甘噛み
ふと、様々なことを思ったりするから、生きるのは忙しい、ふと、わたしは幸せなのかと思ったのは、確かと思い出そうとするけど、エピソードは散らかり、一人歩きして、わたしのもとを去ってしまう気がする。だから、思ったことを、時間をおかず書いておかなければならないけど、書く時間を捻出することができないから、ひたすら頭で思って、直ぐに空になるから、それは、たいして必要のないことなのかもしれない。
印象に残ることが、あるのかないのかわかんないけど、毎日は単調じゃない、単調なわけがないのだ。
また、植本一子の作品を読み始めて、わたしもこんな風に、彼女のように、書けたらすてきかなと思う。わたしは、植本一子の日記なら、なんだか、一生読んでいられるような気がする。どの一日も、もちろんわたしもなんだけど、かけがえのない秘密をこっそり教えてもらっているような、いや、知り合いの落とした日記を拾って盗み見たような、そんな気もする。開示しているようで、隠れた部分がたくさんあって、日の当たる表通りに面したショーウィンドウを覗いているみたい。バックヤードは、きっと、あふれかえった荷物の山なのかも。よいのか、わるいのか、判断することもせずに、ただ読む、読むことに耽る。そして、心に残るのは、ざらりとした生活の手触り。汚れたり、片づけたり、営みが当たり前に続くけれど、その音を、拾い集め、「どうぞ、よかったら見ていってね」と手渡される。秘密のようで、秘密じゃない。
わたしも、日記を書きたいといつも思うけれど、生活を素描するのではなく、取れ高じゃないけれど、どこかにオチをつけたいなと、思ってしまう、この顕示欲何。
ノーベル文学賞のニュースに歓喜。静かな喜び。
書くということが、ただ素晴らしく、読むという事が、わたしにとって、どんなに糧になっているのか。確認するまでもなく、いとおしい。
ストーブをたいた。
この時期になると、挨拶のあとに、「ストーブつけた?」と、確認しあうのだけど、わたしは、なんだか、それを絶対に忘れたくないと思った。
忘れたくないことを、大切な人に、覚えていてね、と伝えたいなと思った。
今まで、踏ん張り、眠気や体調を顧みずに書かなきゃと、脅迫的な思考にシフトするの事の必要性も検討したけれど、ちがう。
ちがう。とにかく、わたしは、書いて、書き続ける。
だから、甘噛みするように、書くのだ。と、涎ももれなくついてきそうだ。