#9 ハン・ガン トリビュート
ゼロからはじめた手書く詩人 #9
ジョージア語とバスク語での手書きの詩人です。これが9作目の詩。両言語の知識がゼロからはじめています。日本語で作ったらテクノロジーを使ってささっと翻訳。翻訳サイトがあれば、言語に壁はありません。翻訳の出来具合が気にはなるけど、判断できないから気にしてもしょうがない。翻訳サイトを信じています。
ハン・ガンさんのノーベル賞と私の後悔
2024年のノーベル文学賞はハン・ガンさんが受賞しました。お気に入りの作家なので嬉しかったのですが、私としては大きく後悔する出来事がありました。私の間の悪さというか、流れや波を逃しがちというか。ここ一番の日に雨が降るのが私の人生です。
今日、ここで話題にするハン・ガンのトリビュートは、ノーベル賞とは全く関係なく(候補であることも知らなかった)、受賞者発表の随分と前から毎日毎日手書いていたものだった。この記事投稿よりも発表が先になってしまったことで、流行りに乗った俗物とそれを気恥ずかしいと感じる俗物、二つの俗物に絡まれてしまった。もっと早く投稿しておけばよかった。そんな後悔です。
不運って知らず知らずに寄ってきます。しかしその不運だか後悔だかから少し時間を戻してみると、私は数多ある本の中からハン・ガンを選んでいたわけです。神様からのヒントというか、世の中のサインというかには気づけていたわけである。私の感度は悪くないはずである。それを活かすのはまた次の機会にします。
気を取り直してハン・ガンのトリビュート
一旦、ノーベル賞を忘れよう。ゼロからはじめた手書く詩人の#9です。
ハン・ガンの本のうちで私のお気に入りはギリシャ語の時間。オリジナルは韓国語で、私が読んだのは日本語訳で、ギリシャ語教師の話で、登場人物がドイツに住んでいたりして、それを読んだ私はジョージア語とバスク語に訳している。もうメチャクチャ。グローバルというか多国籍。
ギリシア語の時間は、あらゆる書き出しが極上です。章のはじまり、段落のはじまり、視点や場面が変わったとき。書き出しなのでその前には文がないのに、その前で何かが語られたかのように、背景というか文脈というか少し前の過去というかが、知らず知らずに頭に入ってきている。そんな書き出し。一瞬で物語の世界に入れます。これが引き込まれるということだと思います。さすが一流、さすがノーベル賞。
そんなわけで書き出しから抜粋しました。
「ハン・ガン 著 斎藤真理子 訳」と訳者も書きたいほどに、日本語訳も素晴らしい。文が優しくて穏やか。メンタル不調の私の散らかった頭の中でも、言葉が捉えられる。体に染みてきます。slow downな時間。今さらですが、必読です。
ジョージア語
バスク語
今回はトリビュートと言いつつも、完全なる抜粋でした。
一流の言葉は、手書いていても心地良いことを知りました。
ではまた次の詩でお会いしましょう。次は自作します。