捨吉

創作で生きやう生きやうと思えど、其の毎に一般が恋しくなります。創作は小説を遣ります。読…

捨吉

創作で生きやう生きやうと思えど、其の毎に一般が恋しくなります。創作は小説を遣ります。読書家ではないので、月に何十冊も読みませんが、長い物が好物なので、常に何かしらは読んで居るやうな気がします。現代の物は未だ読みません。いづれ読みたいと思います。青年も晩期を迎えました。

最近の記事

文藝誌灯台のサイトにて、記事を更新しました。

タイトルの通り、文藝誌灯台のサイトにて、記事を更新しましたので、その御報告をさせて頂きます。 内容としては、ブログのような文章は書こう書こうと思って中々書けるものじゃないというような趣旨で、定めてつまらなく仕上がったろうと思います。皆さま宜しければ是非ご覧ください。 記事は下記リンクから読む事が出来ます。 https://sub.bunngeishitoudai.shop/2024/04/01/blog2/ では。

    • 同人文藝誌灯台

      皆様、日々お疲れ様で御座います。此度、皆様にご報告が有ります。 タイトルにも有る通り、兼ねてより計画して居た同人文藝誌灯台が、5月東京開催文学フリマに出店する事に成りました。   其処で、広報も兼ねまして此処にご報告させて頂きます。 詳細は、下記記載のURLより、文藝誌灯台のサイトでご覧ください。 今後は、ゆっくりと進捗の程、記事として投稿出来ればと思います。  それでは。

      • 札幌に移りて一か月

         己の小説に生の重みを加へやうとたうたう定職に就いた私であるが、無論の事乍、今かうして記事を拵へるやうに、創作は未だ捨てて居らぬ。  だうも、創作に好いと思いて気軽にスウツなぞ羽織り始めたのが一か月前、今日で丁度、其の一か月である。今では創作ばかりが頼りである、此れは中々な誤算である。  私はまず何物よりも生が先んじて有ると思ふ。此れは真であると思ふ。思ふが、さて労働を前にすると生なぞ石ころ同然である、労働を遣る人間と云ふのは、労働に対して限りなく従順である、皆一つ返事で己の

        • 創作に就いて思ふこと等。

           世に創作を真面目に遣る人間の内、唯其れのみに打ち込んで衣食住の旗を立てやうと思ふ人間は幾程在らうか。又さう云ふ人間の身分が学生でないとすれば、実生活はだう成って居るのか。一日をだう過ごして居るのか、創作は全体の何割を占めるのか、己の将来と云ふものに不安は無いのか。一般へ回帰しやうと云ふ気の本当に微塵も無いのか。  凡そ作品を愉しむ云わば享受者の内、未だ大成せぬ創作者に就いて上記の如き疑問を、真正面から抱く者は数にしてさう大勢とは成らぬ。  私は小説を遣る、創作として小説を遣

        文藝誌灯台のサイトにて、記事を更新しました。

          青年性に就いて

           青年も晩期だと云ふ感は、此の頃私の胸に迫って来た。二十代も折り返しに近いからさう思われるのか、最早私のやうに毎日を御気楽と共に過ごすやうな同窓や友人、同志の居らないからか、さやうな感の出所は実際無数に思われるが、実際の処だうかと云われれば判らぬ、唯私は独り未だ青年を遣っていると云ふ感の有るは事実である。或る友人なぞは、其れがさも損で有るかのやうに私に云ったものである。頽落の臭いを嗅いだと云わんばかりに、早い処何処か好い勤め先を見けないば云々と、親切心でさう私に説教を呉れたも

          青年性に就いて

          私に就いて 其の弐

           別段小出しに私に就いて明らかにしやうと云ふ予定の有った訳では無いが、第一に書きたる「私に就いて」を自身で読みて、私に就いて言及する処の少なきを覚えたから、此処で亦書く事にしやうと思ふ。  生ける者には当然親が有る。犬でも猫でも、其の辺の木々でも同様である。何も無から生じた訳ではないから、脈々と紡がれる生の連関の一部として、我々は今此処に有る。故に御先祖に手を合わせるの必要も此処に生ずる訳である。  処で、私の母方の祖父母は、駆け落ちから関係の始まったと云ふ。此れは私も、祖父

          私に就いて 其の弐

          創作に就いて

           創作を遣る人間でも、其の方法の異なるは云わずとも知れて居るだらうが、私は、創作の方法を二分して考える。一つは実体験を通して経験と云ふ処迄己の内で成熟したものを表現する道程を指すか、さうでは無ければ、追体験を通して、何処迄も他者として、詰り、私の中に追体験を経験として語る他者を住まわせるやうな心地で、表現する際には、其の他者から語られる処のものを表現する道程を指して此れを創作と云ふか、極端に云えば此の二つである。  私は、第一の方法を好むと云ふより、だうも其れしか出来ぬ人間で

          創作に就いて

          私に就いて

          私が小説と云ふ物語の一形式に背を凭れるやうに成ったのは、さう昔の話ではない。つい三年前の事である。カントの趣味判定やらショウペンハウエルの剝き出しの生やら、マイスターエックハルトの我を産み返すやら、かう列挙して容易に悟られるやうに、抑々精神の軟弱であるから、斯くの如き天晴な思想に縋り着いて生きて居たのが、其の三年前の私である。学問として哲学を遣らうと他大学の編入試験を三度も受け、見事散りたるは苦い経験成れど、仮令何れかの大学に引っ掛かったにせよ、だうせ私の事であるから、次は院

          私に就いて