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仕事をすると、ラクになれる
ラクになりたいなら、仕事をすればいい。
僕は最初にこの言葉の意味を聞いたとき、よく理解できなかった。
だっておかしいじゃないか?
みんな仕事なんてしたくなくて、ラクしたいはず。もちろん、仕事が大好きで、情熱を持ってやっている人もいるのは知っている。
とはいえ、
多くの人は「生活のために仕方なく」という場合が多いだろう。
仕事なんてしなくてもラクに生活できるなら、それに越したことはないだろう、と。
でも、どうやら違うようだ。
仕事をしていない状態は、人間にとって「苦痛」らしい。
例えば、こんな経験はないだろうか?
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職場で周りのみんながそれぞれ役割を与えられ、仕事をモクモクとやっている。けど、自分に任せられた仕事はすぐに終わってしまった。
さて、どうしようか?上司に伺おうにも、かなり忙しそうでバタバタしている。声もかけづらい。
かといって、周りのみんなもモクモクと仕事をしている。
手持ち無沙汰で、、なんだか、居心地が悪く、重苦しい感情が襲ってくる。
そうこうしている時、
「おーい、誰かコレ手伝ってー」
みたいな声が聞こえると、
「やった!」と、心がスッと軽くなり、
救われたような気分にもなる。
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・・・みたいな状態。
ふつうに考えれば、仕事が無くて「ラクな状態」なはずなのに、「居心地が悪い」「重苦しい」という感情が湧いてくる。
僕もこういった経験は職場のみならず、家庭でも何度もある。
こういった経験から分かるように、
どうやら人は、
「何もしていない状態」というものに、「耐え難い苦痛を感じる」生き物らしい。
では、なぜ何もしていない状態が「耐え難い苦痛」なのかと言えば、
「思考してしまうから」だと、僕は思う。
ヒマがあるとついつい、色々と余計なことに思考を巡らせてしまうものだ。
今日の晩ごはん、明日の仕事のこと、過去の出来事、将来のこと、子供のこと、親のこと、お金のこと、サークルの人間関係のこと・・。
ありとあらゆる物事に思考を巡らせ、恐ろしいほどのエネルギーを消費してしまう。
だからこそ、
過去・未来のアレコレなどに思考を巡らせることを「止める」ために、「今の目の前の仕事に集中する」。
そうやって「今」に集中することで、「意図的に視野を狭くする」ことができるわけだ。
つまり、普段の生活の中で時間があるとき、つい過去・未来のことに思考を巡らせて疲れるのは、アレコレと視野を広げて入ってくる情報が増えすぎるからであり、
そうならないために、
「意図的に視野を狭く」して、今考えるべきことにエネルギーを集中させ、他の情報をシャットダウンすることでラクになるということ。
ワーカホリックという言葉もある。もちろん、仕事が好きすぎてものすごい情熱を持って取り組んでいる場合もあると思うが、
一方で、仕事をしたくてしているというより、仕事をしているほうがアレコレ考えずに済んで「ラク」だからこそ、仕事に没頭する、という場合もあるように思う。
つまり、「考えることをやめて今に集中したい」という言葉を言い換えると、
「アレコレ思考するのは非常に疲れる」ので「仕事をしてラクになりたい」と、言っているわけだ。
以上、僕なりの仮説を立てて解説してみた。
補足すると、
思考することで疲れ、苦痛を感じることもあれば、
例えば今この瞬間のように、「文章を書く」という行為に集中しつつ思考を巡らせることは、疲れるけど、とても心地よいと感じる。
これら2つの違いは何かといえば、思考の矛先が「過去・未来」か、もしくは「現在」について考えているかどうかである。
「過去・未来」のアレコレを思考して疲れるのではなく、「現在」に思考の矛先を向けたほうが、ラクではないが、楽しくはある。