本郷 あき
バスの中は込み合っていて、小説を書くことはできなかった。 おそろしいくらい、足の長い中学生か高校生が、足を持て余す形で、左隣の席に座っていた。 くもみたい。 足の長い。くも。いいなあ。私の二倍はある。ほんとうにうらやましくなる。 バスに乗ったのは十分程度で、降りたあたりはわたしの通っていた幼稚園のちかくで(途中で、登園拒否になり幼稚園をやめてしまうのだが!) 懐かしい。 自宅から、そう離れていないこともあり、何光年ぶりに通った!とかではないんだけど、
昨日は夕飯をつくるのに気乗りせず、それは食材があまりないから、大したものが作れないし、作っていても楽しくないからだということはわかっているけれど、なんせお金がない。お金がないのに、ラーメンを食べてしまった。その千円を食材をかったりするのに、使えばよかったのに、目についた欲望に正直になってしまった。自分を呪うわけではないが、ラーメンはとにかく美味で、なんならまたもう一度食べたいくらいだった。 昨日の夕方バイト先まで言って、退職する意向を伝えた。お金と体力の問題が解決されたわけ
本日は、家族の学校行事のため、休暇をとる。が、どうしても対応しなければならない事案があり、職場へ。仕事をマッハで終わらせる。札幌は朝の雨はなんとかあがったものの、曇り空。久々に、昼間、秋の風景を―すっかり葉は散ってしまったけれど―少しでも楽しみたかったところだけど、昼の明るい光の中を歩いてバス停まで向かう。 図書館に、バスの待ち時間のわずかな十分間、目的もなく立ち寄る。 家族が、乙一作品を読みたいといっていたし、わたしは、最近ピアノで聞くクラシック曲がとても好きなので、C
アップルパイをつくる、と三年前くらいの手帳に書いた。 わたしは、手帳にわりとなんでも書く癖があって、今年つかっている手帳には、『作品が海外むけに翻訳される』『小説家になって自分の本を本屋で発見する』など書いてある。 アップルパイが、好きだ。年に数回、それも、洋菓子店や専門店のものではなく、パン屋さんで目に留まって購入したり、最近だと、セイコーマートの店内調理したものが美味で、母親にも勧めたのだった。 わたしは、アップルパイをつくってみたい。 リンゴを煮詰めて、あまり砂糖を
こわいから、新人賞の新潮とか、文藝とか、すばるとか、買おうか、読もうか、迷ってるけどーーーーーー!!!!
札幌はあられまじりの、雪。灰色の日曜がはじまる。 昨日の午前中は、塾の保護者会。あやまって、非当該学年の部にもうしこんでおり、あわてて、塾にライン。オンラインだったため無事に変更してもらえた。受験にかんする心構えだとか、仕組みだとか、親がこどもを支える事の大変さ、本人をいかに支えるか、などのあれこれを伝授。家事をしながら聞いてたけど、大切なことは、隙間時間を活用することと、余暇より勉強を先にすること。これは、小説もそうかも。 でも、わたしは、家庭を支える立場もあって、小説が
起床後、パソコンの電源をつける。子供たちは、まだ眠っていて、一人には、テスト勉強の計画をたてるから起こしてと言われていたので、一人の時間も大切だよなと思って、昨日宅配で届いていた缶コーヒーを冷蔵庫から出して、一口飲む。最近、クラシックにはまっているから、ドビッシーと焚火の音が延々流れる動画をYOUTUBEで探して、それがとても癒されるのだ。体の芯からというか、脳みその真ん中からというか。 昨日は、仕事帰り、あつし一家の車にピックアップしてもらった。コストコ帰りの、あつしの
花は、 夜のほうが、美しい気がする。 なぜなら、花は、とにかく、暗闇に紛れてきえてしまっても、意識してみるときに強烈な印象を、わたしにあたえる。見られるのを、拒むように。 昼間にみる花は、確かに陽をうけて、高らかに、逞しく咲いているのだけれど、夜に咲く花は、なんだかうしろめたい秘密を抱えているような、淫靡な雰囲気すら漂うのだ。 そんな夜の花を見るとき、きまって、『夜に聴く歌』の事をおもいだす。 『夜に聴く歌』、は、カズオイシグロの“わたしを離さないで”のある場面に出てくる
ふと、様々なことを思ったりするから、生きるのは忙しい、ふと、わたしは幸せなのかと思ったのは、確かと思い出そうとするけど、エピソードは散らかり、一人歩きして、わたしのもとを去ってしまう気がする。だから、思ったことを、時間をおかず書いておかなければならないけど、書く時間を捻出することができないから、ひたすら頭で思って、直ぐに空になるから、それは、たいして必要のないことなのかもしれない。 印象に残ることが、あるのかないのかわかんないけど、毎日は単調じゃない、単調なわけがないのだ。
ハンガン!
札幌文学フリマにいった。 そして、とある、男性がものを捨てられないといった悩みのようなものを綴った本を、購入し、同行した家族のトートバックにいれておいてもらったけど、たぶん、どこかに置き忘れて、わたしは彼の文章を一文字も読むことなく、彼の存在や話したときの感じや、ブースの前に飾ってあった古いSanrioのぬいぐるみや、忍たま乱太郎のお皿を、キャッシュトレイにしているところとか、思い出して悔しい。 家族は何度もあやまり、わたしは、あんまり後悔を胸に打ち付けたり、痕跡を残すことに
進行性の楕円黒色メラニン直線擦過傷。
小説かけてなさすぎて、わたしは、目が弱いんだけど、体調の弱ったときに、目に、どろどろしたものが出てきたり、目が真っ赤になって、まるで、大麻をすったひとみたいか、プールから上がったひとみたいか、うさぎみたいか、そんな感じで、眼科にいってるけど、いただいている目薬は、副作用で、目にどろどろしたものが溜まるという、治療の根本を自問しなければいけない状況になって、はなはだ人生は不思議。 わたしは、秋の空気が大好きで、いつも、最近札幌は寒く、早朝や、夜なんかはとくに空気の底が静かに
今村夏子作品にふれると、自分の小説かいている意味ってなんなんだろうと思うおそろしいこ
小説に使おうと思う言葉として、華奢、幸福な落ち度、戦慄する、などをメモ。一刻も早くかかなきゃ。バイトに行くけどさ、肉体に実感をもたせて今日は書けた気がする!
ひろう、バイトに向かう、めまいやら不調だけど、今日は四時間くらい他の家事をサボって小説かいてた。オーディブルで、村上春樹の、走ることについて~を聞きはじめる。 途中の事が多い。なにもかんにも。