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江國香織さんから、プーさんへと。


こんばんは。


昨日は。
試合開始直前にリビングで寝て待つ長男を起こし、代わりに私は寝ました。
彼は結局、ひとりで試合終了を見届けて寝たらしい。

私は今朝目が覚めてすぐ、ふとんの中で結果を見ました。
スコアを見たとたん、胸が苦しくなる。

ちょうど先日のように。
地方の小学生の大会でさえ、PK戦は心臓がもたないほどの緊張感と、それで負けたときの消化しきれない悔しさと向き合うことになるのに。

やっぱりリアルタイムで見たかった、という思いと、見なくてよかった、という思いが交錯する、そんな朝でした。



今日私は休みで、朝の情報番組を久しぶりに見たあと。
あぁ、家にひとりになるのも久しぶりだ、と思い、もしや掃除するのも久しぶりじゃないか、と思いながらのろのろと始めました。

片付けは好きだけど、掃除はきらいです。
掃除がきらいだから、片付けは好きなのかも。

でも、掃除がきらいな理由、最近わかってすっきりしたので、まあこれでいいかと思うようになりました。



今、途中まで読んでいる江國香織さんの『泣く大人』。

これを読んで、そのとおりだ、と思いました。
掃除がきらいだ、というとだめな主婦のように聞こえるけど、こういう理由ならちょっと後ろめたく思わずにすむ。

やれば片づくことが好きだ。
食器洗いとか、洗濯とか、靴磨きとか、ボタンつけとか。きまった手順をちゃんとこなせば、きちんと終わる。「完璧だ」と思える。これは、精神衛生上とてもいい。こういうささやかな労働は、私の生活のなかのちょっとした「命の洗濯」だと思う。
ちなみに、掃除は「完璧」には終わらないので、この範疇には入らない。きりがないもの。

「くつろぎの時間 ④小さな労働」

そう、きりがないもの。笑


この『泣く大人』を図書館で借りて読み始め、すぐ買うことに決めたのだけど。

もう何よりぐっと心をもっていかれたのは、「幸福な無駄」という言葉。

私は、どの一日もおなじようにたのしく暮らしたいと思っている。くまのプーさんのように。
プーさんは素敵だ。おいしいはちみつや友人との交歓、そういうちょっとした喜びのために彼は労力を惜しまない。物語が全編幸福な無駄に満ちている。

「優雅なる退屈」


私の小さな本棚には、古本で買った『くまのプーさん プー横丁にたった家』があります。
めったに読まない。
でも、大切に収まっている。

久しぶりに開いてみました。
確かに。
私の本棚の、この本の存在自体が幸福な無駄だ、と思う。


結局掃除にもいまいち集中できないまま、なんとなく終えて出かけました。

これまた久しぶりにコメダ珈琲へ。ナポリタンとカツサンド、シロノワール。

プーさんへの憧れか、シロップを残さずかけて、ひたひたにして熱い冷たいうちに、とあっというまに平らげる私。
それを見て、どんだけ美味しそうに食べるんだ、と笑われました。

無駄ではない。
確かに幸福な味でした!


夕暮れ、東の空にまるい月。

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