私にとってのランニング
少し前に旅行中のランニングについて記事を書きました。
以前の記事はこちら
そこからなんとなく考えていたランニング
習慣の一つとして捉えていたけれど、自分で言って改めて考えていると、むしろ中心なんじゃないかと思い始めています。
私は圧倒的に朝もしくは午前中に走ることが多いです。
走る前は面倒に思うし、最中も辛いなと感じることもある。しかし、日中の早い段階で、自分に課したタスクとこなすことで、仮にこの後上手くいかなかったり妥協した自分がいたとしてもゼロで終わることがない保険みたいなものになっています。
また、朝イチで頑張れたんだから、もう少し頑張ってみようと鼓舞することもできます。ランニングをうまく利用して自分の機嫌を取れていることになります。
私はタイムなどは気にしていないので、ランニングというタスクをこなしただけで1つ目に見える成功として受け取ることができるのです。
その反面、ランニングができなかった日は、何も成果を得られずに終わってしまう焦りみたいなものを感じます。ここはあまり神経質になるべきではないと思っていて、もっと柔軟に考えられればいい部分です。
このようにランニングをすることによって得られる効果とは別に、ランニングをタスクとして日常に組み込む効果もあることを認識しました。
そしていつの間にかランニングをするために、ランニングがあるからと、他の日常がランニングを中心にデザインされるようになりました。
前日は早く寝る。
夜に食べ過ぎると翌日体が重い。
寝る直前に食べると、睡眠の質が落ちてランニング中に身体が重たい。
しっかり栄養や休息をとって、疲労回復を図る。
そこまで神経質にやってはいませんが、なんとなく意識した時間の過ごし方をしています。
ランニングによって体調の変化が分かるだけに、気持ちよくランニングしたいと思うようになり、日常が変化していくって何だか面白いと思います。
だって、普通はランニングによって健康になろうみたいなノリではないでしょうか。それが、気持ちよくランニングをするためにランニング以外で健康になろうみたいな、ちょっと違った角度に変化していたのです。
書いていて浮かんできたことなので、うまく言語化できていないんですが、習慣化に関係するようにも思えます。
本来目的であったはずのもの、それ自体から恩恵を受けたいと思っていたものがいつしかそれを実行するために周りがリバランスされていった。その気持ちの変化に気づくことが新しい挑戦や変化に適応することにつながるのかもしれません。
私はもう少しそんな自分と向き合ってみようと思います。
今日もいい一日です。