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【一万字】宗教とは、先祖供養とは(仏教以前の話)

定型法話:宗教とは/先祖供養とは/仏教とは


宗教とは/先祖供養とは/仏教とは、といったことについて、
定型化した法話があるので、これについて紹介したいと思います。
一般の皆さまは普通に読んでいただいて、
僧侶の方はご参考にしてもらえたらと思います。

※勉強になったという方がおられましたら、
これらの資料作成や、ここに至るまでの勉強思案などを想って、
ご喜捨いただければ幸いです。(御気の向くままに)

https://raikouji0216.wixsite.com/my-site-1/%E3%81%8A%E5%95%8F%E5%90%88%E3%81%9B-%E3%81%8A%E5%B8%83%E6%96%BD
 


0.導入:導入には色んな持っていき方が考えられる

・法事→法事をなぜするか(という話をしたい)
 →仏教とはなにか:先祖供養のイメージあるがそうではない
 →そもそも先祖供養とは/宗教とはという話をしたい
 
・過去世の記憶がある(だから僧侶をしている)
 →輪廻転生なんかあるんか、
  もっというと宗教なんか本当なのか など
 →そこで先祖供養とは/宗教とはという話をしよう
 
・仏教というものを解説したい
 →そこで、そもそも先祖供養とは/宗教とはという話をした方がよい
 

<導入パターンの事例>
過去世の記憶の話(自己紹介)から
●輪廻転生しているということ/宗教的な世界があるということ
そこで、
・輪廻転生なんかほんまにあるんかいな、
・宗教的な領域なんてほんまにあるんかいな、
・どうなっていると説明するのか、など
様々な疑問が噴出することと思います。
そこでこれを解説してしまおうと思います。

そもそも宗教的事実なんかあるんかいな、
今では世界のはじまりについて、宇宙の歴史/地球の歴史/生物の歴史なんかわかっていて、
動物から人類が出来てきたもので、もともと宗教なんてなかったし、
動物は宗教なんかないけどよく生きているけれども、
なんで途中から出てきたのか(はじめからないのか)なかったときは、それでよかったのか
宗教なんかなくても生きていけるけれども、それでも真実というのか、
などの疑問があると思うんです。
よく動物のことを取り上げて、
動物は先祖供養とかしていないが生きていける、などということを言う人がいます。
そこでこれについて解説します。
 

 

本論
■定型法話:宗教とは/先祖供養とは(宗教的な世界があるということ)

1.人類のはじまり→「埋葬のはじまり」

人類のはじまりについて、学校の歴史で習ったかもしれませんが、
二足歩行を開始しただとか、道具を使い始めただとか、そういう分類があります。
そういう境目のひとつとして「埋葬をはじめた」というものがあります。
これが何なのかという話をします。

人類はそのはじまりのある時期、「埋葬」というものをはじめたんです。
これは何かというと、
「あの世とこの世みたいなものがあるという認識が生まれた」ということなんです。
よくあの世とこの世という言い方をします。
これは言い方が違ったとしても世界各地で通じる認識です。
まあ平易な言い方をすれば、
・あの世というのはこころの世界/たましいの世界みたいなことで、
・この世というのはからだの世界/物質的な世界みたいなことを言います。
 これが何なのかという話をします。

世界には二元があふれている
この世界にはよく二元的なものが溢れかえっております。
例えば親子、男女、天地…、あるいはプラスマイナス、陽子と電子など。
かなり色んなものがあって遍満しており、しかもかなり本質的なものに存在しています。
このように「二つのもので成り立っている」ということが、
本当に遍満していて、しかもかなり本質的にあるものを思われますね。

中性的なものから
そこで、さらに深掘りすると、
この二元的なものはおおよそ、何か「中性的なもの」「中間のもの」から出来ていたりするんです。
親子は親という一つの個体から生まれます、男女オスメスは無性/中性から生まれてきました。
陽子電子は中性子が崩壊して出来ます。
このような感じで、「中世のもの」から「陽と陰の二つのもの」ができて、
二つのもので出来ているということが、世界には遍満しているんですね。

動物→人類…あの世とこの世を認識する
そこで、動物から人類に進化してきたときに、
この世界について「あの世とこの世の二つの世界で出来ている」ということを感じ取ったんです。

動物は例えるならばまだ親子分離せず胎内にいる胎児のようなもので、
人類に進化したということが胎内から出てきたというようなものだとすると、
胎内にいる間には昼夜は分離して見えていなかったのが、
胎内から外に出てみてはじめて昼夜があると知った、というようなものなんです。
・動物の間は、あの世とこの世の二つがありながらもそれを認識しないでいる状態、
・人間となってはじめて、あの世のこの世の二つがあることを認識したというようなことなんです。
やっとたましいとして、一人前として進化したということなんですね、宗教的に言えば。

埋葬のはじまり(先祖供養のはじまり)
そこであの世とこの世の二つの世界になっていると認識するようになって、
人類ははじめてあの世というものを明確に認識しはじめて、
死後というもの/死後の世界をより考えるようになったんですね。
そこで「埋葬」というものを始めたということなんです。
死後の世界には死者がいるということを認識するようになって、
「交流する」ということをするようになったんです。
これが先祖供養のはじまりです。
 

注意:本当に感じた/能力の劣化
ここで注意したいことが、
・そうはいっても、それは迷信のようなものでしょう、
・あの世とこの世があるというような概念が生まれただけでしょうという方がいると思いますが
これはそういう問題ではなくて「本当に感じた」ということなんです。
現代人からしたら、これがわからない人があまりに多くなってしまった。
あの世を感じるということがわからない人の方が多くなって、
これが「本当に感じた」と理解できないという問題があります。
これはどう説明されるかというと、
人類は進歩のあまりに進歩していることばかり思うが、
「進歩と共に劣化するものも沢山あり得る」という話なんです。

例えば、「脚力」なんて典型的です。
移動する技術が進歩したあまりに、自分の脚で昔のような移動をすることがなくなり、
昔の人と比べてはるかに脚力が落ちたということが言えます。
視力なんかもそうです。アフリカの部族の人なんかは今でもとんでもない視力だといいます。
昔の色んな優れた話を聞いて、おとぎ話だと思ってしまいかねないことが沢山ありますが、
本当だったということなんかはよくある話なのです。
一人の人生だってそうでしょう、年老いることは成長することもあるし劣化することもある。
この「あの世を感じる=霊感」みたいなものも、その一つだということです。

霊感というものは「あの世を感じる」ものであり、
「あの世と近いほど=死が近いほど、その感性は高い」というものだと言えます。
これほど命が安定したものとなり、死から遠ざかった現代では、
この感性が単に劣化してしまっただけというのが真相です。
ところが突然変異というのは常にあって、
絶対音感がある人がたまにいるように、霊感がある人がたまにいても何らおかしくはないのです。
これが真相なんですね。
このようにして、古代人は「本当にあの世を感じていた」のです。
 
生まれたての赤子は、まだ目が機能しきっていないのが、少しすると機能してくるように、
古代人はある一定の時期から、本当にあの世を感じ始めたのですね。
そうなると死者の存在なんかが普通にわかってきたりする。
もちろんこれは比喩ですから、実際には「闇夜における視力」みたいなものだと思っていただいて、
全てが見えるわけではないけれども、何か特段のものは見えてくるみたいな感じだったものと思います。
そこで埋葬を始めた。死者と交流するという時間を設けるようになったのです。
そうして世界各地ではじまった。これが世界各地で埋葬の跡が発見される理由です。

2.宗教のはじまり:親の発見…自然信仰と人格信仰

ここまでは単なる先祖供養という段階でした。
先祖供養というとそれだけでも宗教というものに属すると考えられがちですが、厳密にはそれ以前に成立しているものである、ということなのです。
では宗教とは何か、ということを説明します。

赤子がまず目が機能してきて、昼夜を認識したように(或いは男女を認識したようにと喩えてもよい)、
古代人は動物から人類になって、あの世とこの世を認識しはじめたのでした。
赤子はただ単に沢山の人達とあって、人がいるということがわかってきた段階です。
古代人に置き換えれば、この世あの世に色んな存在がいるということがわかってきた段階です。
そこで赤子は沢山の子供たちや色んな大人と触れ合っているだけの段階であるように、
古代人も生者どうし、或いは色んな死者と共に触れ合って暮らしていた段階を過ごしました。

しかし、ある時期になると赤子はついに「ママ、パパ」などの言葉を発し、
沢山の人がいるなかで、「親」というものを明確に認識して、「親」と子という認識を生じます。
このように古代人は、ただ単に色んな人が沢山いるということを見ているだけではなく、
その中で「親」のようなものが存在するということを理解するようになるのです。

「親」とは「自分を生み出したもの」であり、中心のような存在です。
この世(物質世界)を見ていても、太陽という中心が存在します。
これと同じようにあの世(霊的世界)にも、「生みの親」「中心」のようなものを感じるようになりました。

・自然神信仰(母)
それが第一に自然そのものでした。
親と言っても、母と父がいるように、二つの親があったのです。
片方は母なる地、片方は父なる天です。
この世界は物質世界と霊的世界で出来ているとして、
この命の親には、母なる物質世界の中心と、父なる霊的世界の中心があるのですね。
そこでまずは赤子は母を認識するように、
まずは物質世界の親=自然そのものを生みの親と認識しました。
古代人は喩えれば、まだ幼い子であるようなもので、実に生活が常に危険にさらされており、
天地自然の親を畏怖して、生活していました。

※カミ(神)の語について
ここで日本では、
・自分たちは子なるシモ、
・自然の力は親なるカミとして呼びあらわし、
これをカミと呼びました。これが「神(かみ)」です。
日本だけではなく、最も古い時期では世界各地で自然信仰が見られたのはこういうことです。
(※カミの語源についての問題はここでは述べない)

・人格神信仰(父)
そして赤子は母親を認識し、今度はやがて「父親」を認識するようになります。
古代人はやがて、母なる自然というカミだけではなく、
「霊的な方面の父なるカミ」を理解するようになります。
これがいわゆる「創造主のような人格神への信仰のはじまり」です。
ある一定の期間を経て、自然信仰から「人格的な神」というものへの信仰がはじまったのです。

あの世にも親がいるということを感じ始めたのです。
いわゆる創造主です。
自然(物質の親)信仰に対するとすると、人格(霊性の親)信仰という言い方ができます。

こうして人格神のようなものが世界各地で登場しはじめ、
人格神への信仰もはじまりました。これが「(狭義の)宗教」のはじまりです。

子育て=親の教え/子の学び
親がいる、そして私たち命が子であるとすると、
わたしたちは育っていくということになります。
反対に親は子育てをするということになるわけです。

そこで子が育つということを考えると、実は二つの方面があります。
一つは、親が子に教えるという方面と、
一つは、子が自ら学んでいくという方面です。
子供は、この二つの力が合わさって育っていくものですね。

これと同じことが起こります。
親が子に教えるということが起こります。
これがカミ(創造主)から「教えられる」もの=「宗教」です。
そして子が自ら学んでいくということも起こります。
これが人が自ら「学ぶ」もの、人智=今に繋がる「科学」です。
これが「宗教」と「科学」というものの正体なんですね。

※宗教が色々ある理由
ちなみに世界各地に宗教がいろいろあるというのもこれが原因なのです。
親が子育てをするというとき、子によって色んな姿を見せたり、色んな話をするはずです。
創造した親であるカミさんが、色々別の説明をしたから、宗教が色々あるんですね。

3.先祖供養と宗教

つまり宗教というものは、
単に霊的な世界があるということを認識する段階から一段上がって、
親がいるということを認識して、これに習って「成長していく」というもの、
として登場したものだということになります。
宗教のポイントは「成長」にあるということになります。
これが先祖供養と宗教との違いということになります。

・先祖供養
単に霊的な世界を認識して、死者の存在を認識したというだけの段階では、
子供で喩えれば、子どもに男女があって、皆で交流して遊んで楽しんでいるという段階であり、
このように生者と死者と交流してわいわいして、楽しんでいるだけという段階が、
「先祖供養」というものなのですが、

・宗教
「宗教」というものは、その上の段階の話をしているものであって、
子供で喩えれば、単に子供同士わいわい楽しんでいるというだけではなく、
「親というものを認識して上へ成長していこう」という段階のことを言っているのであり、
たましい同士で交流しているだけではなく、
「世界や命はどのようになっているか、どのように生きるべきか」といったことを教わりながら、
「たましいを上へ向上させていこう」という段階のことをしましょうというものなのですね。
子供同士が遊び元気を出す時間と、教室で授業を受けて成長する時間、という構図に似ています。
これが「先祖供養」と「宗教」というものの正体です。

だから先祖供養というのは、宗教なしにでも出来るんです。
今みたいに仏教で読経して…みたいなこと以前にあるものだということです。
みんなでわいわい交流していたら、それだけで先祖さんは喜ばれるんです。

仏事/宗教で先祖供養をする意味
じゃあ何故仏教で先祖供養することになったのかというと、
みんな子供同士でわいわいパーティーをしているだけではなく、
せっかくだから親にも来てもらって、親にみんなで習って、みんなで親の話を聞いたり、
その愛情を受け取って、成長しようとする時間も設けようかということになったわけです。
それで先祖供養に、仏教が加わって、皆で読経して親の話を勉強してみたり、
その力を日向ぼっこのように受けて「たましいの向上」も同時に図ろうということになったんですね。
これが今に見る、仏事の姿なんです。

だから、もし宗教というものはなくても、
先祖供養はできるということです。ただそれを追加するかどうかという話です。
追加したいんだったら、別に自分でお経読んでてもいい。わざわざ僧侶呼ばなくてもいいんですよ。
ただ僧侶はそれに専念して学んでいる者ですから、そういう人に頼むというのもよいことです。
こうして、ちゃんと意義を理解してもらえた方がいいと思います。

 
動物は先祖供養/宗教が不要な理由
ちなみに、当初の「なぜ動物は先祖供養も宗教もなくて生きているか」
ということも説明しておきましょう。

まず先祖供養から説明しましょう。
動物というのはこの喩えでは胎児のようなものだと言いました。
まだ霊的に成長しきっていない段階だと見るのが宗教的な見方です。
そこで胎児だとすると、胎内にいる間は、
まず、別に昼夜を認識していなくても健康的に生きていけます。
まだ未進化で、中から分化できていないような段階にあるからです。
これが胎内から外へ出た生活になると、
昼夜を認識できていた方が健康的に生きやすいというようなことになります。
このように動物はあの世の認識がなく、先祖交流などなく生きている状態なのです。

では宗教はどうかというと、
動物は胎児であると喩えると、胎児は未だ親に出会えない段階だということになります。
親を大切にするとか反抗するとかいう段階にすら立っていないのです。
ところが実際には親は存在して、気付かずして親に育てられているような状態であり、
わざわざ親に教わるとか習うとかいうことをせずとも育っていくということになります。
これが動物に宗教というものがなく、また宗教がなくても問題がないという状態です。

これが人間となると、ある程度はなくても問題なかったりもするし、問題だったりします。
例えば、もはや先祖というものを認識していて交流もできる状況だとして、
ずっとこれをないがしろにしていれば、
先祖は祖父母が孫を想うように子孫が可愛いので何も問題を起こさないとしても、
ときに不満が漏れ出て嫌な空気が流れたり、
あるいは仲良しであることで生まれる良い空気は流れなかったりします。
これが先祖供養がなくても問題はなかったりするが、問題もありうるという状態です。

宗教はどうかというと、
親が素晴らしい存在ということを前提としますが、
別に親の教えがなくても、自分で学んで成長していくことも出来はします。
ところが良い親であるという前提があるのに、ずっと無視しているような子は、
何か欠落していて、大人になり切れないという結果に必ずなります。
また、それが自然界の厳しいような環境であれば、その過程で死ぬこともあるかもしれません。
これが宗教がなくても問題はなかったりするが、問題もありうるという状態です。

このようなことになっていると理解すれば、大変わかりやすいのではと思います。
(無論、喩えは喩えであり、少しの無理はあると思いますが、喩えゆえの問題です)

4.生まれ変わり/その成長

そこでもう一つ付け加えておくべきことが、「生命は生まれ変わっている」という話です。
宗教は子育てであり、子である私たちが成長していくのだということを説明しましたが、
私たちは、まるでその一生で昼夜を繰り返していくように、
たましいには長い一生があって、あの世とこの世を繰り返しているということなんです。
そこで、これを追加して言い直すと、
「この生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返して、成長していく」ということになります。

(※さらに詳説)
生まれ変わりのしくみ
そこで生まれ変わりというと、ここでまたやはりなかなか信じられない人が多くなっていると思います。
そもそも考えてみると、
・生まれ変わっているならば、過去の自分がそのまま出てきているのか?という疑問や、
・キリスト教などでは死んだらあの世に永遠にいると言っているのでは?といった矛盾が
挙がってきたりなんかして、どう理解するかがわからなくなっているものだと思うんです。
そこで生まれ変わりのしくみを説明しておきます。

(簡単版)
おでかけで喩える
よく生まれ変わりというと、生→死→生→死…というイメージから、
以前の命がそのまま次の生となって…というのを繰り返しているというように思われがちです。
こうなってくると、例えば先祖も生まれ変わるなら墓は空になるのか?といった問題が起こってきます。
実はこれが違っていますということ、先祖は空にならないということを説明します。

生まれ変わりを喩えるのに、喩え方はいろいろあるんですが、
もっとも簡単に柔らかく説明できる喩えとして「おでかけ」があります。
生まれ変わりというものは「おでかけ」のようなものになっているんです。

例えば、沖縄におでかけしたとしましょう。そして帰ってきました。
そしてまた今度は北海道におでかけしました、としましょう。
このとき沖縄のおでかけが、そのまま北海道のおでかけへと変化するわけではありません。
沖縄のおでかけは「沖縄のおでかけ」という情報として記録され溜まっていきます。
そして次に北海道にいったおでかけは「北海道のおでかけ」という別の情報として溜まることになります。
このとき「沖縄のおでかけの情報」が、
そのまま「北海道のおでかけの情報」に変化してしまうわけではないですね。
そのさらに本体の統合している意識みたいなものがあって、
一つ一つのおでかけは、そこに情報として溜まっていくという型式になっています。
生まれ変わりとはこのようになっているといえます。
本体の情報統合意識みたいなものがさらに奥にあって、
一回一回のおでかけは、そこから分離して存在するような感じになっています。
そして一回一回のおでかけはそれはそれとして永遠に存在し続けることになります。
そして統合した意識の方ではそれが融合していて、
新たなおでかけに行くときには、それまでのおでかけの蓄積が反映されることになります。
これが生まれ変わりのおおよその状態だといえます。

・お墓に眠る先祖
そこで派生して説明すると、
お墓に眠る先祖は空にはならないということになります。
それはそれとして永遠に存在し続けるということになっているのです。

・キリスト教:死後は永遠
キリスト教では輪廻転生の認識があったという説もあるのですがそれはさておき、
少なくとも現行の一般的なキリスト教では、死後は永遠ということが言われているのは、
この側面だけを切り取った認識であるといえます。それはそれで真実なのです。

実際には、もっと複雑な問題がありますが、
それはまた別のところで、聞きたい方だけ聞くということにしておいて、
この辺りで一旦理解していただければと思います。

※別の喩え)設計図と建設ほか
 あの世とこの世というのは、こころ/たましいの世界と物質の世界みたいなものだと言いましたが、
 こころの世界と物質の世界というのは、設計図の世界と建設の世界みたいな関係になってるんです。
 建物というのは、物質としてのものだけではなく、情報として設計図世界があって、
 それに従って、その通りに物質でもって建てられることで存在しています。
 このような感じで、…略…。

生まれ変わりまとめ
そこで、生命はこのように生まれ変わりを繰り返して、
ミジンコのようなたましいから始まって、成長していっているんです。
そこで私たちはようやく人間までたどりつけた状態だということです。
そして、まだまだ成長していく過程にあって、
望むが望むまいがまだまだ何度も生まれ変わっていく最中にあるものであり、
宗教的に言えば、ちゃんと成長していきましょうという話になるわけです。

次回以降への予告編

■定型法話:どのようにして在るべきか→仏教について
(輪廻転生しているということ/宗教的な世界があるということを前提としたとき)

そこでここまで「輪廻転生しているということ/宗教的な世界があるということ」を見てきましたが、
これを認識したならば、どのように命として在るべきか、という話が展開するということなんです。
そこでこれを見ていきます。
 
仏教とは
(そこで色んな宗教が登場して、
たましいの向上、よりよい命であることを教えて、
それぞれに色んな実践があるんですけれども、
その一つに「仏教」というものがあるわけなんです。
そこでこれについて説明します。)

そこで仏教とはなにかというと、
「命として完成すること」を説いたものなんです。
もう一歩踏み込んでいうと「輪廻転生において命を完成すること」を教えたもの、といえます。
 
 ↓
ここからは説く場面による。
例)
 ・念仏を速やかに説いていく場合
 ・仏教をゆっくり解説する場合
   2500前に…→バラモン教→釈尊「寂静」→仏教
   六道→その完成(寂静)
   (わかる×するを究める)
   停止と運動を共に究める、停止を大切にする
   わかる×するを究める
   戒・定・慧
   慧…縁起、四諦、戒定慧
   自力と他力→末法→念仏
→そこで様々なパターンを用意して説いていく。

次作へ続く…

いかがでしたでしょうか。
勉強になったという方がおられましたら、
これからもこうしたことに専念していくために、
ご喜捨いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

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