札幌に移りて一か月

 己の小説に生の重みを加へやうとたうたう定職に就いた私であるが、無論の事乍、今かうして記事を拵へるやうに、創作は未だ捨てて居らぬ。
 だうも、創作に好いと思いて気軽にスウツなぞ羽織り始めたのが一か月前、今日で丁度、其の一か月である。今では創作ばかりが頼りである、此れは中々な誤算である。
 私はまず何物よりも生が先んじて有ると思ふ。此れは真であると思ふ。思ふが、さて労働を前にすると生なぞ石ころ同然である、労働を遣る人間と云ふのは、労働に対して限りなく従順である、皆一つ返事で己の休日を捧げるに此れは流石に聊か度の過ぎた尽力である、サアビス精神も此処迄来れば犠牲的精神と云ふ奴である、自己欺瞞と云ふ奴である。
 全く自己欺瞞に忍び寄る罪深き陶酔感と云ふ奴は!凡そ地上に根を張る人間の生の内、規定されるを以て仕合せとせぬなぞだうして有り得ぬ、成る程実存が何時の世も流行る訳である、スウツの下に己の肉体が有ると云ふ事実は其れ程賞賛に値する発見であらうか?其の肉体さへ生にとっては隠蔽の産物であると云ふのに!
 いや、私は何も迷走して居るのでも無いのであるが、夜更けには人間大胆を遣るのが常であるから、私も其れに従った迄である。因みに実存は好い商売だと思ふが私は好かぬ、と云ふのも、実存こそが最大の自己欺瞞であり、生への反抗であるからである、生は有るから有るのである。陽は日没といふものを知らぬを思えば容易に判る事ではないか。

 追伸。札幌では雑誌を遣りたいと思ふ、其処迄行かずとも同志は見つけたいと思ふ、気軽に酒を遣り乍語り合ふ人間が欲しいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?