過去の私を温かく受け入れる
今日も無事にプログラム記事を書き上げた。
スタート時と比べると、最近はあっさりめで書いている。
書き続けることで、自分の中にあった余分なものが削がれてスッキリしてきたのかもしれない。
どんどんシンプルになっていくなぁ。でも、これで良いのだと思う。
余分なものを断捨離して、シンブルでスリムで精悍な私になりたいな…。
◇◇
そんななか、ひょんなことから昔に書いた記事を読み返す機会があった。普段は自分が昔に書いたものは、あまり読まずに放置しておくタイプの私。それはただ単純に「恥ずかしい」からなのだけど、今回は読みながら、(過去の自分が書いたにも関わらず)とても面白く読めた。
その過去記事とは、2018年8月に書いたこちら。
この時の私は、相当やさぐれている。汗
行間から「やさぐれ感」がかなり漂っている。
読めばわかるけど、イマドキの若い子達に、私は真剣に腹の底から嫉妬している。これを書いた私は、当時ギリギリ40代。noteを始めて数ヶ月しか経っていなかった私は、広いnote界を一人ぽつんと漂流しながら、周囲が自分より若い人たちしかいないことを感じ取り、かなり焦っていたのだと思う。
今となっては懐かしい…。
それでも腐らず、私はコツコツ書き続けたんだよなぁ。コツコツ継続して今の私がある。
何事も「続けていく」ということは、年齢や若さに関係なく、誰にでもできることだ。それを愚直に根気にやってきた私は、この記事を書いた2年間にには見えなかった景色を、今ここでこうして見ている。
「継続は力なり」というけど、本当にその通りだわ。
途中で投げ出さずに書き続けてきて、本当に良かったなぁ。
・・・と心から思った。
そして、このやさぐれている過去の自分を可愛く愛しいと感じた。
こんな荒ぶる自分も、素直にポジティブに受け止めていきたい…と思った。
◇◇
過去記事の紹介ついでに、こちらの記事も同じく2018年8月に書いたもの。
twitterに出したら、片岡義男.comさんからコメント付きでリツィートしてもらった記事。
とても嬉しかったことを今も覚えている。
過去記事って本当に恥ずかしいものだけど、昔の自分の頑張った足跡でもあるのだから、温かい気持ちでしっかり受け止めていこうと思った。
これも「過去の私を受容する」ことなんだな、きっと。
プログラムを通して内観をしていくうちに、「過去の私」に対する気持ちも大きく変わったみたい。
過去が浄化されていく。
これによって、現在と未来も大きく変わるかもしれない。