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文章を書き続けて分かった事

6月6日付けで丸3年半を迎えた私のnote。

「だからこそ」などと大仰には言わないけど、これまで188記事(今回で189記事)を公開してきてあらためて分かった事がある。

それは、決して

・他の人とは一味違うnote攻略法
・半年で○○人フォロワーを増やす方法
・収益化のメリットデメリット
・読まれやすい記事の特徴○選

といった有益なノウハウ系ではなく。誰もが気軽に読める場所で、自分の気持ちを文章に起こして書く際の

責任と感謝

についてだ。

にゃんひーの中の人で「エトナシサラ」という名前で活動をしている私の言葉は

私の言葉が回りくどい理由|エトナシ サラ|note

の記事でもしつこく語った通り回りくどい事で知られている。

・笑顔が素敵→笑顔素敵

・無理しないように→無理しすぎないように

・睡眠を長くとればいい→長く眠ればいいと言うのは簡単だけど実際なかなか難しい人もいるかもしれないけど

・暖房をつけてあたたまろう→暖を取るのすら難しい人もいるかもしれないけどできる範囲であたたかくできますように

この回りくどさによって「インパクト」はなくなるし。「断言」をしないから説得力も落ちるし。「スマートな文章」とは疎遠になるからウケの悪いものが生まれやすい。事実、あまり注目されない。

逆に言えば、その3つの要素を携えて書くのが人気の近道でもあるのd――と、ここで注意。

私は以降、そういう人を否定しようとしているわけではないし、悪口を言って成敗しようとしているわけでもない。対立を煽らないし、押しつける意味合いもなく、全ては私自身の思いと願いを述べるだけ。

それだけは了承した上で、続きを読んでほしい。

「傷つかないため」でなく「傷つけないため」

先に紹介した別記事の内容と多少重なるけど、回りくどい文章は一つ所からだけの視点で書くのとは違って

各方面から読んでも傷つけづらい

というメリットもあると思っていて。だから、あえてやっている手法だったりする。書き言葉と話し言葉を交ぜて雰囲気を柔和にするのも同じくあえて。

そうする事で、もちろん100%ではないけど

「それができたら苦労しないんだよ!」
「なんで決めつけるんだよ!」
「当てはまらない私は切り捨てか!」

といったイライラを生み難い文章にはなれる気がするから。心理学として、カウンセラーの方が見てこの書き方がどうなのかは私には分からないけど。心理的リアクタンス(反発)が減るのは、たしかだろうなと思っている。

私自身、普段からカウンセリングというか相談に乗ったりする中でのやりとりに必ずこの伝え方を取り入れているし、反発でトラブルが起きた経験は今のところない。

「だから正解」とは言わない

けど、ひとつの例にはなる。

できる人側の視点だけではなく、それが難しい人側の視点も入れる事で、要らぬ対立・争いを生まなくて済むだろうし。

これを「逃げてるだけ」や「怯えてるだけ」と受け取る人もいるかもしれないけど、そうではない。私にとっては、物申す発信をする者として最低限の

配慮という「責任」

だと思っている。

表現を選ばないのも自由だけど、私個人は配慮するのが責任だと思っているから。選びに選びに選んで、とにかく

私ではなく
読む人の安全第一。

余計な感情を煽ったりしなくて済むなら、それに越した事はない。「こんな書き方だと違う角度で見ると嫌な思いをする人がいるかもしれない」と予想できる表現なら、できる範囲で極力変えたいなと。

「予防線だろそれ」

と指摘されたら、まさにその通り。これは立派な予防線だ。ただ、そもそも予防線とは傷つかないために逃げとして使うばかりではないのも事実で。

「傷つかないため」
ではなく
「傷つけないため」

に必要な場合もある。

だとすれば、予防線という名の配慮をしっかりした上で、読者の安全第一として言葉選びを丁寧に行い、発する責任の上で持論を書き記すべきだなと。

こう思うきっかけになったのは、noteを書いて感想をいただくようになったのも一因だ。「私には難しいですが」や「私はこう感じていたのでたしかになって思いました」などのコメントが届く中で、自分なりに

「どういう書き方をすれば
究極的に角の立っていない
まあるい文章になるのか?」

と考えて試行錯誤をしてたどり着いた。もっとも、この形が唯一の正解だとも思っていないけど。

全部あくまでも私自身はの話であって「最低限の配慮をしなさい」と他の人に押しつける気もないから、誤解なきよう念のため。

あふれる感謝を伝えやすい

文章を書き続けて分かったのは他にもあって、それが

感謝を伝えたい時に好きなだけ伝えられる事。

ブログでも同じではあるけど、こうした個人のスペースで好きなように書ける場所があれば、24時間関係なく思いを世に放てるわけで。しかも、同じオンラインでもTwitterなどと違うのは

文字数の制限が緩い

という部分。140字以内で「ありがとうございます」と感謝至極を伝えるのも可能だけど、noteではもっと長く長く長く伝えられる。しかも、利用者数の増加に伴って伝播力もすごいときている。

そこも、noteならではだ。

私自身オフラインでも執筆活動をしているけど、オンラインのように簡単に多くの人へ感謝を述べたり届けたりはできないから、これはもう間違いなく特大なメリットだろうと思う。

長めの文章をnoteで読み、ここのコメント欄や他の媒体のDMやチャットなどで反応や感想をいただけるだけでもありがたいのに。

そのお返しを好きなだけ伝えられる

なんて、最高でしかない。

3年半の記念日にこうして執筆できているのも、ひとえに読者のおかげだ。私の手柄ではない。私がすごいからではない。こんな回りくどい言葉を「サラさんの選び方が好きです」と

愛してくれるあなたのおかげだ。

だから、おめでとうの前に。

いつも本当に本当にありがとうございます。

まとめ

にしても、ここまで続けてきて我ながら本当に「書き方が変わったな」と思う。

始める前から思想自体は変わっていないし考え方にブレもないけど、確実に「細かい言い回し」「どの視点からも角が立たない言葉の選び方」の意識に変化はあったから。言わば、OSがアップデートされた感じ。

当時は、あまりに脆弱性がありすぎた。

その時の文章を見返すと恥ずかしいし、改善点ばかりが浮かんでしまうくらい。「お前はどの面下げて書いていたんだ?」と詰問したくなる。

だから、これから先「今の私ならこう書く」と思うものがあれば、反省を踏まえた上で再度お披露目するのもアリかもしれない。過去を活かした未来を作れるかもしれない。

――などと思い耽る雨模様の今日。

「丸4年の記念日です!」と報告できる時には、もっともっと丁寧な書き方ができるようになっているといいな。それまで、どうか温かく見守りながら私自身や私の書く言葉を推してくれるとエトナシは嬉しいです。

ていうか、よければどこまでもついて来い。

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