ハンガンの本 in コペンハーゲン
ゼロからはじめた手書く詩人です。
少し前からジョージア語とバスク語での手書きの詩人をはじめています。詩を書いて、書いて、書いています。
この記事は#9.5です。ハンガンをトリビュートした#9について追加で語る記事です。
2024年のノーベル文学賞と私の後悔
2024年ノーベル文学賞はハン・ガンさんが受賞。それに関連して私には些細な後悔の出来事がありました。
私は、ハン・ガンさんのトリビュートとして作品からの一節をジョージア語とバスク語で手書きをしていました。トリビュートは私の手書く詩人活動の一つです。ところがノーベル賞受賞者の発表よりもずっと前から手書きしていたのに、その記事の投稿がノーベル賞の発表後になってしまいました。私の純粋に手書くことが楽しい禅的なはずの行動が、ノーベル賞によりすっかり俗にまみれてしまいました。流行りに乗った俗物とそれを気恥ずかしいと感じる俗物、二つの俗物です。これは記事#9に書きました。
もう一つの後悔
実はその他にもう一つ後悔があったので、ここではその話をします。
私はそのノーベル賞受賞者発表の前々日、休暇旅行でコペンハーゲンにいました。そのコペンハーゲンの書店で、表紙に惹かれて手に取り、迷った末に買わなかったのが、ハン・ガンさんの「ギリシア語の時間」のデンマーク語版「LEKTIONER I GRÆSK」です。
その本は平積みされていました。「HAN KANG」を「ハン・ガン」と推測するのはそれほど難しくはありませんでした。何となく北欧ではアジア文学が受け入れられている気がしていました。コペンハーゲンという町の静けさもどことなくハン・ガン的でした。
タイトルは、「LEKTIONER I GRÆSK」、パラパラとめくって中を見てそれが英語版でないことはわかりました。私はデンマーク語の知識がゼロですが、デンマークの書店に平積みされているならとデンマーク語と推測。そして文字をよく見て、立体視するときに視覚の焦点をずらすように、思考の焦点をずらしてみました。やがて見えてきました。LEKTIONERがレッスン、GRÆSKがギリシアと推測し、パターン認識で「ギリシア語の時間」と判断。家に日本語版があり、一節を手書くほどのお気に入りです。
このデンマーク語版を買うかどうか迷い、そして買いませんでした。買えば良かったという後悔です。
迷った時点で負け
オリジナルが韓国語の本を、日本語ネイティブの私が読めもしないデンマーク語版で購入、メチャクチャな状況が面白い。ジャケットも素晴らしい。でも、買わなかった。
ジョージア語とバスク語で手一杯だから、デンマーク語はまだ先だなと判断したのが理由の一つ。もう一つの理由は、外では雨が降っていて、私は傘を持っていなくて、ホテルまで戻る間にブヨブヨになりそうだったから。さらに、我が家は本が溢れて床置きしはじめてゴミ屋敷に向かいつつあるから、買うのは控えている。
などなど、買わない理由を探して、買わなかった。迷った時点で負け、買わない理由なんていくらでも見つけられます。
手に取った瞬間にレジに向かえばよかった。
この踏み出すことへの躊躇いは老化です。階段で息が上がるよりも、近くが見えなくなるよりも、大きなショックを受ける老化の実感です。決断に際して直感以外が幅を利かせるとは。
写真は撮っていた
本は買わなかったのですが、写真は撮っていました。
デンマーク語版は日本語版とは装丁が異なります。全く異なります(日本語版参照)。
このデンマーク語版のミニマルな表紙は、本の内容にもデンマークの洗練された雰囲気にもよく合っています。
タイトルもデンマーク語版と日本語版では単語が異なります。デンマーク語版では「LEKTIONER/レッスン」、日本語版では「時間」です。確かに内容に日本人の想像する「レッスン」感はない気がします。日本語版は訳者の斎藤真理子さんのセンスでしょうか。この本は、斎藤真理子さんの日本語も素晴らしいので、日本語ネイティブの人には日本語版をオススメします。
カーボンフットプリント
本の裏にカーボンフットプリントが明示してありました。303 gです。
この作品の穏やかさを生んでいる丁寧さと、カーボンフットプリントを表記する環境意識の高さが、すごく良くマッチしています。
これも写真を撮っていました。
日々は後悔だらけですが、これからも私はジョージア語とバスク語で詩を手書きしていきます。次の詩でお会いしましょう。