書きたい文章と、書き続ける意味について。
先日、おでんを作った日から、思い出したように毎日、高山なおみさんの本を読んでいます。
今でこそ、好きな作家は、小説家は、と聞かれると、村上春樹さんだと答えたりしています。
もちろん好きです。
でも、自分もこんなふうに書けたら、と思う好きな文章を書く人、と言ったらこの方かもしれない。
高山なおみさんです。
作家ではなく、料理家なのかもしれないけれど、なんだかもう、私にとっては文章を書く人であり、でもそれは、料理をする人だからこそ、でもあって。
でも、ただの料理家、ではないからこんな文章が書けるのであって…。
いやまた、こういう方だからこそ、料理の人なのであって…、とわけのわからない説明をぐるぐるしてしまうのです。
料理本もエッセイも、著書はたくさんあってここではおすすめを紹介しきれないので、また少しづつ話したい、と思っています。
その中のひとつに、『日々ごはん』という、ホームページに毎日綴られてきた日記をまとめた本があります。
私の本棚には、初めのころの数冊のみしかないのですが、忘れたころに、何度も読み返してしまいます。
私で言うと、毎日書くnoteのような。
そう。
私は、高山さんのような文章を書きたいと思っていた、ということを今さらながら思い出しました。
飾らない日常や、子どものようなはだかんぼうの感情、周りのすてきな人たち。
季節の移ろい、自然の描き方、人に対する、食材に対する、向き合い方。
ぽつりぽつりと身体に染み込んだり。
風のようにすーっと通り抜けたり。
じわ~っとあったまったり。
目の奥がじーんと熱くなったりする感じです。
私は、自分の理想の文章が書けません。
もちろん、noteに出会ってなんとか書くことを始めてまだ半年もたってないので、当然と言えば当然ですが。
書いているときは楽しいし、読んでくださる方がいることは本当にうれしいです。
本当はもっとこんな文章を書きたいのに、おそらく自分の読む人に与えたいイメージはこんなんじゃないのに、と思うのに、なかなか自分の望むような文章にはできあがらない。
でも、あらためて高山さんの日記を読んでいて、気づきました。
というか、府に落ちました。
毎日書くって、そういうことかもしれないです。
そこから滲み出るその人となりは、文章上でつくり込めるものじゃないし、毎日のように書くからこそ、ごまかしようのないことなんだと思う。
だから、自分がこうなりたい、と思う人間にならない限り、自分が書きたいと思う文章は書けないんじゃないか、という気がします。
結局、これが今の自分なんだろうな、という結論に至る。笑
考えすぎかな。
でも、何のために書くことを続けるのか、という自分の中の答えがはっきりしました。
また、変わることもあるかもしれないけど。
高山さんの文章を読んで思うこと、また、近いうちに書きたいです。
今日は、東の空から日がのぼるのを、開店準備をしながら見届けました。
まぶしくてまぶしくて!
そして夜、家に帰るときには、まさに冬を思わせるキーンと澄んで冷えた空気。
子どもたちと晴れた真っ暗な空を見上げると、どんどんどんどん星が見えてきて、思わず、うわー!っとなりました。
寒いのは嫌だけど、やっぱりこれからの季節ならではの星空。
今日も読んでいただいて、ありがとうこざいました!
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