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”飽き”は学習者だけの課題ではない。
”集中力”に関しては、低下が叫ばれている。
しかし本当に”集中力”は低下しているのだろうか?そもそも、現代社会に生きる子どもたちの情報過多問題は?
ご覧いただき、ありがとうございます。
私自身がニュース記事をやはりこういう教育関係の記事を多く見ているせいか、表示される内容がこういう記事が多くなってきています。
いわゆる”エコーチェンバー”の状態になっていないか。
注意しながらではありますが、またこうした記事に関して、取り扱ってみたいと思います。
全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)結果
文部科学省が今年7月に公表した「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」では、SNSや動画視聴を行う時間が長いほど、各教科の平均正答率が低くなるという結果が出た。
という文頭の衝撃的な内容から、今回の記事は取り上げられている。
今回の記事によると…
全国学力テストは毎年4月に実施され、小学6年生と中学3年生の計約191万人が国語、算数(中学生は数学)、理科の試験を受け、その試験と同時に児童生徒の生活や学習状況を尋ねるアンケートも行われる。
今年は初めて、スマートフォンや携帯電話でSNSや動画視聴に費やしている時間を調べ、平均正答率との関係が分析された。
ここから言えることは、
国語・算数(数学)・理科の平均正答率が、
SNS・動画視聴を行う時間が長い対象者ほど低い。
ということ。
…ということは、何が起こっているんですかね?
むしろ、どのような相関関係から、何を導いたといえるのでしょうか?
その証拠に、動画視聴などのアプリの利用時間が長いほど教科ごとの正答率は低くなり、「4時間以上」は「30分未満」より、小6で17~18点、中3では13~19点も低い成績をマークしていた。小中とも、算数・数学の点数差が最も大きかった。
さらに細かい事実として、挙げられているのは
特に、算数(数学)については、顕著にアプリ使用時間の長短により
点数差が開く内容となっていた。
ということ。
どうしても、この内容だけでは、私は
…ということは、何が起こっているんですかね?
むしろ、どのような相関関係から、何を導いたといえるのでしょうか?
のスタイルを貫く以外に、何も分析が行えない。
正しく仮説に結びつかせるのに、必要な要素は?
今回の記事の内容の有識者の方は以下のように述べています。
「4時間も動画を見続けられるのは『集中力があるのでは?』と勘違いしそうになりますが、彼らは4時間ずっと何か一つの動画を見続けているわけではありません。彼らは、15秒程度の『ショート動画』と呼ばれるものがどんどん目の前で移り変わっていくのを4時間見続けているので、『集中力』は養われるどころか、失われていっています」
アプリ・SNSの使用時間が長い人が、成績を落としている(特に算数(数学))
ということは、数値的にまぁ理解はできるのですが、
・なぜ”ショート動画”に限定しているのか?
→今回初めての、SNS・動画視聴に関するアンケートでは?
・算数(数学)の成績が落ちている(とする)としても、”集中力”が失われているという結論?
→算数(数学)の成績が落ちている理由を”集中力”となぜ限定できるのか?
つまり、今回の調査結果から、その仮説に至る理由が不明なのです。
これは教育業界における本当に多い
”仮説的思考”の中に起こる”アンコンシャス・バイアス”
だと感じます。
つまり、無意識のうちに起こる偏見です。
無意識のうちに起こる偏見の怖さ
危機管理という観点では、色々なものに備えておくことは非常に大事です。
だからこそ、
これは良くない。
あれも良くない。
失敗したら、時間のロスになる。
失敗したら、その子にとって不利益を与えることになる。
前例がないことは、危険だ。
こうなってしまうのもわかりますが、そこにロジックがなければ成立しません。
感覚値で、現場の人間が感じているものを、どうにか整合性を持たせるために、よくこうしたアンケートや調査結果を使う場合がありますが、如何せん論理に飛躍があります。
つまり、いや…それは”思いこみ”ではないですか?
とツッコミをいれたくなってしまうような内容が非常に多いのです。
教育者は、原因他人論の前に原因自分論を
ちょっとツッコミどころが多すぎるので…なのですが、
一応この記事は後半もあります。
あくまで仮称の方ばかりなので、真実かどうかはわかりませんが。
もし、仮にここに登場している先生と呼ばれる人たちが存在しているのであれば、
教育者として疑問を感じざるを得ない
かなと思ってしまいます。
子どもたちに原因を求めるのではなく、まずは自分の指導に原因を求めることが先。
原因自分論でいない限りは、指導者の成長がないと思います。
「M-1の漫才すら、『長いなー、いつ面白いところが来るんだろう。面白いところだけ見せてくれないかなあ』と思うらしいよ。その話を聞いたときに僕は、なにかの冗談かと思って、何度もその言葉の真意を聞いたけど、真意も何もその言葉通りなんだ。4分が長くて退屈で我慢できないんだって。そりゃあ、僕の授業時間50分なんて苦痛に決まっているよね」
おそらく私の近くにいる教育関係の方々が、この文面を読んだら疑問しか感じないのではないかと思ってしまいます。
でもこうした記事に、
へー、そうなのか…
となってしまう人がいるのも、事実。
そもそも学力の低下?集中力の低下?
と、記事内容については、皆さんも思うところがあると思うので、このあたりで。
ただ、学力低下や集中力低下という、この現代の子どもたちに”課題”があるような内容についてですが、そもそも「低下」と捉えることが正しいのかにも疑問を持たなければならないかもしれません。
これだけ情報が多くなり、そしてツールも増えてきている現代社会で
覚えること・学ばなければならないこと
本当に一時代前よりも増えていると思います。
実際にこの10年の間でも、
紙でテストを行っていた子どもたちから、タブレット(iPadなど)のような電子機器を使用して、解答をするように変化する。
これはやること増えていませんか?
身につかなければならないこと増えていませんか?
だからこそ、今の時代で必要となる
学力
集中力
とは何かを再定義する必要があるわけです。
集中力にしても、マルチタスクがよいとか色々な方法論が言われているわけです。
だからこそ、安易な
「今の若い子たちは…」
という批判や苦言は、まず自分たちの時代との比較ではなく、現代社会、そして未来社会を見据えたうえで話をしていく必要がなるのでしょう。
だからこそ、
失くしてはいけない本質と、
柔軟に変化していく内容を、
敏感に読み取る最先端に指導者はいなければならないのでしょう。
ご覧いただきありがとうございます。
読まれる楽しさを噛み締めながら、継続していきますね。
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