ひとりぼっちの大きな平たい石〜幼年時代の想い出〜
わたしは、そのころ、よく、住んでいた家の居間の窓から、身を乗り出しては、窓の真下を、覗き込んでいた。
まだ、二才になったばかり、だった。
窓の前は、もう、すぐに、お隣りの家の壁なので、景色なんて、なんにも見えやしないのに、そのころのわたしは、ごはんが終わると、その窓から、真下を覗き込むことが、「決まりごと」のように、なっていた。
なぜなら、そこには、わけもなく、ひとつの「大きな平たい石」が、無造作に、置かれていたからだ。
その石は、隣りの部屋の、縁側から降りることができる、小さなお庭の「靴脱ぎ石」と、とても良く似ているのだけれど、特に「役割」を与えられることもなく、まるで捨てられたように、暗い隙間に、「ひとりぼっち」に、されていた。
わたしは、たぶん、その「大きな平たい石」のことを、かわいそうだと思っていたのだと思う。
よく、話しかけては、その石と、「おしゃべり」をしていた。
「おしゃべり」と言ったって、たかだか二才になりたてのわたしが、何を言っていたのかなんて、もちろん、覚えてはいない。
それでも、その石のことを、六十年以上経った今でも憶えているのには、ちょっとした「わけ」があるのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日、いつものように、お昼ごはんが終わったあと、わたしは、窓から身を乗り出して、「大きな平たい石」と、「おしゃべり」をしていた。
きっと、片言の、赤ちゃんぽい言葉で、他愛もない「言葉かけ」をしていたのだろうと、思う。
すると、真下にあるはずの「大きな平たい石」が、いきなり、わたしの目の前に迫ってきたのだ。
そうして、大きな石が、さらに大きな石に見えた瞬間、
「ごつん!」
と、鈍い音がして、わたしは、石の上に、転げ落ちていた。
「うぇ~ん!」
もちろん、痛かったから、わたしは、泣いたにちがいない。
幼い子どもは、頭が重いので、身を乗り出しているうちに、おそらくは、頭から落ちてしまったのだ。
台所で片付け物をしていた母が、すっ飛んで来た。
でも、わたしは、部屋に、いない。
泣き声だけが、どこかから聞こえるので、母は、かなり慌てただろうと思う。
わたしは、落ちている場所で、倒れたまま、泣いているばかりだったのだ。
ようやく、母は、事態を理解して、窓から、真下に落ちて、泣いているわたしを発見した。
それでも、その隙間はとても狭くて、大人が入れるようなスペースは、どこにも無かったので、母は途方にくれた。
祖母も駆けつけたけれども、
「まぁ、あれ。。」
と、真下に落ちているわたしを見て、絶句するばかり。。
今なら、警察か消防に連絡するのだろうけれど、それは、昔のこと、そんなくらいのことで、公共機関に頼ったりはしない時代だった。
そのうち、母は、わたしの名前を呼んで、大きな声で、叱りつけた。
「祝子! 馬鹿だね! 何やってんの!」
今なら、たった二才の子どもに対して、こんな言葉かけをするのは、きっと、最低なことだろう。でも、昔の親は、だいたいが、そんな感じだった。
いきなり叱りつけられたわたしは、ビクッとして、泣きやんだ。
痛いけれど、泣いている場合ではない。わたしは、悪いことをして、叱られているんだ、と、理解したのだ。
すると、母は、泣きやんだわたしに向かって、
「そっちに、這って出なさい!」
と、また、怖い口調で、命令した。
よく見ると、ある方向を、指さしている。
指さされた方向を見ると、光が指していた。
もう泣きやんだわたしは、言われた通りに、光がさしている方へ、這って行って、お隣りの家の玄関の横に出ることが、出来たのだった。
母の、「叱り飛ばす」という決断は、結果的には、正しかったのかもしれない。。
わたしはといえば、頭に「たんこぶ」は作ったけれども、それだけのことで済んで、事なきを得た。今なら、病院に連れて行かれて、「精密検査」などを受けるのかもしれないけれど、昔のことなので、そのまんまで、時は過ぎた。
それでも、その日以来、お隣りとの境にあった「窓」は、残念なことに、「誰も開けてはいけない窓」になってしまって、わたしは、それっきり、ひとりぼっちの「大きな平たい石」には、会えなくなってしまったのだった。
しかたなく、わたしは、小さなお庭にある、よく似た「靴脱ぎ石」と、「おしゃべり」をして過ごした。
けれども、それも、つかの間のことで、わたしたち家族は、ほどなく、祖母だけを残して、父の実家から、街なかの「間借り」へと引っ越したから、わたしの「石」との「おしゃべり」は、自然と、おわりを告げたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大分経って、小学生になってから、祖母の家を訪ねたときに、ふと、思い出して、居間の窓を開けて、真下を覗いてみたら、ひとりぼっちの「大きな平たい石」は、まだ、そこに、そのままに、在った。
なんだか、嬉しかったことを、憶えている。
「なんだ、きみ、まだ、そこに、居たんだね。」
と、思わず、話しかけた。
けれど、ひとりぼっちの「大きな平たい石」は、悠然と、そこに、潜んだままで、まるで、
「放っておいてくれよ。」
と、言っているみたいに、わたしには、見えた。
だから、わたしは、「ひとりが好き」な「大きな平たい石」の、邪魔をしないように、そうっと、窓を閉めた。。
そうして、
ーーきみが、そこに居たいのなら、それで、いいんだ。
と、「ひとりごと」を、言ってみた。
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