登山をすることは自分の感覚を磨き、自分を信じる力をつけることに繋がる
山を進んでいくときの目印は、国によっても地域によっても山によっても違う。最初は目印は知らずに進んでいく。進むにつれて、『ここではこれが目印だな』と感覚的に感じるものが見えてくる。そして、その目印を探しながら、進んでいくようになる。木にも足元にも集中して歩いていく。五感を集中させる。
舗装されていない登山道では、次の目印を見つけるまで、『本当にこれで合ってるのか?』と不安に思いながら、進む時もある。焦っているときは、目印は見つからない。だから目をつぶって深呼吸する。そしたら、目印が見えるときもある。落ち着いて見るか、焦って見るか、景色は違うものになる。
次の目印まで道を進むとき、不安や恐怖も感じながら自分を信じる力が必要になる。まさに自分の人生と同じ。そして目印が見えたとき、喜びと安堵がある。
不安の中、後ろを振り返ったり、横を見てみると、進んでいたときは気づかなかった目印が見えることもある。歩んできた道は間違ってなかった!合っていた!と、また喜びと安堵を味わう。
これらを数分おき、数mおきにしているのだから、本当に人生のようでおもしろい。
進み出して、踏み心地がふわっと軽いときは、道を戻ってみる。人が通った登山道は硬いから、ふわふわしているのは、人が踏んでいないということ。人が踏んだところは、雑草が生えていない。だから雑草が多く茂っているところは、人が通っていないということ。視覚や足の感覚で、進む道が合ってるかどうか感じる。
違和感を感じたときは、道を戻り、前回の目印のところから、『ここが道だ!』という思い込みを外して、ニュートラルに道を眺めてみる。そしたら、登山道が見えてくる。
登山経験も少ない私は、コースからは外れないように心がけている。遭難はしないように最善の注意を払う、自分の安全は自分で守る。自然の中では、ちょっとした大丈夫だろうという心が、大きな災難をもたらすこともある。いつだって危険と隣り合わせだからこそ、自分の感覚を磨いて、自分の安全を自分で守る。そして、大自然の中、進んでいくには自分を信じる勇気も必要。登山をすることは自分の感覚を磨き、自分を信じる力をつけることに繋がる。それが人生を生き抜く力になっていく。