まだ、この道歩けるんじゃない?
まだ何者かになれるかもしれないと思っていたのかもしれない。
力が漲っていた時期もあった。ゾーンに入れたこともある。
しかし、頭で考えてもその状態を再現することはできない。
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中日ドラゴンズの平田選手が今季戦力外通告を受けた。
実績、年齢からしても活躍の場が用意されてもおかしくなかったが、不運にもそのチャンスは訪れなかった。
不運という表現を用いたのは、本人としても「まだやれる」という気概もあり、第一線でできることがあると考えていたからだ。
平凡な人(世間の注目度が低い人)からすれば、十分なにかを成し遂げた持っている方という見方もあると思う。
平田選手は引退を宣言した。伝わってきたのは「感謝のコトバ」
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居場所は作るものだという考え方がある一方、もがき苦しんでもできないということも間違いなく存在する。
だから、自分は能力があり、助けているから必要とされてる。また、自己研鑽にも努めているからここにいれると思うのは、傲慢かもしれない。
場は人が作るものだから、場が人を必要とするかは人が決めること。
その一つとして大事なのが、可能性を感じる「ひたむきな姿勢」だと思う。
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自分が試行錯誤して歩んできた道の半ばで、目標を見失って活力がなくなってしまうこともある。
ただ、目標を見失ってしまっても、道は続いている。歩いていたら、新しい光が見つかるかもしれない。
みんなに遅れまいと全速力で先頭を走っていたら、そりゃ燃え尽きちゃうよね。
もう、みんなから周回遅れになってしまったかもしれない。
でも、戻る場所が用意されてるなら、また脱落してもいいからやり直してみよう。
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活力なんて湧かなくたっていい。閉塞感? 手も足も動くよ。
正攻法で勝てないと分かったら、隙間を狙おう。
隙間が広がってきたら、ぶち抜こう。ぶち抜けなかったら、違う隙間を探そう。
来年は今いる道の隙間探しだ。先に何があるか分からないから楽しいんだよね。
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