わたしたちの、すべての美しいからだ

札幌はあられまじりの、雪。灰色の日曜がはじまる。

昨日の午前中は、塾の保護者会。あやまって、非当該学年の部にもうしこんでおり、あわてて、塾にライン。オンラインだったため無事に変更してもらえた。受験にかんする心構えだとか、仕組みだとか、親がこどもを支える事の大変さ、本人をいかに支えるか、などのあれこれを伝授。家事をしながら聞いてたけど、大切なことは、隙間時間を活用することと、余暇より勉強を先にすること。これは、小説もそうかも。
でも、わたしは、家庭を支える立場もあって、小説が生活を超えることはない。
 ただ、小説を一番にするために、生活をしているといったら、ほかの家族には顰蹙かもしれないけれど、まわりまわって、健康的な食事を食べたり、整頓された部屋で過ごしたりすることは、家族にも恩恵を与えてるのではないだろうか、って思った。小説を書く時間を確保するために、生活を頑張っている。
 朝の30分の執筆も、できない日だってある。弁当を作る、朝食、仕事へ向かうための準備。これらを放棄することはできないから。
 だから、わたしが小説を完成させ、世に出すことができたなら、1日くらい、ぼうっとしてみたい。何も、考えずに、わたしは考えすぎてしまうから、何も考えずに、ぼうっと、映画館にでもいって、帰りは、コーヒーかお酒を飲んで帰ることなど。
 ひたすら、夢みたいだと思う。

 生活も小説も、生きてる、という感じがする。

 オンライン保護者会のあと、歯医者の付き添いへ。横殴りの雨風で、傘をもてあます。傘を持つのはきらいだ。煽られるし、風の方向を読めないから、いつもわたしはクルクルと回ってしまったりする。
 地下鉄に乗る。最後部の車両に乗り込んで、過ぎていく景色を家族と眺める。湾曲する暗闇が、だんだん遠ざかり、それはとても不思議で、呪術廻戦みたいじゃん、と二人で笑いあった。誰か、走って迫ってきそうだったから。
 歯科では、図書館で借りた、『絶縁』というアンソロジーを読んでいた。村田紗耶香の作品や、海外の作家の作品が入っていて、前から興味があったから、数作読んでみたのだ。村田氏の作品、あまり接したことはないんだけれど、コンビニ人間は何度も読んだけれど、狂気的な作品の才能に触れるのが恐ろしく、嫉妬アレルギーみたいな、だから、読むのは怖かったけれど、面白かった。先日オーディブルで発見したので、途中で返却してしまった、タイトル名にもなっている、韓国の作品の『絶縁』をきくか読むかしてみたいな。

歯医者が終わり、区役所の福祉カフェで軽食後、知人の家に。自作の陶芸作品をもらってくれないか、と言われたため、お邪魔する。
 
年の離れた、大好きな友人。


重い食器や、暮らしの手帳のバックナンバー、夏山ガイド、石牟礼道子さんの十六夜橋。重い荷物を、二人で、パンパンに抱えて徒歩で帰宅。
 
自宅につき、少し休憩して、いただいたお皿や、カップソーサーや、ガラスの美しい小物入れを梱包からといた。
新し食器がうちにくると、料理が楽しくなる。

結局、ゆっくり料理を作る時間もなく、急いでうどん用に朝鶏もも肉でだしをとっていたスープに、野菜や鰹節やわかめをいれて、味をととのえ、今日はうどんを入れて食べてもらうことにする。
 豚肉に片栗粉をまぶして、揚げやきし、ブロッコリーとたれをからめたおかずを一品。いただいた手作りの陶器にもりつけると、美しい青い真ん中の部分が隠れてしまったけれど、とても良い感じになった。

 五時半過ぎに、バイトへ出発。
 
もう、秋のにおいが消えて、冬、冬将軍というだれだかわからん将軍の往来。葉が落ち、歩道を美しく彩っていた。

 比較的若いお客さんばかりが、いい感じのペースで来店したため、でも、ずっと動き通しで、体がきしんできた。
わかい客は、みな美しく、だからといって、年寄りの自分や、もっと年寄りは、美しくないのかというと、美しかった。生きることを表すことが、美しいな、と思ったり、思わなかったり、わたしは忙しかった。

ああ、わたしに必要なのは、体にさすあぶらだなって思う。油をさすには、体のどこから差せばいいのだろう。

 十一時頃、強風の中、帰宅。底冷え。

 65円のバブを買って、風呂に入って、尊敬するわれらのスーパースター、ストレイキッズの、とある曲のJapaneseversionがでる!という情報に歓喜。和約を参考に、家族と日本語をむりやりあてて、笑う。

それから、眠った。


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