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波にのまれ戻れなくなっていた時に見た「青い鳥」
人は、小さな一歩から始まっていく
何をして、何をしないか
何をどう選択して歩むのか
その一歩を踏み出した時に
人は変わっていくのかもしれない
私は昔から、何かを想像したり作ったり書いたりするのが好きだった。
幼少の頃から遡ってみると、
幼稚園の卒園文集の将来の夢には、「私はドラえもんをかく人になりたい」と書いてあった。ドラえもんに憧れ、ドラえもんそのものになりたいという、子どもにありがちな夢ではなく、ドラえもんを「かく人」になりたいという夢だった。
ドラえもんは実際にいないのだと、その虚構を見抜いていたのか、そんなことは無いと思うけれど、ただ絵を描きたかっただけなのかもしれないが、何かを創造する側にまわりたかったのかもしれないと。今はそんなふうに受け取ってみる。当時の記憶は何も残っていないのでわからない。
そして小学生の頃は、自作した「あっ君」と言うキャラクターの絵がついた商品、例えばあっ君洋服やら、あっ君文房具、あっ君洗濯機にあっ君冷蔵庫やらの絵をノートに描いて、同じ班の子や仲のいいクラスメイトに「この洗濯機かわいくない?これ買う?」とノートの絵を見せて回っていた。ここでの「買う」というのは、ノートに描いた自作キャラクター商品の下に署名欄があって、そこにクラスメイトの子が名前を書いてくれたら「買う」ことになる仕組みだった。もちろん実際に金銭をもらうわけではない。完全バーチャルの世界。ちなみにあっ君テレビ局もあって番組表も作っていた。オリジナルテーマソングもある。
高校生ぐらいになると絵本に興味を持つようになり、絵本作家になりたいと考えるようになった。高校卒業後は普通に短大に行ってはみたものの、絵本作家の夢を追いたくて、短大卒業後、絵本創作が学べるデザイン学校へと入学した。
その後は本屋やビデオレンタル屋でアルバイトをしたり、友だちと二人で音楽のフリーペーパーを制作したりしていた。いま風に言うなら「推し」のバンドの記事をフリーペーパーに書き、その推しバンドのマネージャーさんや本人さんたちとも繋がり、インタビュー記事を私たちのフリーペーパーに載せさせてもらったり、勝手なレコ評を書いたりしていた。そしてそのフリーペーパーをレコードショップやお洒落な雑貨屋さんに置いてもらったり、ライブ会場で並んでいる人たちに配ったりしていた。
そして、フリーペーパーを書いていたという経験を買っていただけたのか、私はある出版編集プロダクションでの編集の仕事に就かせてもらうことができた。そこでは主にエディターとして旅行誌の編集のお仕事をさせてもらっていたけれど、ほんのたまにライターとして記事を書かせてもらうこともあった。
ここまで「書くこと」に関わる経験を書いてきたけど、一番最近(と言っても20年程前)の書くことの関わりついては、友だち三人とアートユニットを組んで創作活動をしていたことだ。絵を描く友だち、写真を撮る友だち、そして言葉を書く私。この3つを合わせて絵本のような作品を作ったり、イベントをしたり、あるNPO活動をされている方たちのタウン誌に作品を載せてもらったりしていた。
振り返るとここまで、私は「書く」「創作する」というものに関わった生き方を所々してきていたと思う。当時は自然とそういう道を選び、創作して書くことが好きで書いていたのだなと思う。
だけれども、ある時から「書くこと」に少し陰りが見え始めてきた。
アートユニットの創作活動をしていた時、お話を考えたり仲間と活動をしたりして楽しく書いていたのだけど、少しずつ書くことが難しくなってきて書けなってきたのだ。仲間との時間は楽しかったけど、書くことへの意欲が湧かない。何故だかわからないけど書けない自分になっていたのだ。
そうしてその活動もフェードアウトしながら、結婚、出産と、仲間も自分も環境が変わっていき、私も子どもが産まれると、育児で手一杯の自分がいた。
育児は大変だったけど、これをやっていれば私は大丈夫と、生きていることへの安心感のようなものをそこに持つようになった。
でも子どもも成長して育児への手も離れてくると、このままでいいのかな?と少しだけ不安のようなものを感じ始めてきた。
私は主婦だから、別にこの普通な感じでいいよね、と思い込もうとしていたけれど、仕事もしてなかったので「私は何もないな」と思うことも時々あった。
「何もないな」と思ったのは、以前に「創作して書くことが好きだった自分」が心のどこかにいて、現状と比べて見ていたのかもしれない。
書くことが好きだったけれど、書くことへの意欲や勢いが失せていき、でも人間だからやる気にも波があるのだろうと思って、そんな薄暗い波に乗っているうちに、その波に飲まれて私は戻れなくなっていたのだ。
そして20年ほど時は過ぎていた。
20年。思えば長い年月が経っていて驚く。
そんな中で私は、ある時、
ある小さな一歩を踏み出してみることにした。
薄暗い波から抜け出す、そんなある出会いがあったのだ。
出会いは今から2年ほど前。
私が出会った「あるもの」があるのだけど、その「あるもの」を経験した人たちが周りにはいて、みんなみるみると変わっていく姿を私は見ていた。
それはいわゆる一つの健康法のようなもので、病気を抱えて苦しんでいた方がその健康法を実践した後は、別人のように元気になって変わっていった。
すごい!と思ったけれど、私はカラダに不調を抱えていたわけではないし、自分は特にやる必要はないなと思っていた。
そうしてまた1年ほど時は経っていくのだけど、その頃にその健康法について書かれた本が出版されて、私はその本を買って読んでみた。
読み始めて、なんか私が思っていた「いわゆる健康法」というものではないのかも、と思い始めていた。
これは健康になる為に書かれたただの健康書ではなく、その先の生き方を見直し、人生を変えていくような、そんなような内容の本だった。私には哲学書のようにも思えた。
私はこの本を読み、そしてまたあるきっかけもあって、この健康法だと思っていたものをやってみることにしたのだ。
その本とは
『4日で若返る「毒出し」のトリセツ』
著者・織田剛 (すばる舎)
4日間、ハーブなどを使ったファスティングをして、カラダに溜まった毒を出す、その内容などが書かれた本。
最初は、ファスティング?ふーん、よく聞くやつねと、軽く流していたけど、この本を読み、あるきっかけをもらって実際に自分もやってみると、これをやった人たちが別人のように変わっていくというのが身に沁みてわかった。
このハーブファスティングをした人たちは、毒出しをして、ただ単にカラダが健康になっただけではなかったんだ。
ファスティングをすると確かにカラダは軽くなって肌ツヤも良くなり、きっと体中の臓器や血管に詰まっていた毒たちも流れて出ていき、それはそれは健康になるのだろう。
だけど、そんなことよりも私にとって大きく変わったのは、自分の内面にあるものだった。
カラダの毒が流れて抜けていくとともに、眠っていた自分、本当の自分がやりたいことなんかが見えてくるようになった。
毒にまみれて隠れて見えなくなっていたけど、輝きを持った自分が、ちゃんと自分の中にはいて、それが見えてくるようだった。
これは思考や意識の問題なのかもしれない。
現代病のひとつとして鬱病があるけれど、そんな病名はなくとも、近いようことがカラダの中で知らないうちに起こっていたのかもしれない。
そこが毒でやられていたってことだ。
この毒のある状態で、どれだけ自己啓発本とかを読んだりセミナーに行ってみたりして自分を変えようと思っても、難しいだろうな、ということがわかった。
やる気を出せと言われても、なかなか出ないし続かない。その理由がカラダの中にたんまり溜まっているのだ。
たんまり毒が溜まっていると、カラダは毒で支配され、思考も支配されてしまっているのだと思う。
本当の自分の声が届かない。存在さえも見えないまま。
私はこの長年の蓄積毒を、4日間のハーブファスティングで、まだまだ完璧ではないけれど、少しは抜くことができたのではないかと思う。
そうしたら何が起こったかと言うと、薄暗い波に飲まれたまま戻ってこれなくなった自分が、波の奥底では小さく輝いていて、そこにじっとしていたのが見えたのだ。
「書くことが好きだった自分」
本当は書きたかった自分を見つけた。
この4日間ハーブファスティングをやってみた後、私は自然と書くことを始めていた。
この note を始めるきっかけも、ハーブファスティングで毒出しをしたことから始まった。
毒が溜まっている自分のままだったら、ここで今、こんな風に書いていることはなかったのかもしれない。
でも今、私は書いている。
他にもまたひとつ、違う場所で違うスタイルで書き始めたものもあり、自分が好きだった「書くこと」に磨きをかけようと楽しんでいる最中だ。
20年前、やる気が失せて、好きだった「書くこと」ができずにいたのは、カラダにじわじわと溜まっていた毒たちの影響だったのかもしれない。
そう考えると、何をするにもまず、カラダに溜まった毒を抜かなければ始まらないのだと思った。
毒が溜まったまま
自分の可能性を見ずに終わるのか、
それとも
本当の自分を見てみるのか。
溜まった毒を出す。
カラダから毒が抜けた今、
「何もないな」と思っていた自分はもういない。
幸せの青い鳥は、ちゃんと自分の中にいて、また出会い、見ることができたのだ。
大切なものは一番近くに、自分の中にある。
誰の中にもいる青い鳥。
輝くものはみんなそれぞれ違う。
私は、ハーブファスティングするという選択をして、その一歩踏み出し、そして青い鳥を見ることができた。
そう選択した世界線に、今、私はいる。
ほんの小さな一歩で、
新しい自分が始まっていくようだ。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
青い鳥とともに🕊️よき日々を!
4日間毒出しファスティングをやってみるきっかけになった話や、毒出し本の内容など、以前に書いた記事があります。
「毒出し」三部作として3部連作で書いた記事です。三部作始まりの記事↓
こちらは昨年末、感染症の気になる季節に、毒出しの必要性などを書いた記事です↓