水の中で、息ができるようになりたいのです
息を大きく吸って、肺を膨らませる。
水のなかに体を潜り込ませると、少し冷たい水が私の身体を包み込む。
ぐーんと壁を足で蹴ったなら、まっすぐ、自分の身体が水をかきわけて進む。
思ったより早く進むあの出だしの瞬間が、妙に気持ちよくて私は好きだ。
手と足を必死で動かすと、私の身体は水に運ばれていくように前に進む。
私の肺から必死にためた空気が、鼻からコポコポ抜けていき、だんだんと息が苦しくなる。
空気を求めて、顔が地上へ向く。
んーぱっ、んーぱっ
あぁ苦しい苦しい、なんて考えていると、前の壁が見えてきて。
「立っちゃう?いやでも、頑張っちゃう?」なんて思考が私の頭をよぎりながらも、思考とは別に私の身体は必死に手足を動かす。
すると、とんっと手につくザラっとした壁の感触。
息苦しさを感じながらも、じわ~っと、胸に広がる小さな興奮。
頭の中の私が小躍りする。
25年間、運動音痴として生きてきた私の、はじめてスポーツで得られた達成感。
初めて、25mを足をつけずに泳げた瞬間は、つい最近のこと。
そりゃもう、「きもちい~」って叫びたくなる某彼の気持ちがわかった、私の大切な経験だ。
−−−
今年3月、私は念願だった水泳教室に通うようになった。
小学生のころから運動音痴というレッテルが貼られている私は、とにかく運動が嫌いだ。例にも負けず泳ぎも下手で、小学生の頃は浅瀬で泳げないグループの中で泳げる人を、ぼーっとしながら眺めていた。
ちなみに、どれくらい下手かというと、けのびでバタ足できるくらい。
「水泳教室なんて、みんな泳げる人だらけで、アウェイだったらどうしよ・・・・」なんて不安も最初はあったのだが、参加してみるとこりゃ一転、意外と泳げない人も多くて驚いた。
水泳をはじめた理由はみんなバラバラだけれど、成人した大人たちがビート版を持ってばしゃばしゃ必死になって泳ぐのは、意外と楽しい。
なにより、水の中にいる感覚が心地よくて、今まで運動は”しなくてはいけないもの”と捉えていた私は、こんなにも楽しく運動ができるのか、と感銘を受けた。
そんな私の今の目標は、水の中で自然に息をすること。
つまり、息継ぎが上手くなりたいのだ。
息継ぎが上手になるには、部分練習が必要らしい。
水に潜って顔をあげてを繰り返しながら、「ん-ぱっ」という声を出しながら息継ぎをしなくてはならない。
水の中で必死に顔を出し入れしながら、んぱんぱ言ってる自分の姿を客観視してみると、若干つらいものがある。
おそらく、必死な形相と若干おぼれかけている身体は、ポケモンに出てくるコイキングに似ているんじゃないだろうか。
なんてことを思いながら、私は自分たちの練習している隣のレーンに視線を向ける。
実は、隣のレーンでは、上級コースの方々が練習しているのだ。
その中で、おそらく還暦を超えているだろう綺麗なマダムがいるのだが、彼女はとても、それは綺麗に水のなかを泳ぐ。
水しぶきをあまり出さず、静かに、でも確かに速く進む彼女の姿は、水の流れに逆らわず、泳いでいるというより水の中で生きているようにさえ思える。
きっとあのマダムは、水の中で息ができるに違いない。
小学生の時のように、ぼーっとマダムを見ながらも、あの頃とは違う小さな興奮を感じる。
おそらく「自分とは違う」と初めから諦めて外側から見てた世界と、「自分もああなりたい」っていう、自分が同じ土俵に立とうとしていることがわかる。
なんとなく、そんな自分が誇らしい日々。
そんなこんなで、私は水の中で息ができるように、今日も「んぱんぱ」と息継ぎの練習をします。
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