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私に就いて

私が小説と云ふ物語の一形式に背を凭れるやうに成ったのは、さう昔の話ではない。つい三年前の事である。カントの趣味判定やらショウペンハウエルの剝き出しの生やら、マイスターエックハルトの我を産み返すやら、かう列挙して容易に悟られるやうに、抑々精神の軟弱であるから、斯くの如き天晴な思想に縋り着いて生きて居たのが、其の三年前の私である。学問として哲学を遣らうと他大学の編入試験を三度も受け、見事散りたるは苦い経験成れど、仮令何れかの大学に引っ掛かったにせよ、だうせ私の事であるから、次は院だ何だと、結局の処、今とはさう変わらぬ心地で生きて居た事であらう。と云ふのも、哲学で生きるにせよ、創作で生きるにせよ、一般の道は踏まぬからである。三年前の私成らば、其れがまるで我が自尊の泉であると云わんばかりに、どやどや気焔を吐いて居たやもしれぬ。が、今の私は全然さうは思わぬ。一般を行く方が仕合せである、一本鎗に創作を遣る人間の内、中々芽の出ぬと云ふか、芽の腐った人間は、あらゆる意味に於いて一般の下をばとぼとぼ彷徨ふて居る。今の私がさうである、さうでなければ、こんな処に文字なぞ打たぬ。創作なぞ苦しいだけである、創作程腰の重い仕事もさう有るまい。一般並みに飯を食らい、風呂に入り、ビイルなぞ呑む割に、遣る事と云えば創作である、創作程金の掛かる職業は無い、漱石も、創作とは云わぬが、詩人の生活を上記の如く表現して居た覚えがある。詰まる処、創作を遣るには一般並みの生活が是非とも必要なのである、さうで無ければ、心の乱れるから中々だうして書かうと云ふ気に成れぬ。今の私には、其れに加えて昼寝も遣る、朝も寝る、夜も無論更ける前には消灯して居る。漱石もかつての講演で同じやうな事を云って居た。更に云えば、幾ら寝やうが立派な事を考えて寝て居るから、下衆な事を考えて商売を遣る人間よりは偉い、と云ふやうな事も云って居た。私なぞは壇上に登る処か、賞とは一次ばかりの縁であるから、其れを一つ自負の念の糧にしやうとは思えぬ。第一暇人だと云われても、ああさうだと口で云って、心でもああさうだと思ふばかりである。いや、実際さうとしか応答出来ぬ、何故と云ふに、では創作に就いて云々、と遣るのは本当に疲れるからである、私を暇人と云ふなら私は暇人で好い、同窓の人間や知り合いとはかやうな具合で遣るが気楽で好い、私の創作で苦しむは唯独り私である、さうで無ければ趣味である、私の創作は、私に対する生の事業である。此れは宗教ではない、私は本気でさう思ふて居る。創作をする私とはさう云ふ人間である。
 真に私に就いてなぞ此れ迄書いた試しの無いから、何を書けば好いのやら判然とせぬ儘にだらりと遣ってしまふ私を許して欲しい。
 此処からは、誠簡略して、私を明らかにしやうと思ふ。
私の故郷では、伊藤整と多喜二が文学的には有名である。あの港町である。伊藤整風に云えば、「海に向かって伸びるやうな街」である。正確な文句は忘れてしまった、確かにさう云ふ事を詩人の肖像で書いて居たやうな気がする。
 愛読せし作家は全て土を被って居る。漱石は殊に「行人」が好みである。いや、主役の嫂が好みであるとも云えやうか。鴎外は、ゐたしか読まぬ。伊藤整は、評論も小説も読む。実篤に傾倒した時期もある、其れで行けば川端なぞは、殆どの物を読んだが、山の音の能面に接吻する処は絵に描ける程鮮明に覚えて居る。西洋は、岩波文庫でも古書屋で安い物を買い漁って居たから暫くは雑食であるが、独、仏、英、の範疇からは余り外れなかったやうに思ふ。取り分けても仏と独、と云ふか、殆ど、アナトオルフランスとゲエテであるが、彼等には大変に鍛えて貰ったと思ふ。最近はされど、帰国して、今年の年明けから、四迷と藤村、其の内藤村は、もうまるで己の筆を看るかのやうな愛着を抱いて居る。上の作家は皆、私の創作生活に於いては欠かせぬ話し相手である。此れが因で、私の頭には年中戦争やら満州やらが付き纏ふ始末である。
 まさか此処迄付き合って呉れる方もさう居るまいと思ふが、若し居られる成らば相当な御人好しか私に負けぬ暇人のどちらかであるやうに思ふ。いやさやうな事はだうでも好い事である、有難う、此れを云わねば成らぬ、だうも済みませんは後味の悪いから云わぬ事にする。
 だうか此れが最初で最後の投稿と成らぬやうに。

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