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「The Case Against Education-大学なんか行っても意味はない?」~現代の教育システムは時間とお金の無駄である~
学業で成功するのは良い仕事を獲得するにはいいが、良い仕事をするすべを学ぶ方法としては役に立たないと、私たちは認めなければならない。全員が大学の学位を取ったら、全員が良い仕事にありつく結果にはならず、学歴インフレが暴走するだろう。教育によって成功を広めようとすれば、教育は普及しても成功は広まらない。(p407-408)
教育熱が高まる一方の昨今。教育費高騰や教育格差の問題が指摘され、もっと教育費を国が補助すべきであると長らく言われ続けています。
しかし、そもそも今の教育システムは社会的な時間と金の無駄であるとして、補助などすべきではないとする刺激的な主張をするのが、この本です。
ブライアン・カプラン著「大学なんか行っても意味はない?教育反対の経済学」
これがなかなか興味深い本でしたので、ざっとご紹介します。
教育の大部分はシグナリング
経済学者の著者ブライアン・カプラン氏は、本書で、現在の教育が能力を高める効果はわずかで、教育の効果の大部分がシグナリングだと丁寧に実証しながら主張していきます。
教育におけるシグナリング理論とは、ざっくり言うと、教育は能力を向上させておらず、卒業証書によりその人の優秀さを保証することが教育の役割となっているとする考え方です。
雇用者は大卒者が高卒者よりも平均的に優秀であると保証されてるから優遇して採用するのであって、その人が大学で学んだことが自社の仕事内容と関係なくても気にしないとします。大学を卒業できるだけの地力があるというシグナルが出ていることが大事というわけです。
一般的には「教育により個人の能力を高めてる」とする「人的資本説」が受け入れられていますので、その常識に挑戦する説になります。
シグナリングは、もともと経済用語で、著者オリジナルなアイディアではなく、昔から議論されてるものですが、教育におけるシグナリング理論を丁寧に一般向けにまとめたのが本書の意義と言えます。
みな卒業証書を欲しがってる
確かにシグナリングは、私たちの実感に合うところがあります。
教育が本当に能力を高めるためのものであり、純粋に個人の能力を労働市場が適切に評価してくれるのであれば、休講で学生が喜ぶのはおかしいし、卒業直前で中退した者も卒業生とほぼ同等に評価されないとおかしいはずです。
しかし、現実には学業の学びが身についているか心配するよりも、単位が取得できるかどうか、卒業できるかどうかが皆の関心になっています。私たちが、学業の内容よりも卒業したという証明をより欲しがっている事実は否めません。
能力だけでなく従順さもシグナリングしている
教育の役割がシンプルな「能力」の保証だけならIQテストのような一発テストだけでも十分と思うかもしれません。
しかし、一発のペーパーテストで測れるような「能力」だけでなく、4年間も大学のカリキュラムを無難にこなしたという「従順さ」も採用側が求めている大事な特性であると指摘して、著者はこれをはねのけます。
「能力」だけでなく「従順さ」も求められるからこそ、あまり将来の仕事に関係なさそうな講義の単位や長期間の在籍が必要となってしまってるのだというわけです。
確かにいくら能力があっても、卒業直前に中退するなど普通でない行動をする者は、扱いにくい社員になるおそれがあるので、雇用側が採用を避けたくなるというのはありえる話です。就活生が一律均一なリクルートスーツに身を包む日本では特に痛感できるところでしょう。
オンライン教育の普及を阻むシグナリングの壁
最近ではオンライン教育が座学主体の大学教育を駆逐するとも言われています。しかし、著者はオンライン教育の有用性は認めつつも、実際の普及の先行きには悲観的な意見を示しています。
まだオンライン教育は教育の主流になっていないので、あえて大学進学ではなくオンライン教育を選ぶという行動自体が「従順でない」学生である可能性をシグナリングしてしまうというのです。
従って、現状では、オンライン教育は「従順さ」の担保として認められがたく、シグナリングが壁として立ちはだかるため、普及しないであろうと著者は予想しています。
オンライン講義などの教育手法の効率化でも、主流派になるまではシグナリングの壁が越えられないとするジレンマの指摘はなかなか面白い着眼点と思います。もしかするとコロナ禍でゲームチェンジが起きる可能性はあるかもしれませんが。
教育は個人にとって利益だが、社会にとっては無駄
著者は教育は無駄だから大学に行くなと言っているわけではありません。大学卒業というシグナルを得ることによる個人の金銭的利得は大きく、個人にとって教育は非常に有利な投資としています。(ただしあまりに背伸びをすると入学しても卒業できないリスクはあるので、個人の能力に応じた場合分けは必要とはしています)
なので実を言うと、「個人にとって大学に行く意味はある」と著者は主張しているので、「大学なんか行っても意味はない?」という邦題のタイトルはあまりよくないですね。原題のサブタイトルの"Why the Education System is a Waste of Time and Money"の方がやはり著者の主張に合ってる気がします。
個人にとっては教育が有利な投資でも、こんなに壮大に築き上げた教育システムが個人の能力を高められていないなら、社会にとっては無駄な投資となります。その教育の社会的無駄こそを著者が問題視している点は誤解してはいけません。
もちろん、教育が個人の能力を向上する効果が低いのであれば、たとえ金銭面で有利でも、かけがえのない若年期の多大な時間を教育を受けることに費やすのは、個人にとっても見過ごせない問題にはなりえるでしょう。
教育費助成は学歴インフレになるだけで無駄
国から補助を出して全員が大学に行けるようにしても、学歴インフレになるだけで税金の無駄であると、著者は主張しています。教育の効果の大半がシグナリングだからこそ、他者と差別化するシグナリングを求めて次はさらに高度な学歴を競い合うことになるだけというわけです。
だから著者はむしろ逆に教育への補助をなくしてしまい、その分の貴重な税金をもっと教育以外の何か重要なことに費やすことを検討するべきだとしています。そうできないのは「教育は大事なものだ」と皆が盲信しているからに過ぎないと。
なかなか手厳しい主張です。
重厚で丁寧な論証で、反論が容易ではない本書
本書はこうした過激な論をただ闇雲に主張しているわけではありません。400ページあまりの厚みや大量の参考文献リストに表れているように、かなり重厚で丁寧な論証をしています。
教育がいかに実質的な効果を挙げてないかを示す実証的記述に加え、「教育で能力は向上されるはずだ」「能力が高い者が高学歴になるだけだ」「教育には教養を高め人格を涵養するという意義がある」などの著者の主張に対してすぐに浮かぶであろう反論にも逐一丁寧に反論し返しており、著者の主張に対抗するのは一筋縄ではいきません。
なかなか説得力のある論証なので、読んでるうちにどんどん逃げ道を塞がれていく感覚があり、つい「教育って無駄かも」と思わせる力があります。少なくとも本書にきちんと反論するには高度な学問的スキルや知識が要求されるのは間違いないでしょう。
この本書のポンと放り出せない重さは、現代教育システムに突きつけられた「目の上のたんこぶ」と言えそうです。
教育システムを再考する必要性を提起する書
実際の所、教育界でもシグナリングの有無について議論は続いているようですし、著者の言い分を鵜呑みにするのは危険ではあります。しかし誰しも薄々違和感を抱いていたところをきれいに説明してくれるシグナリング理論には魅力があり、一定の理があるのも事実です。
著者は「教育のアンチ」ではなく、あくまで「今の教育システムのアンチ」であり、「今の教育システムがちゃんと教育本来の目的を果たせていない」「こんなひどい体たらくならいっそ止めてしまえ」と、今の教育システムに落第点を突きつけているのが本書です。
少なくとも「教育は大事だから助成すべき」と素朴に考えるのではなく、教育が大事だからこそ、今の教育システムがその重要な使命を果たせているか、批判的に再考するべきではあるのでしょう。
「人が人を評価する難しさ」という現代社会の課題
著者も述べている通り、シグナリングの問題の背景には、人は人の能力や人格を正確に迅速に評価することはできないというのが根底にあります。
非常に大きな労力がかかるので、雇用主はすべての人間を試しに雇ってみて、だめだったらクビにするという方針をとるわけにはいきません。仕方ないので、簡単に一定の意義を見いだせる学歴というカテゴリーを用いた統計的差別をするしかなくなっているわけです。
ところで、こうした「人が人を評価する難しさ」は就職の時だけでなく、職場内の出世レースなどの就職後の世界においても同じなのではないでしょうか。つまり、出世や年収が本当に「その人の能力」や「その仕事の意義」を反映したものと言えるかも同様に疑問を持つべきなのではないでしょうか。
「人が人を評価する難しさ」は、「意義が感じられないのに意義があるように振る舞わなければいけない欺瞞的仕事」が社会に蔓延しているとする「ブルシット・ジョブ問題」にもつながる現代の重大かつ普遍的な社会的課題となっていると江草は感じます。
というわけで、書籍「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」についても最近読み終えましたので、また近いうちにレビューしたいと思います。(という次回予告的な前フリでした)
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