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【実録】よろしいか、お前は女に惚れてはならぬ。夭折の天才作家・北條民雄の、儚すぎる恋情

憎しみで終わった結婚生活

「死ぬ気で恋愛してみないか」

そう言った太宰治の名前を挙げるまでもなく、数多の文豪には燃え滾るような恋情のイメージが付きまといます。

今年1月、NHKの人気番組『100分de名著』で北條民雄という作家の「いのちの初夜」が取り上げられたことは、記憶に新しいことと思います。

19歳でハンセン病の告知を受け、病と闘いながら執筆活動を続けた若き作家・北條民雄は、短い生涯のなかでどのような恋をしたのでしょうか。
知られざる一面を紐解こうとすると、彼の作品が人々を魅了し続ける秘密が見えてきました。

僅か23歳で病没した北條ですが、実は発病前18歳の時に遠縁にあたる17歳の女性と結婚しています。発病後に記された短編「発病した頃」からは、「ままごと」のような新婚生活を楽しむ、微笑ましい様子が窺えます。

新婚の北條は風呂に入りながら、新妻を連れて東京観光をするところを夢想しました。


なんにも知らない田舎娘の彼女はどんなにびつくりすることだらう、電車や自動車にまごまごするに違ひない、すると俺は彼女の腕をとつて道を横ぎる、大きなビルディングや百貨店を彼女に教へてやる、すると彼女はどんな顔をして俺を見るかしら

「発病した頃」

ところが、幸せは長くは続きませんでした。身体のなかでは、すでに病菌が「準備工作」を始めていたのです。

風呂場の入り口から聞こえる「(背中)をお流しませうか」という妻の申し出を、北條は慌てて拒絶します。骨と皮ばかりに瘦せこけた身体を見たら、きっと妻は自分に失望してしまうだろう。それがとてつもなく怖かったのです。

直後、北條はハンセン病の告知を受けました。妻がどのような反応を見せたのかは知られていませんが、のちに妻が病死したことを知らされた北條は、日記に「あんなに得体の知れぬ、そして自分を裏切った妻」と記しています。
※以下、引用はすべて「日記」(『北條民雄全集』下巻)より。

発病によって、ふたりの愛情が失われていたことが想像できます。

「癩者の世界では女は王様」

 北條が生きた時代、患者たちの人権は「癩予防法」によって奪われ、隔離施設での生活を余儀なくされていました。院内には学校から墓場までがそろっています。患者たちにとっては、脱走防止の柊の生垣で囲まれた範囲が、自分たちの世界のすべてでした。

北條が暮らした全生病院には女性患者が少なく、男性患者の三分の一程度しかいませんでした。そのため、男性患者たちは女性に興味がないような素振りを見せながら、内心はその顔色ばかりを窺っていたといいます。北條は院内の様子を、「癩者の世界では女は王様」だったと記しています。

もちろん、女性との関わりに一喜一憂するのは、北條自身も同じでした。院内を俯瞰するような老成した視点が目立ちますが、北條は20歳ばかりの青年に他ならなかったのです。

友人から、「北條さんて、とても朗かな、今にも笑ひ出しさうな方に見える」と言われていたことを知った北條は、「苦笑せざるを得ない」としつつも、どこか嬉しそうな様子でそのことを日記に書きつけています。

北條はしきりに零します。

「ちよつと恋をしてみたいやうに思われる」

彼には、夢がありました。院内一の親友・東條耿一の妹を自分の妻として、のちに東條と結婚する女性と、草津で四人暮らしをするのです。
北條が結婚に安らぎを求めていたことは論を俟ちませんが、同時に結婚に対する欲求には、ハンセン病患者特有の問題も関わっていました。
北條が何よりも恐れていたのは、失明して執筆ができなくなることでした。
「結婚すれば盲目になつても代筆して貰へば小説は書ける」という思惑があったのです。

ところが、北條に結婚を踏みとどまらせたのも、同じくハンセン病でした。結婚したいと記した翌月、撤回するかのようにこう記します。

「自分はひそかに思つてゐる、口には出さないが、生涯独身で暮らしたいと」

彼は万が一子どもが出来たとして、病が伝染ってしまうことを恐れていたのです。「最早断種以外にないのである」とも考えますが、今度は断種が頭脳に影響を及ぼし、思うように執筆できなくなることを想像し、強く怯えます。

北條作品が人々を魅了し続ける秘密

何れの道にも進みかねる八方ふさがりの状況のなか、北條は懸命に自分の気持ちを押し殺そうとしました。

「よろしいか、お前は女に惚れてはならぬ」

23歳の北條にとって、これは身を斬るほどつらい決意でした。

「酒、女、菓子、果物、本、人形、その他何でも欲しい。欲しくてたまらぬ」

若い欲求はそう簡単には収まりません。そこで、彼は自分が愛情を欲するのは病気による寂しさが原因に違いないと納得しようとし、何度も自分に言い聞かせます。

「恋をしてはならぬのである。青春の血を空しく時間の中に埋めねばならぬのである」

結婚に対する北條の相反する意志は、彼の文学性をよく現しているといえるでしょう。北條作品のミソは、強く反発しあうふたつの意志にあったのです。

文学との向き合い方に関しても、同様の図式が見て取れます。
熱っぽく「書くことだけが自分の生存の理由だ」と書いたと思えば、「文學など、消えてなくなれ!」「気が狂ひそうなんだ。小説を書くなど、もう止めようと思ふ」とすぐさま否定します。

結婚、文学、病友、自殺……。北條はあらゆるものに凄まじい熱量で恋焦がれては、それを上回るような熱量で突き放します。
刃は己にも向けられました。

「世の中で一番不快な人間は、それは自分。世の中で一番愛する人間は、それは自分」

北條作品に底流する一番大きな反発は、病気を受け入れて全生病院で生涯を過ごそうとする意志と、健常者でありつづけようとする意志といえるでしょう。さまざまな反発しあう意思が、強力なバネとなり、凄まじい作品を生み出したのです。

北條の持つむき出しの情熱は、決して時代に淘汰されることがありません。
だからこそ、100年を経たいまでも読む人の胸を打つのです。

北條は自分に課すかのように、記しています。

凡てに対し、情熱的たること。
情熱をもつて個我を守れ――。
(円)


北山:1994年生まれ。ライター。「文春オンライン」、「幻冬舎plus」、『歴史街道』などに寄稿。文系院卒。現在は紫式部に関する書籍を執筆中。署名は(円)。

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