういう意味か
同じく『待つこと、自然体であること』の文中から、、、
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