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対馬の海に沈む

さまざまな地域で、さまざまな仕事をしてきた。住みやすいという点では、ほど良く都市部から離れ、移住者が多い、人口5万ぐらいの街ではないだろうか。しかし、私には野性に乏しく、もっと辺境の地を求めるのだった。

都市にはない人付き合いは、温かくおおらかで、原初の私に還っていく。頭よりも体が資本の暮らしは気持ちがいい。一方で、慣れないムラ社会にも直面する。

温かく迎えてくれる善良な人が、同時に道徳や倫理に欠け、法に触れていることもある。矛盾したことが混然一体となり、本人に悪気はない。

『対馬の海に沈む』(窪田新之助著、集英社)を読んだ。JA対馬の職員が22億円を超える横領を犯し、車もろとも海に飛び込む。評判の良い人物は、借用口座と借名口座を使いまわし、偽の被害写真で共済金を引き出し、ロンダリングに明け暮れていた。

個人の犯行とされた事件に疑問を抱き、著者は取材を重ね、JAや住民の共犯性を明らかにしていく。関係者の多くは実名で記載されている。彼らは針のむしろに座し、今ごろどんな気持ちで、どんな行動に出るのだろうか。

本書を読んでも、私は暗澹たる気分にはならない。無駄だからである。読んだ後に対馬へ渡っても、きっと人は温かく、居心地も良く、いい旅になるだろう。移住して実りある人生を送ることだって可能である。

対馬だから起こった事件ではなく、どこでも起こりうる。地域よりも、組織の体質によるところが大きい。ただ、辺境における地域と組織は、血縁や地縁によって混ざりやすく、私も数々の犯罪を見聞きしてきた。横領、背任、詐欺、脅迫、贈収賄。

有害鳥獣駆除で仕留められたシカやイノシシは、胴体にスプレー塗料で日付などを書いて撮影し、写真と尻尾を提出すれば報奨金が支払われる。猟友会メンバーには、個体を裏返して別の日付を書き、別途調達した尻尾とともに提出して、報奨金を多重にせしめる人がいる。

消防団の活動は公務に準じ、自治体から手当てが支払われる。町内会費からも入る。団員個人に振り込まれず団の口座に振り込まれるため、団には会計担当者がいる。彼らの横領が後を絶たない。その後、市議会議員を務めている者もいる。

各種協議会にも公的資金が入ってくる。会長が私的流用しているのがばれ、少しずつ返していくことになった。自治体担当者も把握している事件だが、明るみに出ることはない。

日常的な些末な不祥事で、住民にとってはたいしたことではない。しかし、モンスターはそんな土壌から生まれるのではないか。寄付や募金、任意団体、公的性格が濃い団体は、自動的に金が流入する上に監査が甘いので不正の温床になりやすく、隠蔽されやすい。

この世に何の後悔もなく死んでいく人は、きっといない。記憶の刻印は消えることがなく、むしろ珈琲の苦味のように、人生に陰影と深淵をもたらす、ともに歩いていくもの。本人にはどうしようもできなかった後悔だってある。

後ろめたさは違う。犯す以上に隠している。公表し、謝罪し、償い、下りる。そうできれば、後ろめたさは消えて後悔になる。最初からやらなければいいと学ぶ。いつもびくびくして生きていくなんて、名声やブランドに身を包んでいても不幸だと思う。

後ろめたいことがない人生は、すがすがしく、風のような一生ではないだろうか。


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