罪悪感を食べる
「とり軟骨の唐揚げ」を床に落とした。転がるそれを、じっと眺めていると、小魚が漏らした空気のように、コポコポと罪悪感が湧き上がって来るのを感じた。そして僕は、それを食べた。
*
ほんの少し、腹が減った。「無理に食う必要は無いけど、抑える必要もないな」と、自分への言い訳を考えている間に、気が付くと、食券機のおつまみ欄をタッチし「とり軟骨の唐揚げ」を購入していた。
450円。PayPayを開いたが、残高不足。現金は、車に忘れて来た。たまたま残っていたLINE Payの、513円。QRコードを読み込ませ、発券した。窓口にチケットを差し出すと、8番の呼び出しブザーを渡された。水はセルフサービスのようだ。コップを手に取り、押し付け、水を注いだ。
程なくして、8番のブザーが大きな音を立て、振動を始めた。受け取り口に行くと、お盆の上に小さな小皿。「とり軟骨の唐揚げ」が、40個程入っている。8分の1に切られた、檸檬も乗っている。「だいたい、1個10円か」などと思った。
席に着き、1つ、口に入れる。美味い。美味いっちゃ美味いのだが、味にも食感にも文句はないのだが、口の大きさに対し、1つだと、食べた心地がしない。約1cm程の唐揚げ。満足感が薄い。
箸で、1つ摘む。口に入れる。そして、次の唐揚げを箸で、1つ摘む。口に入れる。この動作を高速で繰り返し、噛み始める前に、6個溜める。「これなら」と思い、噛んだ。満足の行く結果だった。
残り8個。「全部一気に行くか、4・4に分けるか」悩んでいると、唐揚げが箸から溢れ落ち、床に落ちた。僕は「あ」と言った。
「どこに行った?」視界から消えた唐揚げの行き先を確認するため、前屈みに体を倒し、机の下をのぞいた。口の中に唐揚げを溜めたままにしている事を思い出し、噛み始めた。床が油で光っている。転がったであろう道が分かる。光を頼りに、目線をズラして行くと、ソファの足のくぼみに、物静かに収まっている。
怯えるように縮こまっている唐揚げを、じっと睨んだ。睨むだけの時間が、数秒経過し、拾う前に体を戻し、次の唐揚げを口に含む。落ちた唐揚げの事を考えながら、咀嚼を始めた。
頭の中で「拾うか」と考えた。しかし、それと同時に「どうせ誰かが拾うだろう」という考えも、浮かんで来た。
そして、僕は何故か「拾わないでみよう」と思った。
18時。雨が上がり。アスファルトは濡れたまま。生臭い匂いが漂う。薄く溜まった雨を、乗用車のタイヤが切る音がする。この時間は交通量が増える。ベッドタウンだからだろう。
公園の遊歩道の脇には、腰高くらいの低木が植えてある。枝が丁寧に整えられていて、自然には起こりえない「平さ」になっている。僕は、この木を見るたびに「角刈りみたいだな」と思った。
低木は所々がくぼみ、ポケットが出来ている。僕は、それを不思議に思い、中を覗き込んだ。中には、お行儀よくゴミが入れられていた。僕は「あ」と言った。
最悪だ。もう、拾うしかなくなる。見つける直前、いくらハッピーでも、いくらブルーでも、1度ゴミを見つけてしまうと「ゴミを拾うべきか、今日は拾わなくていいか」の二択の牢獄に閉じ込められる。
迷いながら、ズリズリ前に進む。ゴミの場所から出来るだけ離れて、戻れない所まで進むつもりでいた。「そもそも、ゴミをどうするか考えてるだけで、結構偉い」そういう足取りで進んだ。進んでも進んでも、頭の中の天秤は、まだ決心が付かずにいる。そして、浮かんで来たのは「大谷翔平は、運を向上させる為に、ゴミを拾うけどね」という声だった。
すぐさま引き返し、舌打ちをしながら拾った。水滴に塗れ、黒ずみ、鳥に突かれたような穴が空いた「カルビーポテトチップス コンソメ味」の袋を、指先で摘んだ。匂いはしないのに、何故か臭そうな顔になった。
最悪だ。嫌な気分になっているはずなのに、僕の指が動いたのは「拾って運を上げる」や「徳を積む」と言った高貴な話ではなく、拾わなかった時にバチが当たりそうという「恐怖」と、気付いたのに意図的に無視をしたときに発生する「罪悪感」だった。
たった一つ、唐揚げを拾わなかっただけで、嫌な事を思い出した。「黙って拾えばよかった」と思った。
あのゴミ、僕が捨てたわけでも無いし、「我らの町を綺麗に」をスローガンに掲げているゴミ拾い大会に参加している訳でも無い。なのに湧き上がって来る罪悪感。僕は、何故なのか不思議に思った。
1つ言えることは、僕の所為じゃない。だんだん、腹が立ってきた。あの日のゴミが、ポテトチップスの袋1つだったから良いものの、もし「初デート、告白を決意した日の公園、カラスに突かれた家庭ゴミ45Lの袋」というシチュエーションだったら、どうしてくれるつもりだ。流石にそこまでお人好しじゃないし、今はそれどころじゃない。そう言い聞かせ、拾わずに済んだとしよう。「小さいゴミは拾うけど、コレは拾わないんだね、差別的だね」と、心の中の大谷翔平が言って来ただろう。
次の唐揚げを、口に入れる。必要のない罪悪感を思い出す。ゴミを捨てたアホの所為。2度と捨てるな馬鹿。こうなったら、床に落ちた唐揚げも「拾うべき」と分かっているのだが、今拾うと、湧き上がってくる罪悪感から、逃げているような気がした。
ぼんやりと滲み出て来た「拾いたい」という欲を跳ね返し、頑なに拾わない態度を示した。欲と体が反対の行動を取ると、何故か眉間辺りがムズ痒くなった。無理やり作った「何食わぬ顔」で、唐揚げの咀嚼を始める。
一旦、余計な邪念を取っ払い、唐揚げ「だけ」に集中した。1個ずつ、丁寧に食べる。前歯で齧り、中を見た。白く半透明な、軟骨が詰まっている。少し考えてみたが、この軟骨が、鳥の、どの部分なのか、僕は知らずに食べていた。その後、油だけを噛んでみたが、普通に美味しくなかった。
何故か、天井が気になった。右奥に防犯カメラがある。左後ろにもある。角度的にこの席は、ばっちり映っている。ということは、僕が唐揚げを落とし、机の下を確認し、あえて拾わず、次の唐揚げを食べた様子は映像記録として残っている。なるほど。この店には2度と来れないということだった。
言い訳を始めるかのように「でも、好きだからこその罪悪感だよな」と思った。確かに、唐揚げが好きで、この食堂も好きだ。だからこその、申し訳なさから来る罪悪感ではあった。そうなると心配も出て来る。
「この唐揚げ、この後どうなるんだろうか」閉店間際、今日のシフトが、クイックルワイパーで床を拭く。ソファの足元。何かが当たる。何だ?唐揚げだ。「チッ」小さく舌打ちをする。クイックルワイパーで近くまで引き寄せる。指で摘む。ゴミ袋に投げ捨てる。指先についた油。服で拭く。
憎しみとして、捨てられる唐揚げ。それは悲しい。
でも待てよ。ソファの足の窪みにハマっている。もし今日が、適当な清掃員のシフトだった場合、見つけれないかも知れない。そして、そのまま忘れ去られ、大型連休前に行う、大規模清掃で、ソファを避けた時に見つかるかもしれない。今は揚げたて、明るい茶色。でも、見つかる頃には無惨、ドロドロに溶けてた黒。それをクイックルワイパーで近くまで引き寄せる。よく見ると、過去の唐揚げ。「チッ」大きめに舌打ちをする。
さっきよりも強い憎しみとして、捨てられる唐揚げ。それは悲しい。もっと悲しい。
2度とこの店に来ないばかりか、2度と「とり軟骨の唐揚げ」を食べるわけにはいかない。鳥をドロドロにしようとしてるのだ。鳥を不幸にした犯人なのだ。なのに、僕だけ幸せになるのはおかしい。
それほどに「鳥が好きだ」という事に気が付いた。
放課後。部活は休み。町工場の隅っこに設置された、小さなテニスコート。噂で「社長の趣味」で設置されたと聞いた事があった。15年ここに住んでいるけど、使ってるのを見た事がなかった。
梅原と僕は、そのテニスコートを使って練習していた。汗をかき、疲れ、地べたに座り、ぬるくなったアクエリアスを飲んだ。手のひらを見ると、コートの赤色が付着していた。
梅原に「付き合ってよ」と頼んだ。
僕たちは、小学1年の頃から仲が良かった。男子より、梅原という方が心地良い日さえあった。周りから「付き合っちゃえよ」と囃し立てられた。仲が良い=両思い。短絡的な考えだった。しかし、その空気に当てられた僕は、いつも間にか本気にし、上がった息のまま告白した。
梅原は、おっぱいの大きな子だった。昔、感情が昂り、一か八か、通学バスの揺れを利用し、肘で突っついた事がある。非合法的に突っついた。その日、半袖で来て大正解だった。梅原は激昂し、僕の右頬を思いっきりビンタし、腕に爪を立て、追い討ちを掛けた。腕から血が出た。
翌日には、何にもなかったかのように仲良くしてくれる、あっけらかんとした、楽しい人だった。
梅原は「いいよ」と言った。
付き合って3日目だった。梅原から家電に連絡が来た。「やっぱ、何か違ったよね?ごめんね」僕は、振られた。唐突な出来事に、何も言いえなくなった。
何かが違っていたことさえ、理解できなかった。今となっては思い出せないが、梅原の事を「好きだった」という形で、記憶が残っている。ちゃんと好きだったんだと思う。
「ごめんね」と言われると「こっちこそごめん」と答えたくなった。好きだったから、気を使わせたく無かった。意識の外で、迎合と同調をし、理解ある人間でいようとした。気がつけば、別れる事を承諾していた。
電話を切った後、思い返した。本当は、泣きじゃくってでも、縋りたかった。もっと梅原と一緒に居たかったし、おっぱいを触りたかった。明日から、学校でどんな態度でいればいいか、考える余裕がなかった。翌日、梅原は「いつも通り」だった。
たった一つ、唐揚げを拾わなかっただけで、また嫌な事を思い出した。やっぱり「黙って拾えばよかった」と思った。
梅原の「ごめんね」が聞こえてきて、頭の中で反芻した。少しだけ、悲しそうな声だった。今更ながら、あの日「自分が勘違いしたから、梅原にごめんねを言わせてしまったのかな」と、余計な罪悪感を感じた。
梅原に失礼を働いたわけでもないし、2人の間にトラブルが起きていたわけでもない。本当は、別れなくないけど、好きだから気を使わせたくない。最後まで、理解ある良い人間として、梅原の中に居たい。
面倒くさい気持ちを思い出した。「唐揚げ、無くなってないかな」と思い、机の下を覗いた。変わらぬ姿形で鎮座している。
この面倒くささは、あの頃の僕には、処理の出来ない気持ちだったと思う。梅原と今、話してみたいなと思った。あと、合法的におっぱいを触らなかった悔しさも伝えたくなった。
「好きだから」という思い。やっぱり鳥に、申し訳ない気持ちになった。この鳥は、唐揚げになったのに、栄養として消化されなかったんだ。そして、数ヶ月後、やっと燃えるゴミに入り、一生を終える。僕の一生と比較した時、「すまん」と謝りたくなった。
次の唐揚げを口に含んだ。仮に、鳥に謝れたとしても「意味がないな」と思った。鳥は意味不明だろうし、分かっても3歩で忘れる。鳥は起きた出来事に執着しない。
今度は店員に謝りたくなった。作ってもらった料理を、食べなかった。でもお金を払ったのは僕だ。しかも店員は、僕が唐揚げを落とした事など、知るよしもない。なら謝る必要もないんじゃないか?
掃除をする人にも謝りたくなった。確かに、手間をかけることになる。結構、申し訳ない。
で、謝ったらどうにかなるのだろうか。謝らせて欲しい人がいる訳じゃなく、自分は罪を認めれる人間なんだと、自分が思いたいだけなんじゃないのか?このエッセイにして、表現に変換して釈明する事で、許されようとしている僕に気がついた。
じっちゃんがいつも座る椅子。背もたれにかかった黒革のウエストポーチ。僕は、その中に「財布」が入ってる事を知っていた。
当時、学校で「モンスターハンター」が流行った。僕は、PSPを持っていなかった。皆んなが楽しそうにしているのを見て、同調した興奮をしたり、彼らを応援することしか出来なかった。PSPがどうしても欲しかった。
僕は、金を盗んだ。何度も。
親父に頼んでも、買ってもらえない事は目に見えていた。だから、衰えて行くじっちゃんの視野の狭さに託けて、生活や介護に必要な金を盗んだ。僕は、すぐにPSPを買いに行った。翌日から、皆んなに混ざってゲームをした。「買ってもらったんだ」と嘘もついた。
それだけで、僕の欲は収まらなかった。僕と同じように、貧乏でPSPを買って貰えずにいた友達が居た。共感し、可哀想に思った。「おれ買ってあげよっか?」と誇らしげに言い、じっちゃんの金を盗んだ。その足で、PSPを買ってあげた。喜んでもらえた。何かが満たされた。
僕が新品のPSPでゲームをする姿を見ても、誰も、何も言ってこない家族だった。こんな何も干渉して来ない家族なら「バレるはずがない」と思っていた。
ある日、親父にバレた。当時付き合っていた彼女と、部屋で電話をしてる最中だった。親父が部屋に向かって来る足音が聞こえた。なぜか「バレたんだ」と分かった。部屋の扉を開けられる前に、怒られる身構えを取った。親父の激怒をガードする事に必死で、電話を切り忘れた。
「金を盗んだ事」を彼女に聞かれた。説教が終わり、親父は部屋から出て行った。まだ通話中のランプが付いている。気を使わせるのが、申し訳ないと思ったので、何事もなかった様に「ごめんごめん」と、明るく電話に出てみた。彼女は泣いていた。泣きながら「そんな人間が一番嫌い」と言われ、後日フラれた。金を盗んだ反省よりも、彼女に僕の罪を聞かせた、親父への怒りが強かった。
社会人になり、引越し費用が足りず、叔母から金を借りた。50万円。親父が持っているはずがなかったし、貸してくれる訳がなかった。そもそも、金の話をしたくなかった。
数年経っても、僕は借金の返済しなかった。どこかで「家族だし」と思っていた。引け目を感じているのに、返済したくなかった。遊ぶお金がなくなるから。法事で実家に帰る時「叔母に会いたくないな」と思っていた。
家族みんなで食卓を囲んでいる時、金の話になった。僕は、嫌な予感がした。案の定、僕が「叔母に返済していない」ことが話題に上がった。親父と姉貴は「ありえないだろ」と軽蔑した怒りをブツけてきた。それでも返済していなかったら、どんどん気まずくなり、日に日に家族と会いたく無くなった。
それから10年経ち、親父から「20万貸して欲しい」と連絡が入った。とある税金の支払いしておらず、今払わないと、給料が差し押さえされるとの事だった。嫌な気持ちになった。
聞くと、叔母からかなりの額の借金をしており、それを全く返済せず、今回も頼んだが、断られたらしい。心臓を握られた感覚があり、苦しくなった。
「いつなら返せんの?」そう聞くと、返済の目処に、聞いてもない「大金が振り込まれる予定がある」という希望を付け加え、ツラツラと話し出した。借金で首が回らなくなる「クズ」のソレに見えた。
「僕も同じだ」親父が小さく見えた。
家族と金の話。無理やり掘り起こされた過去の罪悪感と、親と子の逆転が同時に現れた。足元を覗くと引き返すことが出来ない崖に立たされていた。自分の事は棚に上げて、場をまとめようとする自分に吐き気がした。
親父の電話を1度切り、叔母と姉、同時にグループ通話を掛けた。まず、今まで逃げていた事を謝った。そして返済を始めた。「時間が経っていて、謝れば許されるチャンス」そう認識した上で謝った。許されるつもりだったのだ。そんな自分に吐き気がした。
すると姉が「自分も返していない、ごめん」そう言った。「同じじゃねえか」姉貴が小さく見えた。姉貴が「自分から罪を認めて話してるアンタは偉いよ。私も見習う。ごめん」そう言われた。背負うのではなく、許されようとしてる姉に吐き気がした。
親父に電話をした。僕にも、姉にも家族がいる。自業自得の状況に、易々と貸してあげる金は無かった。だから、親父が一番嫌がる方法で、借金返済に変えられる方法を考えた。僕が大切にしているカメラを送った。「息子の大切な物を売って、借金返済に当てて下さい」そう伝えた。
親父に「一緒に返済して行こう」と言った。
唐揚げを落とす前には、忘れていた。すでに無くなりかけていた。逃げるべきじゃない罪悪感。背負い続ける罪悪感。全く、嫌なことを思い出した。
解決した事の罪悪感を、なかったかのように忘れてしまう自分がいる。そして、犯したことに対して、罪悪感を抱く事で、許されようとしてしまう自分もいる。それでも、自分がした事は「出来事」として自分が背負うべきもので、その荷重がかかったものが、自分の輪郭を作り出す。
同時に感じる必要の無い罪悪感もある。誰かから引き継いだ罪悪感や、余計で自分よがりな罪悪感。何が必要で、何が不必要か。その線は、逃げなかった自分との対話でしか引けない。
都合よく消えてくれもしないし、不必要な罪悪感に縋り付いていることもある。自分というものが、いかに絶妙なバランスの上にあるか、改めて思い出す。
上手くいかないもんだ。
結局のところ、落とした唐揚げを「放置するものじゃないな」と思いながら、僕は罪悪感を持ち帰った。
翌日、同じ店に行き、同じ唐揚げを頼んだ。同じ席に座った。
同じ態勢になり、机の下を覗いた。唐揚げがなくなっていた。この店には、優秀な掃除マンがいる。
態勢を戻し、口の中に「とり軟骨の唐揚げ」を6個入れ、罪悪感ごと、咀嚼した。
少しだけ、罪悪感が消えていた。
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