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「ねぎを刻む」へのオマージュ。
晩ごはんに野菜たっぷりのドライカレーをつくりました。
今日の仕事は予想どおり忙しさを極め、どんなにがんばってもあれ以上の笑顔と声は出なかった…
なんだか今日はうまくできなかった。
そんなくたくたな1日の終わりです。
![](https://assets.st-note.com/img/1654316761310-FH8CMDUSme.jpg?width=1200)
私の宝物のような本のひとつに、江國香織さんの『温かなお皿』があります。
(もちろん、江國さんの作品はどれも好きなのですが。)
12の食べものにまつわる短編小説が収められています。
どれも、本当に美味しく愛おしい物語。
柳生まち子さんの挿し絵が江國さんの世界にぴったりで、もうひとつ『つめたいよるに』と並んで、私の本棚で特別なやわらかな空気を放っています。
ちなみにこの2冊が、近所の図書館の少年少女向けの本棚に並んでいるのを知っています。
江國さんの物語を、たぶん私も20年近く読んでいます。
でも。
心が静かに震えるように。胸がきゅっと痛むように。その物語に共鳴できるようになったのは、この数年のような気がします。
それでも、文章のやわらかさ美しさ、情熱を秘めながらも寂しく静かな人物たちの描写、日常の世界への視点(私も若いころ、登場する食べものに憧れて探したりした)などに、若いひとたちが出会ってくれますように、と願ったりします。
語り始めると、つい本題からずれてしまう。
そう、『温かなお皿』の中に、「ねぎを刻む」というお話があります。
「孤独」とはどういうものか。
一人の女性の一夜がそれをおしえてくれる、短いけれど、力強く印象的なお話です。
降って湧いた突然の孤独に、すっぽりと包まれてしまった夜。
自分を見失わないために、ひたすらねぎを刻む。
「こういう夜は、ねぎを刻むことにしている。こまかく、こまかく、ほんとうにこまかく。そうすれば、いくら泣いても自分を見失わずにすむのだ。」
そして今日の冒頭に戻ります。
自分でもよくわからない心のざわざわを落ち着かせたいとき。
何も考えたくないとき。
玉ねぎ、にんじん、ピーマン、なす。
ひたすらみじん切りにする。
何も考えなくていい。
ただ手を動かす。
ただひたすら。
たっぷりの山ができていく。
ひたすらみじん切りをしながら、そう、いつも「ねぎを刻む」を思い出してしまうのです。
そして、自分の孤独について考える。
カレーの匂いが漂い始めると、兄弟が寄ってきます。
彼らの大好物。
「小さな食卓をととのえながら、私の孤独は私だけのものだ、と思った」
いくら友だちや恋人や家族がいても、自分の孤独を理解し、認め、癒すことができるのは自分だけ。
そんなときも、もちろんある。
でもありがたいことに、今日の私はもっとずっと単純でした。
「きみたちが、美味しそうにごはんを食べるのを見ているときが、いちばん幸せ。」
「それ、このあいだも言ってたよ。」
と長男。
何回だって言うさー。
理屈ぬきで、心の底から沸き上がってくる感情ってこれなんだ、と思わされるとき。
この瞬間は、孤独を忘れ、無敵の幸福感に包まれるのです。
今日もがんばった、大丈夫。
大事な人たちは笑っている。
そういえば、「ねぎを刻む」でもうひとつ連想されるのは、堀江敏幸さんの散文集『正弦曲線』の中のひとつ。
「折紙で赤い鶴を折り、ネギを切る人」
"化学調味料"をキーワードに、するすると堀江さんの文学の世界の引き出しにつながっていく…。
やっぱりこの人の世界の捉え方もすごい、と思わずにはいられません。