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記事が誰かに影響を与えること

何のために記事を書くか

という動機や目的は人によって違うと思いますが、僕は以前は

1. 自分の楽しみや満足のためだけに

投稿していました。Twitterなども含めてみんなそうでした。
今でも楽しみや満足はあるのですが、それ以外にも最近、特に note では

2. 読んだ人が参考にしてくれること

を考えて記事を書くことが多くなりました。
自分が体験したことや考えたことなどを記事にして発信して、読んだ誰かがヒントになったり参考にしてくれたらいいなという「思い」が強くなりました。

誰かに影響を与える

と言うと「そんな大それたことは・・」と思う人も多いかもしれませんが、例えば隣に住んでる小学生だって「誰か」なのですよね。
だから、全然、大それてないし、むしろ「大それた」と思う人は物凄い成果を期待しているのかな?と思ったりするんですね。

もっと簡単なことなんです。

それでも、例えば「どこかの番組のプロデューサーが見ていて企画の参考にしてくれたら面白いな」というような社会へのささやかな期待も無いことはありません。

みんな、影響を受けたとしても、いちいち誰の情報を参考にしたとか言わないので、結果は全く想像できないし、知る由もないのですけどね。

誰が見ているか分からない

ネットである以上、誰が見ているか分からないわけですが、それをネガティブに捉えると萎えてしまいますが、いい方向に考えるととても夢があると思うのですよね。
自分自身に明るく前向きなものがあれば、発信した結果は明るくなると、僕は考えています。

写真に感動して手紙をくれた人もいた

かなり以前にWeb(ホームページ)にギャラリーを作って写真を上げていた頃に、アメリカに住んでいる日本人の方が写真を見て「感動した」ということでメールが来て、どうもその方はうちの近所に住んでいたことがあったらしく、その懐かしさや日本への「思い」も含めてのことだと思うのですが、何度かメールをやり取りしたことがありました。

それで年末か年始の挨拶がわりに贈り物を送ってくれたと思うのです。そこにも手紙が添えられていました。

僕は1996年ごろからWebで発信しているけど、そのような大小の自分自身がハイになる出来事を何回か経験しました。だから、自分の発信がきっと誰かに影響を与えていると今でも素直に思えるのですね。

突破口はいつも一つの出会いから

何か新しいことが始まるきっかけって、だいたいはたった一つの出会いなんですよね。
もちろん、多くの機会を作って積極的な発信や出会いがあれば、当然その一つの出会いが起きる確率も高くなるのですが

下手の鉄砲は数撃っても当たらない

のですよね。
やはり「こうなったらいい」と思って(狙いを定めて)力を込めてトライしないと、思ったような出会いには繋がらないと思います。

その意味で、無理に数を追う必要はなく、それよりも一つ一つのアクティビティに真剣に向かうことの方が大事なんだろうと思います。

だから、特に最近の自分の note では、かなり包み隠さずありのまま、体験して感じたままを、ストレートに記事にぶつけるようにしています。
実際、身を削るようにして書いた記事は「スキ」を多くもらえているような気がします。

しんどいですよね。ええ、しんどいです。(笑)

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