芸能人妻、デビューします!出会い篇
~出会い篇~
結婚して5年、夫とは離婚を考えている。
出会いは7年前。学生時代のアルバイト先であるカフェにそのまま就職した私は、当時23歳だった。
裏口の鍵を開け、サクッと着替えてブラウンのエプロンを身につける。腰紐をキュッと締めると、7時。
私の朝は始まる。
「聖和(せな)さん、おはよーございます」
エスプレッソマシンの電源を点け、朝一のドリップコーヒーを淹れてテイスティングをしているとバイトたちが出勤してくる。
「おはよう」
とだけ返し、またひと口コーヒーを含む。今日も上出来。
開店は7時半。あと15分ほどなので前日仕込んでおいたケーキなどをショーケースに並べる。
ケース内のライトを点けるとキラキラと輝くケーキたち。
「よし、今日も可愛い」
朝の時間帯はモーニングかドリンクのみが多い。
モーニングとはいっても、トーストかサンドイッチのみのシンプルなメニューで、作るのは大して手間ではない。 そして少しだけだが近所の美味しいパン屋さんのパンも並べている。食パンもそこのお店から配達してもらっていて、どのパンも美味しいからおすすめだ。
キッチンの準備が終わり、客席をぐるっとまわりゴミが落ちていないか、汚れていないか、備品は整っているかを確認し開店2分前。
「フロアオッケーです」
そう声をかけると他のスタッフが店内の照明を点け、BGMもオンにする。いつもの、優雅な朝に合う音楽。
よし、頑張ろう。
開店1分前。
「開店します」
入口の鍵を開け、扉を開く。
「おまたせしました、おはようございます」
「おはよう」
早朝7時半、朝早く来るのは決まって常連さんたち。
大体決まったメニューを出し、軽く会話をしていたらいつの間にか9時をまわる。
朝のピークを過ぎると、食材や包材の在庫をチェックしたり細々とした掃除や片付け、仕込みなどをする。
次のピークは11時を過ぎた頃なので、それまでに。
10時前になると店長がやってくる。大体その時間を見計らって電話が鳴る。
『配達頼める?』
声ですぐわかる。いつもの、ね。
「はい、大丈夫ですよ。今日もポットですよね」
『うん。入口ついたら電話鳴らして』
「わかりました」
電話を切り、コーヒーを落とす。
「店長、配達行ってきますね」
表に出てきた店長にそう伝える。
「了解。ついでに休憩も行っちゃって」
「わかりました。いってきます」
店の裏に停めてある配達用のバイクに跨る。
ほぼ毎日なので、この都会を走るのは慣れた。高いビルに囲まれながら風を切って走るのは、気持ちがよい。
配達先の某事務所に着き、裏口へ向かう。着いたと連絡を入れたら、手が離せないので中まで持ってきてとのこと。
警備を通り、ゲストのタグを首からかけて建物内を歩くと、すれ違うのは綺麗な人たち。さすが、芸能事務所。
「おつかれさまです」
そう声をかけながら目的地へ向かう。
地下に降り、3番目の練習室。コンコンとドアを叩くと開けてくれたのはいつもの、畝川唯希(せがわいぶき)さん。
「お待たせしました、ドリップコーヒーお持ちしました」
「ありがと。とりあえず入って」
「おじゃまします」
いつも畝川さん1人で練習室を使っているのに、今日はメンバー全員が集まっていた。
彼らはもう少しでデビュー3年になるアイドルグループStilla(スティッラ)だ。
「こんにちはー」
「コーヒーきた!」
「ナイスゥ」
大きな鏡の前で踊っていた彼らが集まってくる。
タオルで汗を拭いているだけでも様になる、かっこいい。
「なーに、いつも俺だけのときとは違う顔してんじゃん」
「いえ、勢揃いで圧倒されてただけです」
隅にある机の上にポットやカップを並べる。
「えー、俺だけじゃオーラないってこと?ショックー」
なんていいながら、いつも通りドリップコーヒーにミルクをたっぷり入れている唯希さん。
「みんなも飲んでよ!羽澄(はすみ)さんはこのへん座っててよ」
「おー!ここがお前のおすすめの店か。へー」
「すぐ近くだからいつも配達してもらってる。Mezzaluna(メッザルーナ)ってカフェ」
「ブラック飲めないくせにな」
「うるせ」
「羽澄さん、だっけ?コーヒーいただきます」
「あ、はい。どうぞ」
皆が仲良くわちゃわちゃしている姿はずっと見ていられる。
まだ戻るまで時間があるし、ありがたく座らせてもらうことにした。
コーヒーを飲みながら軽くミーティングをして、また鏡の前に戻る彼らはやっぱりかっこいい。
「今からやるの新曲だから、秘密ね」
と、カップを置きに来て教えてくれたのはリーダーの渕本嵩良(ふちもとたから)さん。
アップテンポな曲にピシャリとハマった振りが見ていて心地よい。そして、全員の動きが足音まで揃っていて完成度の高さに驚かされる。
「アイドルって凄い」
「はすみーん」
店長の侑那(ゆうな)さんに呼ばれた。
「どうしました店長」
「なーんか天気悪いねぇ」
「風も強いし雨降りそうですね」
「看板と旗、飛ばされないように中に入れといて」
「わかりました」
お昼までは良かった天気が、急に変わって一気に曇り空に。天気が変わりやすいのは春っぽい。
「ちょっと寒いなぁ。夏服に変えるの早かったかも」
腕をさすりながら店前に出していた看板たちを仕舞っていると、誰かの靴が視界に入った。
「あの、今日はもう終わりですか」
「いえ、20時までやってますよ」
そういいながら顔を上げると、その人は英稔紀(はなふさなるき)さん。彼もstillaのメンバーだ。
メンバーの中で、1番最初に認識したのは彼だ。
まだデビューする前、彼は私が中学生の頃から好きだったファッションモデルのMaiさんと熱愛が報じられた。そして、彼らが破局した途端Maiさんは活動休止した。
その印象が強くて、私は彼のことを良くは思っていない。
げ、と思いながらも接客スマイルを作った。
「英さん。いらっしゃいませ」
「どうも」
「お好きな席へどうぞ」
ほとんどお客さんがいない静かな店内に通すと、彼はカウンター席に腰掛けた。
「ホットコーヒー、お願いします」
「本日はエチオピアですがよろしいですか」
「はい」
英さんの目の前でドリップする。じーっと見られているのを感じながらも、集中。
挽きたてで新鮮な豆だから、もこもこと膨らむ。
毎回かわいくて仕方がない。思わず顔が緩む。
「好きなんですね、この仕事」
「あ、はい。学生時代からずっとここで働いていて、もう5年目になります」
「長いんですね」
「そうですね。英さんは、ラジオ帰りとかですか?」
ここはラジオ局も近く、芸能事務所もいくつかあるので芸能人がよく来店する。
「うん。さっき収録が終わって空き時間。ちょうど事務所に向かう途中だったから寄らせてもらったんです」
「おまたせしました。エチオピアです」
「いただきます」
きれいな手でマグを持ち、コーヒーを飲む英さん。
きれいな肌に、すっと通った鼻。女装しても違和感のなさそうなきれいな顔をしている。恨んでいる相手だけれど、すごく好みの顔だ。この鼻を滑り台にしても良さそうだななんて思って見ていると
「これ、前のやつと味違いますね」
「はい。いつも唯希さんに持っていくのはブラジルや深煎りで、ミルクに合うものにしているんです」
「へぇ」
「お口に合いませんでしたか」
「ううん、これも美味しい。コーヒーは好きだけど銘柄とかあんまり気にしてなかった」
「産地によって全然味が違うんですよ。日によって違う豆をお出ししているので、お好きなものを見つけてみても楽しいですよ」
「聖和さん、最近stillaの英稔紀よく来てますよね」
お昼のピークを過ぎ、ゆったりとした時間が流れる午後2時。食器を拭いていると話しかけられた。あれ以来、英さんは何度かお店に来てくれている。
「お客さまだから、さん付けして呼ぼうねフミちゃん」
彼女は2歳下でフリーターのフミちゃん。歴は私と同じぐらい。時給の良い夜の時間帯を中心にロングでシフトに入っている。
「はーい」
「それで?」
「聖和さんがいない時も来るんですけど、その時はテイクアウトですぐ帰っちゃうんです。絶対聖和さん目当てだと思うんですよね」
「まさかぁ偶然じゃない?」
「聖和さん以外とはほとんど会話しないんですよ」
「人見知りしてるだけなんじゃないの?」
「話しかけても、うっす、とかまぁ、みたいな返事しか返ってこないんですよー」
「そんなもんじゃない?英さんって」
「話してる時、目合います?」
「合うっていうか、視線はすごく感じる」
「でしょー!私なんかいくら見つめても目があったことなんてないんですよ」
「フミちゃんは目が大きいから見つめられると圧がすごいの。程々にね」
「えー。ぜーったい聖和さん目当てですからね!相変わらず人気すごくて羨ましい」
「そんなことないって。フミちゃんだってタカシゲさんに気に入られてるじゃん」
「タカシゲさんはおじさんじゃないですかー若いイケメンがいいです」
「そんなこと言わないの。いつも大口注文してくれてお店の売上に貢献してくれている常連さんなんだから」
「イケオジではあるけど、私もアイドルや俳優に気に入られたいんですって」
「はいはい、それならもう少し話しかけるの控えようよ」
「お喋りするの楽しいんですもん」
と言って、入店してきた常連さんのオーダーを取りに行った。
「羽澄さん」
今日もポットの配達。畝川さんがニヤニヤしている。
「最近、うちのナルが通ってるみたいですね」
今日は畝川さんひとりで練習室にいる。一応ダンス担当で、フォーメーションや振り付けなども考えているらしい。
「はい。よくいらっしゃいます」
「なんかさぁ、俺の行きつけだったのに奪われたーってかんじで悔しいわ」
「そんなことないですよ」
「コーヒーなんか味はどうでもいいって言ってたナルが、あの豆美味しかったとかって言ってるのビビったよ」
「それは嬉しいです。畝川さんも、たまにはいらしてくださいね」
「ナルがいなさそうな時を狙っていくわ。俺、おじゃま虫になりそうだし」
「いえ、そんな」
「ねぇ」
「はい」
「羽澄さんはナルのことどう思ってる?」
「え?」
「あいつすっげぇ分かりやすいのよ」
「顔には出やすいですよね」
「そうなの。多分俺以外も気づいてると思うんだけど、羽澄さんのこと気になってると思うよ」
「なんかそれ、同僚にも言われました。私以外にはそっけないからきっと私目当てだって」
「まじ?大丈夫かあいつ。一応アイドルだろ」
「どうなんでしょ。元のイメージはそんな感じでしたけど」
「んで、どう思ってる?羽澄さんは」
「うーん、可愛い人だなとは思いますよ。お顔もきれいで見ていて癒やされます」
何度もお会いするうちに、英さんは不器用で表現は下手だけど、優しくて愛情深いことがわかった。
メンバーのことも大切に思っていることが伝わってくる。
「うん、顔がいいよね。俺もあの顔好き」
「でも」
「でも?」
「芸能人とお付き合いするのは、もういいかなぁって」
2年前まで私は、俳優の吉野友亮(よしのゆうすけ)とお付き合いをしていた。同い年、同じ大学の同級生だった彼とゼミで仲良くなってそのまま。
昔から好みの系統は同じ。きれいな顔、落ち着いた雰囲気のある人を好きになっていた。
彼は出会った頃から既に芸能活動をしていて、少しずつ人気になり始めていた。そして、お付き合いに発展した頃にはドラマ出演を果たし、学内でも声をかけられるようになった。
そうするとどうしても、一緒に並んで歩けないし、外で会うこともできない。
〈聖和、今夜行く〉
そうメッセージが来て、デートするのは決まってどちらかの家。
ご飯を食べて、映画を観ながらお酒を飲み、溶け合って朝が来る。ただ、それを繰り返すだけ。
私はどうしても外で会いたくて、でも会ってもらえなくて。
遠方で彼が撮影すると聞いて、旅行を兼ねてこっそりついていった。マネージャーさんから打ち上げの場所を聞き出し、向かった。
お店から彼と─綺麗な女の人が一緒に出てきて、そのままホテル街へと消えていった。
それを見て思わず写真を撮った。
〈友亮、今どこにいる?〉
そう送ってもなかなか返信が来ない。
〈ごめん、さっきまで撮影してた〉
2時間後に返ってきたのは嘘のメッセージ。
〈嘘でしょ。私さっき女の人とホテルに入るの見たよ〉
と、証拠の写真を送る。
プルルルと電話が鳴り、
『違うんだ、あれは』
焦った声が聞こえる。
「何が違うの?ホテルに入ったのに何もありませんでしたなんて誰が信じるの?もう終わりにしよう。さようなら」
その後、彼は週刊誌に何度か撮られて大炎上。お相手はあの1人だけではなく、何人も。
『聖和、お前が週刊誌に売ったんだろ』
「は?もうあんたのことなんてどうでもいいから。そんなことに私の時間使わないし」
怒りの電話がかかってきたからブロックしてやった。日頃の行いが悪い、恨むのは自分だけにしておいてよ。
どうせまた、私は外で会えないことに辛くなる。
会いたい会いたいとせがめば、重いと言われ嫌われるだろう。だからといって、会うたびに体を重ねるだけじゃ愛を感じられない。それなら、割り切ったそういう関係であるほうがマシだと思う。
色んなものを見て、経験して、共有して、笑いあいたい。ドライブするだけでもいいから、身体を重ねること以外で愛を感じたい。
「そっか」
「はい」
「ナルには言わないけれど、あまり傷ついてほしくないからね、そこだけは頼むよ」
「優しいですね、畝川さん」
「惚れた?」
「じゃ、失礼します」
愛想笑いだけして、私は練習室を後にした。
ピコン
早番の仕事が終わり、スーパーで食材を買い込んでいたら友人の陽歌(はるか)から連絡が来た。
〈今夜駅前の居酒屋で飲むんだけど、聖和も来る?真裕(まひろ)来るよ〉
2人は元々お店のお客さんで、通ってくれているうちに仲良くなった。2人とも職業は違うけれど綺麗なお姉さんで、よくしてくれている。
〈行く!場所送っておいて〉
楽しみ。久しぶりに会える。
早番だと16時に上がれる。お客さんが多すぎて捌けないときや、片付けが残っているときは少し残業になるが、何時間も残る日はない。
ゆっくりお買い物をし、家の片付けや作り置きをしていると約束の時間が近づく。
久しぶりに2人に会える。とても楽しみなのでメイクにも力が入る。きれいなお姉さんたちに並んでも見劣らないよう、きれいめに。
通勤用のカジュアルな服から夜の街に溶け込めるような、都会のお姉さん風のお洋服に着替えると、我ながら良いと思う。
「「「おつかれー」」」
ビールジョッキを合わせ、グビグビと喉に流し込む。
「久しぶりだねこの3人」
「そうだねー聖和はどうなの、最近」
「特に変わらず、かなぁ」
「そういう陽歌はどうなの」
「仕事は忙しいけど、家に帰れば彼がいるから幸せだよ」
陽歌は同棲している彼氏がいる。
「続いてるんだ、長いねぇ」
「真裕は?」
「んー、多分このまま結婚するかも」
「え、おめでとう」
「めでたいねぇ」
「その時は報告よろしく」
「もちろん」
「で、聖和は?良い人いないの?」
「うーん、出会いがなくて。前の人と別れてから1年くらいいないなぁ」
自分磨きのために通っていたジムで知り合った人とお付き合いしたけれと、長続きせず別れた。それ以来、もう1年も彼氏がいない。
「嘘だー、あのカフェ芸能人たくさん来るでしょ」
「そうだけど、芸能人以外がいいんだよねぇ」
「こーんな可愛い聖和を放っておくなんて、勿体なさすぎるよ」
「じゃあさ、最近は誰が来た?芸能人」
「えーそれは言えないよぉ」
「何系?」
「某アイドルさんとか、某芸人さんとかかなぁ」
「その中で、頻繁に来るのは?」
「某アイドルさん」
「かっこいい?」
「うん。きれいな顔してる」
「えーいいなぁ」
「二人共彼氏いるじゃん」
「それはいいじゃん、癒しだよ癒し」
夜もふけ、3軒程はしごした後、おひらきになった。
「聖和、良い人見つけろよー」
完全に酔っ払っている陽歌は、迎えに来た彼氏に連れて行かれながらそう言った。
「芸能人だって人間なんだし、恋愛くらいしても良いと思うよ。ちゃんと好きになった人ならね」
と、真裕。
「うん、ありがとう」
芸能人も、人間か。英さんは、友亮とは違うのかな。そうなら、なぁ。
と、いつの間にか英さんのことを考えてしまう。
「ちょっとだけ、考えてみようかなぁ」
なんやかんや、英さんがお店に来るようになって1年半ほど経った。彼から好きだと言われたことはないが、連絡先を交換して食事をしたり遠出したりを何度か。
私なんかが行けなそうな高級そうなお寿司屋さんや、個室のある焼き鳥、焼肉など。やっぱり芸能人、アイドルだから見つかっちゃまずいんだろうなぁ。
そう思いながら私も目立たないように過ごした。
「凄いですね、こんなお店を知ってるなんて」
「先輩に教えてもらったり、連れて来てもらったお店ばかりだよ」
同じ事務所のに良くしてもらっている先輩が何人かいるらしく、こういったお店はよく来るようだ。
ある日、映画のレイトショー。いつものように、同じ回を少し離れた席で見た。その後、
〈お店予約してるからタクシーでついてきて〉と、メッセージ。
「いらっしゃいませ」
そこは、英さん以外だれもお客さんがいなかった。
小さな、イタリアの家庭料理が食べられるお店。おしゃれだけどカジュアルで、気取らなくて良さそう。
「貸し切りだから」
この状況で、察しないひとはいないだろう。
正直、ドキドキしすぎて美味しいはずの料理の味が分からなかった。出されるお酒を水かのように飲んでしまい、若干ふらふら。
お酒はあまり飲まないという英さんは、ちびちびと1杯だけスプマンテを飲んでいる。デザートまで平らげて、最後にエスプレッソまで飲んだのに、酔いは醒めない。
「聖和さん」
「はい」
やばい。ふわふわする。
「大変な思いをさせてしまうかと思いますが、僕と真剣にお付き合いしていただけませんか」
私の返事は、もちろん─
「はい」
もうそこから、全然覚えていない。
朝起きると、自分の部屋に戻っていた。起き上がろうとすると頭がガンガンする。
夢かな、なんて思っていたら、
〈飲み過ぎだよ。程々にね、彼女さん〉
と、英さんからメッセージ。
〈英さん、ご迷惑おかけしましたすみません〉
と返信すると
〈恋人なんだから敬語は禁止。あと、英さんって呼ばれると距離感じるから稔紀とか、下の名前でよんでよ〉
夢じゃなかったんだ、幸せ─
付き合いだして稔紀さんは、頻繁に会ってくれている。
雜誌などでは、〝基本一人が好き。自分の時間を大切にしたい派〟と答えているのに。
連絡だってあまりこまめにはしないはずの人が、〈おはよー今夜晩くなるけど行っていい?聖和明日休みだよね?俺もオフ〉
なんて送ってくる。可愛い。
相変わらず一緒に外出は殆どできない。日中はどうしても見つかるので、夜の海に行ったり、誰もいない公園で手を繋いで寝そべったり。
旅行するなら海外にでも行こうと話をしていたり。
そんな中、今日もstillaの事務所へコーヒーの配達。
今日は畝川さんじゃなくて、稔紀さんからのオーダーで、豆は彼の好きなエチオピア。
今日もいい天気で、風をきってバイクを飛ばすのが心地よい。
信号待ち。ぼーっと空を見ていたら、キキーッという音が聞こえて、そこから私の記憶は無い。
彼女の働くカフェから連絡があった。
『英様申し訳ございません。トラブルにより配達が遅れております。今回は別のスタッフがお届けに上がります』
遅いなと思っていたが、トラブルってなんだろう。
「あの、羽澄さんはどうされたんですか」
『あ、えっと、詳しくは分からないのですが、配達中に事故に遭ったらしく、店長がこれから病院に向かうようです』
「え、事故?聖和は、羽澄さんは大丈夫なんですか」
『詳しくは分かりかねます』
「店長さんに代わってもらえますか」
『少々お待ち下さい』
電話の奥から、「てんちょー、ちょっと待って!電話!」と叫ぶ声が聞こえる。
『はい、お電話代わりました』
「すみません店長さん。英です。羽澄さんが運ばれた病院を教えてください。お願いします」
『こういうことはお伝えできないんですが、英さんなので教えますね。お店から一番近い総合病院です。それだけ、お伝えしておきますね。くれぐれも騒ぎにならないようにお願いします』
「はい、ありがとうございます」
電話を切り、メンバーに
「ちょっと出てくる。詳しいことは後で連絡する」
とだけ伝え、タクシーに飛び乗った。
病院に着くと、店長さんの姿があった。目が合ったので会釈をする。
「羽澄さんは、大丈夫ですか」
「私も今着いたばかりで、詳しいことは」
と、曖昧な表情をされた。
すると、処置室から看護師さんが出てきた。
「羽澄聖和さんのご家族の方はいらっしゃいますか」
「聖和は大丈夫なんですか」
「ご主人ですか」
「いえ、」
「ご家族の方は」
「ご両親は関西に」
結局、上司である店長さんが話を聞くことになった。
店長によると、配達用のバイクで転倒した聖和は頭を打ち、軽い脳震盪をおこしたようだ。少し気を失っていたが、今は意識はあるらしい。
店長さんと共に、聖和の病室を訪れると、ケロッと元気に笑っていた。安心してベッドに崩れおちると、店長さんが
「ごゆっくり」
と言ってカーテンを閉めてくれた。
「体調は、どう?痛いところは?」
「なんともないよ」
私は、配達中にバイクで事故に遭ったらしい。
目が覚めると病院のベッドの上で眠っていた。大した怪我は無いけれど、左腕を軽く切ったみたいで、出血していたらしい。縫うほどひどくなかったみたいで、傷跡も残らないみたい。
いつもの癖で左手で髪を耳にかけると、包帯が見えたようで稔紀さんにつかまれる。
「なにこれ」
ちょっと怖くて、顔がこわばってしまう。
「いたい」
「あ、ごめん」
手を離されたが、赤く手の跡が残っている。
「倒れたときにちょっと切れたみたい。別に大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
突然引き寄せられたと思ったら、いつの間にか稔紀さんの腕の中にいた。
「めちゃくちゃ心配した」
「ごめんって」
腕の力が緩み、顔が見えるようになる。
「聖和」
「ん?」
「結婚しよう」
「え、な、」
「俺は聖和を離したくない」
「それは、嬉しい。ありがとう。でも、大丈夫なの?アイドルでしょ」
「あ、」
「思いつきで言った?」
答えを聞く前に、彼はいつもの癖でスマホを開いた。
「やべ。戻るわ」
大量に連絡が入っていたみたいで、急いで帰っていった。
たぶんこれが、プロポーズ。
「はすみん」
「侑那さん、ご迷惑おかけしました」
「んーん、大事じゃなくてよかった。でも配達はしばらく他の人に任せようね」
と、私の左腕を見て言う。
「はい」
離したくない、そう思ってくれた彼は幻だったのかな。
noteの創作大賞2024に参加予定です。
フォロー、いいね、シェア等で応援よろしくお願いします!
SNSのフォローもよろしくお願いします!
X(旧ツイッター)
https://x.com/eri_hanil?t=k8OolO_FEgs1Mjuhi43gow&s=09
インスタグラム
過作品も読んでみてください.