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あなたの書く理由は。


今朝も寒い。
起きて、さっそくお粥をつくった。


30分浸水させたあと、お鍋でコトコト20分。
ふうふうしながら食べた。あつくやさしくおなかにおちていく。

いいなと思うものを試してみながら、試行錯誤のくらしをするのも、またよき。
寒い季節をのりこえる楽しみを、ひとつひとつ集めたい。


半分の月。


今、泣きすぎて、ぼんやりしている。
なんならずっと泣きながらも文字を打っている。

昨日から読み始めた土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』。
「死にたい」という気持ちを子どもの頃から感じ続けてきた著者が、2年間のオンラインカウンセリングを通じてその気持ちと向き合い掘り下げていく記録。

途中から自分もいっしょにカウンセリングを受けているような気持ちになってきて、ぽろぽろ涙が出て、読むのも泣くのも止められなくなって、一気に読み終えてしまった。

「死にたい」とまでは思わなくても、「もう全部嫌だ」という感情にときどき呑み込まれることがある。
誰にも助けを求められなくて、でも母親という立場を考えると逃げ出すこともできなくて、どうしようもなくなることがある。
ここで書かれていることが、もしかしたら私にとっても助けになるかもしれない、と思えた。
(そんな自分も弱い、と思ってしまうけれど。)



最後には、土門さんにとっての「書くこと」に対する思いが綴られているのだけれど、まったくの素人の私にもわかる気がした。


たとえばこのnote。
…もちろんわからない、みんなそれぞれいろんな理由や思いがあって書いているんだと思う。

でも、私と同じように、少なからず自分や自分の目の前のこと、日々体験すること、思うこと、これらが無意味じゃないよ、ということを証明するために書いている方も多いんじゃないかな、と思う。
以前からの疑問…。
根っからのポジティブな人でも、文章を書こうと思うのだろうか。特にエッセイや日記のようなもの…。


私は何もできないし何者でもない自分の、存在証明のように書いているところがある。
大げさかな、存在の言い訳、と言った方がいいかもしれないな。


そんなこんなで、今日も書いてます。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。



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