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【読書】父から息子へ/「On Duties」から

人はどう生きたらいいのか?本能のまま、好きなことをやって、快楽を追求していけばいいのか?第2思春期ともいわれる中年/40代、私自身生き方に悩むことが多々あるが、そんなときに出会ったのがこの本。

記事要約

  • 古代ローマ共和国の政治家/弁護士/哲学者のマルクス・トゥッリウス・キケロの書。

  • キケロがその晩年に、息子で当時ギリシャで勉学に励んでいた息子に向けて書いた書簡。

  • 道徳的な拠り所や、参考にすべきお手本のようなものが存在せしない現代資本主義社会のにおいて、ひとつの指針となりうる教えが詰め込まれている。




1.本の紹介

本のタイトルは「On Duties」で、邦訳は、「義務について」。

著者は古代ローマ共和国の政治家/弁護士/哲学者のマルクス・トゥッリウス・キケロ(Marcus Tullius Cicero, BC106年ーBC43年、享年63歳)。本書であるOn Dutiesは、彼が暗殺される数年前に執筆されたものらしい。

哲学者としての功績は、ラテン語によるギリシア哲学の紹介、考え方としてはストア派哲学、現代では歴史の教科書で習うか習わないか程度で、ソクラテスやプラトンに比べて一般人には親しみのない人物だが、実は中世から近代にかけて彼の著作は非常に愛読されたとのこと。Wiki情報によると、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキューらにも多大な影響を与えた。

マルクス・トゥッリウス・キケロ

ストア派哲学はサクッというとLive according to natureを追求する考え方。直訳すると、自然に従ってあるがまま生きろ、となってしまうが、そうではなく、動物と違って人には理性・合理性がある、それらを駆使して正しく生きろ、という教え。

では正しく生きろってなに?ということだが、そのことが本書に書かれている。

ちなみにローマ皇帝で哲学王ともいわれるマルクス・アウレリアスもストア派哲学者で、彼の自称録は秀逸の一言、その概要は以下から。

キケロ本人は最後、ローマ共和国末期の政争に関与し暗殺、首や右手を切り取られ、ローマのフォルム・ロマヌムに晒されたとのこと。

2.本の概要

本書はまず、キケロがその晩年に、息子で当時ギリシャで勉学に励んでいた息子に向けて書いた書簡。「親愛なる息子マルクスよ」という一言から始まるその文章には、彼の息子に対する深い愛が一発で読み取れる。

3部構成の本書の第一部はMoral Goodness、日本語にすると道徳(?)、第二部はExpediency、第三部はThe Conflict between the Right and the Expedient。私がそれなりに読んだのは第一部のみ。

ザクッというとキケロの考えるMoral Goodnessは以下4つから構成(Four divisions of moral rectitude):

  • knowledge of truth: 知的探求やそれに基づく行動/アクション等

  • Justice and charity/kindness/generosity: ただしさ、他人への親切心等

  • Propriety - considerateness, self-control: 自制の心等

  • Orderliness of conduct and seasonablemess of occasions/moderation: 節制等

Moral dutyの核となるこれらの原則を踏まえ、キケロは息子に対して切磋琢磨しなさいとの助言をしている。

3.感想

始めはとっつきにくかった本書だが、父から息子へあてた手紙なんだ、と考えながら読むと、頭にすっと入ってきた感じがする。

キケロのいうMoral dutyやgoodnessの4つの原則はくは、まあ、現代をいきる我々にとっても参考になるコンセプト。読書等を通じ知的探求を続けることや正しい行動をする事、他人に親切にすること、自制する事、適度な節制等はまさにそう。道徳的な拠り所や、参考にすべきお手本のようなものが存在せしない現代資本主義社会のにおいて、無論単に金銭欲の従うままに行動をするのもひとつの解ではあるが、私はキケロのいうストア派的な人生哲学に惹かれる。

いずれにせよ、これを受け取った息子はどう思ったんだろうか。勉強頑張りなさいとか私の知見をシェアするのでよく聞きなさいとか、若いころの私ならうるさいなあ、また始まったよ親父の説教癖、俺の勝手だろう、とか思ってしまいそう。

と思ってキケロの息子のことを調べてみたが、名をマルクス・トゥッリウス・キケロ・ミノル(小キケロ)とらしい。ウィキを見た感じ、どっちかというと軍才があったらしい。一応ローマ帝国の要職にもついている。何よりも、キケロ暗殺から13年の時を経て補充執政官に就任した際、父キケロを暗殺したアントニウスの像を全て撤去、またアントニウス家のものがマルクスというプラエノーメンをつけることを禁じたとのこと。それなりに頑張ったんだなあと推察。

最後に一言

なお本記事は、あくまで私がポイントだなと思った部分のみ書き出しまとめているだけです。この概要記事がきっかけとなり、この本に興味を持っていただけたら幸いに思います。


あわせて他の記事もご覧いただけたら幸いに思います。


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