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古来の日本神道―神ながら―
今回は、古来の日本神道、という話を記します。
見失われた古来からの神道について、皆様に伝われば幸いです。
古来の日本神道:大倭/神ながら
大倭/神ながら、ということについて記す。
大倭/神ながらとは、ということを簡単に述べれば、
どちらも神道用語、日本独自の宗教とされる神道のもの、である。
注釈:仏教僧侶がなぜ神道?
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「仏教の僧侶が、なぜ神道を?」と思われるかもしれないが、
仏教と神教とは実は異ならないということは他の執筆に記すところである。
少なくとも、仏教と神教というものは表裏一体のものであるということは言えるとして、
さらに一歩進めば、「宗教は(正しいものに限って)一つである、でなくてはならない」ということも常々、伝えるとおりである。
宗教といえば、現代―長い歴史からみればこの一瞬でしかない時期―においては、
心のツールだとか、昔の人の合理的な生活基準などとして認識しなおそうという向きがあったりするが
れっきとした真実というのが真相であり、決してそのようなものではないのであるが、
宗教が真実であるとすれば、あらゆる宗教が真実であるとすれば、真実は一つであって、複数別の真実があることなどないから、実は一つであるということでなくてはならない。
日本では少なくともそのような認識が当然のごとくになされ、「神仏習合」といって、「日本の神道とインドから来た仏教とが実は一体のものの別の姿である」として理解されて、
日本人の精神文化の基盤として底流してきた。
それが明治になって、西洋文化の流入や、
国家の新体制の都合などから分離されてしまい、
神道と仏教とが全く別々に日本に存在するかのような錯覚を引き起こしている。
このことが、日本人の宗教に対する理解を破壊しているとも言える。
「神道と仏教が実は一体のものの別の姿である」ということが、間違いないく真実であって、わたしはこれを肌身からもよく理解するところであり、「むしろ肝要ですらある」、ということを伝えようとするものである。
そこで神道の内容を片面として伝えるものである。
日本では神道、世界各地に神教
日本には、古く―いつからか分からないほど―から「神道」と後に呼ばれるものが存在してきた。
これは日本だけのことではなく、世界各地の人類集団において、今にいうところの「宗教」のようなものがあった中の一つであるといった方がよいと私は思うものである。
そして、世界各地の人類において見られた「宗教」のようなものは大体、人類地上生物などに対して「超越的な存在」を認識してこれを崇拝するようなものであって、それは凡そ「この世界を創造育成する」というようなものであって、その繁栄をもたらしているような「繁栄の主」のようなものであって=いわゆる「神」としてイメージされるようなものが通底していると、私からは言うことができる。
無論、ここには宗教的立場が様々にあることから、「神」の一言でそれら全ての宗教を統合的に理解することなど不可能であるという主張をする者もいることと思うが、私は私という立場からこれを言うものである。
そのような「世界の創造育成をする」「繁栄の主」のような「神」というようなものを拝む「神教」というべき宗教が世界人類各地に芽生えたものであって、日本には今に「神道」と呼ばれるようなものが、太古のときから芽生えて底流してきたのである。
神道は見失われてしまっている?
このように「神道」というものが存在してきたのであるが、「神道」というものは今では日本人において知られているようで、もはやほとんど上辺も上辺のかすかな程度が知られる程度となってしまっているというような現状となっており、もはや誤解の形成物となっているという状態である。
例えば、参道の真ん中を歩いてはならない、5円の賽銭が縁起がよい、などいつの時からか降って湧いたような何の宗教的本質もない上辺も上辺だけの形式に埋めつくされてしまっており、本来の神道というものは遠く底に沈みきっているか、酷い場合には消失してしまっているとすらいえよう。
それもこれも、宗教というものを素直に見つめられなくなった結果であり、宗教を純粋に宗教として理解しないがために、勝手な形式などが覆い尽くして、見失われ続けたことによる。
宗教というものは、学問として客観的に知るというような営みから知っても構わないが、それはあくまでスポーツを工学的理論からだけ理解してみようとしたようなものであり、スポーツ選手本人が本当に理解するようなものとは別であると言わざるを得ない。そうした内実と、客観的なものとがすり合わされるならば、その真価を発揮するであろう。
宗教は宗教として純粋に理解してこそ、その内実が知られるのである。
そのようにして「神道は理解がほとんど見失われてしまっている」のが概ね実情である。
本当の内実が見失われて、形式が成立するほど、中身はさらに見失われて、形式ばかりがさらに発展していき、気付けばその中身は相当に変形してしまうものである。このようにしてあるのが現代のほとんどの神道のすがたである。
そこで本当の神道というものを、伝えなおしたいのである。
それは真実であり、生活の実際となるものであり、精神的技法だとか、古代人の科学以前の工夫だとかいうものではないのである。
この命に、世界に、そのまま真実としてある「真実」である。
神道が見失われたということの根拠・理由
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「神道」というものは、いつから存在してきたのかもわからない。
日本神話には一百七十九万年などという数字が登場したりするがそれは神話数字(方便で与えるだけの数字)でしかないとして、下手すれば原人旧人の頃、或いは縄文時代といった頃からであろう。
そのはじまりは考古学などから明らかになるところではないが、おそらく「死後の認識」などが生まれたりしたことなどがあったりして、そうした「神秘的領域を認識する」なかで"埋葬・祖霊供養"や"自然信仰"などから、世界各地で似たような「原始宗教」が発生したものであろうと私は理解する。
そして日本では縄文時代、一万年前などにははっきり共有されていたものであって、日常の常識として、生活そのものとして存在してきたようなものであろう。
ところが現代に見る日本神道は、実はこの「古来からの神道そのものとは異なっている」であろうと私などは理解するのである。
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この現代の日本神道というものは何に依拠しているかといえば、その大きな一つとして『日本書紀』『古事記』(『記紀』という)という書物があるのであり、多くの日本人が教科書で耳にしたことくらいはあるかと思う。
この『記紀』には宇宙開闢からはじまって日本の太古からの史伝が記されており=これがいわゆる「日本神話」であって、今に見る日本神話はこの内容をそのまま開いたものであるのであるが、ここに実は問題がある可能性があるのである。
1.その第一の大きな理由は、「たかだか西暦700年頃に記されたもの」だということである。『記紀』は天武天皇(?―686)の命によって編纂されたものであり、西暦700年代に成立したものであるが、これをよく考えれば「縄文時代、一万年前から存在するようなものをたかだか西暦700年代=1300年前に文字として編纂しなおしたようなものが、どれほど正確にそれを伝えていたのであろうか」という問題があるのである。
そして勉強している者であれば常識の範囲かと思うが、実はこの『記紀』なるものは、「編纂され直したもの」であって、「それ以前には別の書物が存在して火災で焼失した」ものなのである。それをわざわざ序文に記しているのである。そして更には、「それ以外にも別の書物が存在した」ものなのである。
『記紀』は決して、この二つとして根本経典のように始めから一貫して認識され続けてきたようなものではなく、実は似たような書物が他にもいくらか存在したり、そもそもこれらは「編纂され直したもの」であることから、実は依拠する書物は何度も変更のあるところであり、『記紀』という二つの書物を標準とすることすらも元より絶対のものではないということが知られるところである。あくまで「参考資料」であって、特にこの二つを「標準として採用している」というだけのことに過ぎないものである。
そのように読めば、その実際にはありえないような内容も、長年の伝承のなかで変形したものかもしれないと思えば、勝手に現実らしく読み替えようとして読むこともできるのではないかと思う。
2.そして大きな理由が、もう一つ存在する。
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これこそが、また問題の根源であるともいえるが、ほとんど知られないことである。
この第二の大きな理由が、現行の日本神話は初代神武天皇の系統によって編纂されたものであるが、実は神武天皇以前に大和には別の勢力(本元は一緒であるとされる)があって、神武天皇はそこへ攻め入って和睦して、元の勢力の娘と結婚する形で入ってきたものであり、
元の大和は「国譲り」をして、和睦をして融合したという歴史があるのである。そのことは「大国主の国譲り」や「饒速日の国譲り」といった形式で残されてはいるが、それ以前の元の大和のことについてはあまり残されていない、つまり"上書き"されているのである。
これが現行の日本神話であり、元は一つのところから分家していたものが合流したものとはいえ、塗り替えられて消されてしまったものが、元の大和には有りうるということである。
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ちなみにこの元の大和の勢力は、その後全国へ散ったとされており、
東北に散ったものは蝦夷として天皇の朝廷と争い続けていたり、
出雲に鎮まったものは出雲大社として天皇系の神道とは未だに一線を画していて「別の宗教法人」としてもあって「天皇も踏み入ることができない唯一の神社」とされるなどしており、この問題は根深く残り続けているような事案なのである。
※日本人に大流行した「もののけ姫」は、この蝦夷のことを題材にした映画であり、宮崎駿氏はこのことをよく知っていて「千と千尋」の登場人物「ニギハヤミコハクヌシ」など「饒速日」の問題を意識していることが伺われる。
以上、二つの理由をもって、現行の日本神道が本来のものとは変形している可能性を指摘した。
①第一は、現在標準としている書物(『記紀』)が、成立時期に対して編纂時期がほとんど現在に近いこと。
・そもそも「それ以前に別の書物があったが火災で焼失しており、編纂され直したものに過ぎない」こと。
・編纂され直したといっても、他にも並行して異説の書物や伝承がいくつも存在したこと。
②第二は、現在標準としている神話は、後に合流してきた神武天皇の系統の手によっており、
「元の大和というものが下に敷かれている」ということ、である。
古来からの神道は残っている(元のやまと)
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そこで、そのように現在の神道はあるものなのであるが、実は元の大和には、元の神話や実践が引き継がれている、ということである。
(※元の神話はこちら⇒https://note.com/enman1204/n/n0ece5e23c60a)
実際元の大和=奈良県の人や神社には、色んな伝承が残されており、何度かそういう話を聞いたことがある。
別に今の日本神道もこれと全く異なるものとして存在するのではなく、あくまで大元は一緒であった分家同士が融合したものであって、元の大和のものもそれなりに含まれているものである。
※例えば、新嘗祭の前日には鎮魂祭なるものが宮中にて行われるが、これは元の大和の饒速日の勢力の神事であって、天皇はこれを現代も行っているのである。
このように、実は「元の大和には本来の神道がある」ということであるが、『記紀』によれば神武天皇が攻め入って和睦した地は「元の名をナガスネ邑、金色のトビ(トミ)が出たことから新しい名がトミ邑」と記されているが、これは現在の奈良県「富雄/登美ヶ丘」と呼ばれている地域のことである。そこに「大倭町(鵄杜=トミ/トビノモリ)」というというところがある。
これこそは、神武天皇に国を譲った家の直系的子孫の系統とその地域であり、未だにそれを引き継ぎつづけているものである。
天皇家とは全く関係ないところではなく、実は歴史のなかで深く関係しているところであり、天皇家がある時期から忘れ去って遠のいたものである。
そこで「大倭町」では古来からの神道を引き継いで在り続け、天皇家が再び認識する日がくることを確信しながら今は待っているところである。
表の形がどう変遷しようとも、底で引き継いでいれば表には問題を引き起こさない。
そうして太古からの本来の神道がしっかり残されているのである。
古来からの神道として残っているもの
そこで、大倭にはどのようなものが残されているか紹介しよう。
(以下列挙)
・古来からの日本神話(宇宙成立についての古代人による感得+日本の史実)
・古来からの日本のおおもと/神域、元の大和の本地
・元の大和の史実、お墓など
・古来からの神道実践
・古来からの禊の方法
・古来からの原始的霊的感性(とそれが日常である生活)
①古来からの日本神話が、言い伝えられ残されている。
神武天皇の系統に歴史の中で下に敷かれていってしまった「元の大和の話、元の古代人の神話」が、ものすごく大地に根付いて自然と陰に残っているのである。
それは、
・前半は古代人による宇宙のなりたちについての実に神秘的な感得であり、
・後半は日本での実に現実的な史実の物語である。
現行の日本神話では単なる妄想的な話にしか見えかねなかったりするが、
古来からのものが言い伝えられているからこそ、決して絵空事のようなものではなく、あまりに自然な話として存在しており、普通の神話理解では埋められえない自然な真実がそのままに伝えられている。
これが、いつ頃からか下に敷かれてしまい、天皇家からも忘れ去られてしまったようであるが、少なくとも聖武天皇あたりは深く関係していたそうである。京都に遷都したことで忘れられていった可能性が高い。
神話(事実)は実践と不可分であり、まずはこうした事実が残されている。
(※元の神話はこちら⇒https://note.com/enman1204/n/n0ece5e23c60a)
②古来からの日本の史実的神域、神秘的神域が残されている。
現行の神道では、この本来の神話が喪失されているがために、
「神社のはじまりの地」であったり、「日本神話の実に架空の話的な地」について、一応の神社などが相当され、不真実か真実かよくわからないことになっているが、奈良県富雄には現実的に地域の人々に言い伝えられてきた神域が残されているのである。
「出雲」がどこのことであるか、「饒速日とは大国主のことである」「長髄彦とは大国主の直系王家の称号のひとつである」ということ、「日本初の宮である須加宮」、「長曽根日子の墓」、「金鵄発祥の地」などが全て非常に現実的な味わいをもって残されているのである。
明治から昭和初期にそうした地を国が確定しようという運動のなかで、その「利権関係」から架空の場所が優先されて制定されたのが、今一応にそれぞれ比定されている地の実情だそうである。
これは、現代のわれわれから見れば、何か突然湧いたような話にも見えかねないものであるが、江戸期までは普通に地域において言い伝えられてきたということである。これは後述するが、現代人が見落としがちな点であるようにも思う。
最近では「富雄丸山古墳」の「巨大な蛇行剣」の発見がにぎわったが、実はあの一帯がその地域であり、いつか考古学的にも判る日が来るかもしれない。
このように、単なる話だけではなく、現実に「神代(上代)の地」がそのままに語り継がれ、そのまま残っている。
③古来からの神道実践が残されている。
そして、そうした神話や神域といった客観的なものだけではなく、
「古来からの神道実践」が引き継がれており、その生活のなかで主体的に残されているのである。
そのようなことは現代から見れば不自然にも一瞬映りかねないと思ったりもするのであるが、もしかすると昭和初期までは全国各地で現行の神道とはいえ、神道実践などというものは生活に自然に融けていたようなものであり、全国民においてむしろ有り触れた自然なものだったのではないかと思うのである。
これが敗戦により日本の自尊心が低下し、神道が薄まってしまったがために、不自然に感じてしまいかねないが、「むしろ神道的実践が普通にあることの方が、普通であったかもしれない」と思わないであろうか。
そこで大倭町では、元の大和の色が残っていたというだけのことであって、むしろ自然に引き継がれていただけのものである、また実は日本人から神道が生活から一歩離れたのはつい最近のことでしかないだけかもしれないと、よく考えてみれば、全然普通にありうることではないかと思えるのではないだろうか。
このように、「古来からの神道実践」が普通にそこに在り続けているのである。
そこで、これがどのようなものかということをせっなくなので紹介しよう。
・「神ながら」
まず簡単に一言でまとめれば「神ながら」という生き方である。「カミ」とは上下の上であって、一切の上である宇宙の根源の力のようなものを「カミ」というのが第一義である。この「カミ(宇宙の根源の力)」に沿って、なるべくこれに順応して命を達成していく、という生き方をすることが、古来からの神道実践の要訣である。「もののけ姫」でもイメージされればよい。※古代人の生き方の軸はここにあって、これこそが宗教の最重要なエッセンスであるとも言えるのである。(あらゆる宗教はこの要素を軸にしているものであって、その意味において実は原理原則は同じであると私は知る。)
これを具体的に説明したものが以下のこと等である。
・「ごく自然に神秘的なものと共にある」
簡単にいえば、「ごく自然に神秘的なものと共にある」ということである。現代では「霊感」という名前になっていたりするが、そうした霊感が普通にあるような邑があって、古代人さながらのままに生きるということが現代の生活とともに融け合ってあるのである。
これは現代人で西洋文化に染まり切ってしまった人からすれば、もはや分かり得ない話になってしまっていることもあるかもしれないが、
その遺伝子に素直になって自然と太古の先祖の人々を考えてみたとき、ものすごく普通のことだっただけの世界が想像できるものではないかと思うのである。
縄文時代弥生時代のような人々の感覚は、それほど前時代的でもはや否定するしかないようなものであろうか。
むしろ、現代人が一瞬想定してしまうような神秘的なものの方が単に認識を間違えているのであって、もっとごく自然な感覚として在った日々があるだけなのではないであろうか。
そのような感性は、この現代の科学発展時代において不一致であるように、一瞬思うこともあるかもしれないが、それほど不一致ではなくて普通に並行しうるものなのではないだろうか。
例えば、現代でも「輪廻転生モノ」の漫画やアニメなどが人気を博したりしており、現代人の現代生活でも輪廻転生などは割合信じられていたりもして、「それほどこの現代生活と衝突せずに有り得続ける」ようなものだと、多くの人が感じうるのではないかと思う。
また先述の「もののけ姫」のような作品も日本人の心をくすぐり続け、そうした感性を大切に思っている根が残っており、また「現代でも、そうした古代人的な感性や神秘的な事象などは、それほど衝突を起こさず並行して有り得続けるものとして捉えることができたりするのではないか」と思うのである。
むしろ現行の神道の方が、形式が発展して、古来からの自然なものから遠ざかっていて、むしろ敢えて皮肉なものいいをすれば新興宗教的な要素が塗りこめられているものであって、現代人が「不真実」と捉えてしまうようなものかもしれないだけなのではないだろうか。
むしろ古代のままの、自然な神道は全く衝突を起こさず、現代人でも自然なものとして認識しなおせるのではないかと思うのである。
繰り返しになるが、むしろ「もののけ姫」などとして人気を博すほどに、
「本当はわかっている、わかりうる」のに、目を別のところへ向けているだけなのではないかと思うのである。
そのような純粋素朴な、古来からの神道が奈良県富雄・登美ヶ丘の辺りに残っている。知る人が聞けばわかる、「元の大和」が改名された「鳥見(とみ)邑」のことである。「鳥見(とみ)」という音に変化してしまったがために分かりにくくなっているが、「とみお、とみがおか」というあの一帯こそは「元の大和」のことである。そこに自然な神道が残っている。
・社殿信仰、賽銭箱などもない
さらに具体的な実践としては、
例えば社殿信仰などは存在しない。
古来からの位置に磐座があって、これを剥き出しとしている。
社殿はあってもよいが、本質から間違わせかねないとして、重視していない。
お供え物も、実際に野菜などを盛り付けて、お供えする。
賽銭箱などは存在せず、集金機構も存在しない。
誰それが寄付をいくらしたといった記載なども一切なされない。
・生活がそのまま精神的に豊かであるように、ということだけがある
そして生活の中で、「みんなが仲良くあること」、
それをとにかく重視して、難しい教理などがあるわけではない。
「生活がそのまま精神的に豊かであるように」、ということだけがあるばかりである。
そこにおいて輪廻転生があるということが当然の認識であり、
その生活の精神的豊かさが死後の生活の豊かさとなることを認識して、
それを望んで生活しているものである。
・その中で祭祀、宇宙の根源への感謝、霊人との交流、祖霊供養など
その中で祭祀があり、自然の力(宇宙の根源)としての神に感謝し、
すぐれた霊人=国津神を拝み、或いは先祖に手を合わせることをする。
そして輪廻転生のなかで上へ上へと行くことを大切に考えもする。
実に原始的な内容であって、縄文弥生人などに想像がつくままのことであって、いわゆる宗教的行為である。
・重要な宗教的行為「禊」、使命を悟る
その実践の中に、重要なものとして機能しているものに「禊」というものがある。これも現行の神道にも残っているものであり、初耳という方はほとんど居られないであろう。日々の祭祀や生活を大切に行いながら、「禊」というものを特別に行うものである。
あらゆる宗教には「懺悔」というものが含まれていたりするものであるが、これは日本民族式の「懺悔」というだけのことである。
ところが、この「禊」というものが、非常に宗教的で面白いのである。
禊(みそぎ)とは、世間では身削ぎといった説明がされたりするが、古来はそうではなく、これは二つの意味の掛詞であるという。古代は語句が少なく、掛詞が多かったと伝えられており、「みそぎ」はそれであるという。
第一は、罪(つみ)削ぎである。罪(つみ)とは、つつみかくす(つつむ)から来ているのだという。それが本来の自己を覆っていて天地自然の力と一体となりきれないから、これを削ぐのだという。
そこで古代人は山のふもとの清浄な川などにいって意識を自然に任せていると、霊的感性が発動して自然にツミを言葉や行為によって吐き出したりして、脂汗をかききったあとに川でそれを洗い流していたのだという。この形式だけが残ったのが現行の禊であるらしい。
第二は、御稜威(みいず)注ぎである。御稜威(みいず)とは、自然の力などのことをいうのだという。それが、そのツミがそがれて清浄になった自身へ、入り込んできて健康になっていったりするのだという。
これが本来の「禊」であるらしいのである。
何の違和感もないのではないであろうか。
しかも、この儀式は、神道だけのものではなく、様々な宗教において類似のものが存在しているのである。仏教でも「懺悔」というものが大切であるとされ、或いは皆の前で吐き出してしまうという儀式が存在したりする。
これは、宗教の本質なのだと私は理解する。
これは「悪を止めて」「善をなす」という形式の、その前半部なのである。善をなすときに、悪を止めるということがセットで本質的について回るのである。
この日本式の仕方が、この「禊」なのだ。
「みそぎ」により使命を悟る⇒役割分担(~のみこと)
ちなみに奥義として面白い話が、この禊をするとき、そのように御稜威が各人に注がれたところで、それぞれの「生まれてきた理由」を知るというのである。
そこで各人にそれぞれの使命が何であるかを知って、その通りに生きていったというのである。
それが故に争いが起きなかったという。上に立つものが誰であるかということを、そうした神秘的感得によって知っていたがために集団内においてそのことで争いが起きなかったのだという。しかもそうした感性に皆が開かれているような場合には、上にたつ使命のものが前にあったときには、身体が自然と礼拝したりしたそうである。これが、天皇(すめらみこと)の原型であると、当地には伝わっている。
そのようにして元の大和は、みそぎによって、自己の天分(~ノミコト)を知って集団内で分業がよりよく成立して、或いは自己修養をして、長きにわたって原始生活を行っていたというのである。これが禊の知られない重要な点であるらしい。
まとめ
以上、当地に語り継がれ続けている、古来からの神道であった。このようなものが、しっかり残されているのである。
いつの頃からか天皇家が別の方向へ行ってしまったらしいが、日本神道の長い歴史の中ではわずかな期間というだけのことである。
神武天皇に国を譲った元の本家は、遠い昔に分かれ出ただけの分家である神武天皇を婿に迎えて退き、一部は新しい体制の臣下となり、或いは全国へ散っていった。
その臣下の代表者としては物部氏が有名である。全国へ散った系統としては現在の出雲大社や、東北の奥州安倍氏などが有名である。
その元の大和には、本家が「矢追氏(元は迹見(とみ)氏)…物部氏の一系統とされる」として残り続け、日本民族が再び認識する日がくることを気長に待ちながらこれを語り継ぎ続けているのである。
ときは昭和初期、終戦にいたって日本神道への崇敬が傾きかけたとき、当地は時代の法律に致し方なくしたがって宗教法人「大倭神宮」「大倭教」などとして登録した。
賽銭箱もなし、氏子もなし、古来のままの神道を残し続けている。
終戦時の鈴木貫太郎元総理も実は縁深い。
かの武道家国井善弥氏もここで修行したものである。
今は忘れられているが、気長に再び認識される日を待ちながら、
古来のままに、自然なままに、残り続けているのである。
神道=仏教、神ながら=在家菩薩道
わたしもまた、古代の日本にも生きていたものであり、
仏教と神道が一つであることを理解しながら、
古来の神道をも歩むものであって、
このことを、この時代に伝え直すものである。
歴史の中であらゆるものが変形してしまうようなことは当たり前のことである。責めるようなことではない。神道というものは、古代人の作り上げた生活メソッドでも、神話的妄想でもなく、真実であって、現代人が見失っているだけのものである。
神道は日本のものだけではなく、世界各地の神教と実は根は一つのものであって、別々の様式をとっているだけのことであって、本質的な真理なのである。
仏教もこれに同じであることを理解したから、古代の人は聖徳太子を代表として、これを取り込み融合的理解が普通に発生したのである。
この「カミながら」ということは、仏教でいえば「法を悟って、法のままにあること」に他ならないし、そのように生きることは道を修することである。
神仏習合では、日本最初の大王である大国主(奈良の伝承ではニギハヤヒの称号のこと)は、久遠本仏釈迦の垂迹(教化のための姿)であるとする。
大国主が釈迦の化身として在って、後に仏教が流入し、速やかに融合的な理解が進んでいって、日本に仏教が栄えただけのことである。
神は繁栄の方面のすがたであり、
仏は全てを終えていくときのすがたである。
神ながらの道、とは仏道と何ら異ならず、
在家菩薩道と同一のことである。
カミ=宇宙の根源=法をよく悟って、
それに沿って生きていく道であり、
その中で霊感=神通力をも育てながら、
輪廻転生を繰り返して成長していく道である。
その究極の見本が、
日本では大国主であり、
その一歩向こうはそれをも全て停止して
輪廻転生が停止する仏という状態なのである。
聖武天皇はこれをよく理解し、「動植ことごとく栄えむ」という願いと共に、「宇宙の根源そのものである毘盧遮那仏」を国家の中心として建立し、
仏教=神道のすがたを体現して、その後の日本の精神の基盤となって今日に至っているものである。
もし人あって、
仏教がわかりづらい合わないという人があれば、
「神ながら」でもよい。実は同じことである。
そうでなくても、これをよく理解して、神ながらという行き方をしてもよいことだと私は説き明かしたいのである。
宗教は、創造せる根源=親による、子育てである。
人に応じて、民族に応じて、時代に応じて示されるだけのもの、というのが真理である。
仏教も神道も、他の神教も真実であって、真実であるからには実は一つである。(ただ仏教だけが、最後の停止という最奥のすがたを明かしているだけのことである。)
子育てであるから、時代に応じて示される。
それによって各時代ごとに何かしらの伝達者が生まれてきて、その真意を伝えてきたというのが真相である。
仏教はまだまだ進化して伝えられる、
神道との同一もはじめてはっきり説明される。
菩薩道と神ながらの道は同一のものであり、
神ながらの道もわたしは伝えようと志す。
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