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(24)5歳頃からの積読本が「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~


 お手紙、つづきです。
 
 「家にある本で、デジタル漬けになる前に『読む』習慣を」
             
・・・というお話をしています。
 
 低学年までは動画やゲームがなくても家で楽しく過ごせます。
 「みんな見てる」「そういう時代」は少し横においといて・・・
 読む楽しみとすんなり出会える時期を大切にしたいなと思います。
 
               
・お手紙(23)はこちらからどうぞ。
(23)5歳頃から〝積読本〟と暮らすことが「本読む子」への最短ルートでした~10年前に出会ったママさんへ~|涼原永美 (note.com)
 
 
 今日は

「知識だけで私達は幸せになれない ー『アルジャーノンに花束を』を再読してー」

                   ・・・というお話です。

 
 
 さて、シオリさん。

 「アルジャーノンに花束を」という小説、知っていますか?
 読んだことがなくても、聞いたことがあるかもしれませんね。

 日本でも過去にテレビドラマ化されているので、ドラマを見たことがあるかもしれません。
 
 私が持っているのは文庫版で、「アルジャーノンに花束を」(作・ダニエル・キイス/日本語訳・小尾芙佐/早川書房)です。
 

 私はこの小説を、何年かに一度読み返します。
 そしてそのたびに再確認するのです。強く。
 
 私達は、知識や知能だけでは、幸せになれない・・・と。


 ストーリーをごく簡単に説明すると、幼児程度の知能しか持たない32歳の男性チャーリイが、知能を高める脳外科手術を受けることによって、急速に天才になっていく・・・というもの。

 作者ダニエル・キイスはこの元になった中篇を1959年に、1966年に長編化したものを発表したそうですーーかなり前ですーーが、内容にはまったく古さを感じません。
 
 急速に高まっていく知能によってチャーリイは、書物を読みあさり、さまざまな方面の学問や理論、研究に関する知識を深めていきますが、そのいっぽうで、子ども時代の悲しい記憶や、異性に対する恋愛感情が膨らんで、心の中で整理できずに苦しみ始めます・・・。
 
 また、働いていたパン屋では、友達だと思っていた仲間たちが、じつは自分を見下し、バカにしていただけだと知ったチャーリイは、そのことに傷つき、怒りや戸惑いの感情を覚えていくことにもなります。
 

 ーー友達が友達じゃなかったことを知る場面だけでも、私は読んでいてとても苦しいのですが・・・。
 
 設定としてはSFとも言える、あまりにも有名なこの小説が、私だけではなく世界中の読者にどんな衝撃や感動を与えてきたかは・・・ここでは多くを語らないでおこうと思います。

 
 ですが、ここにはとてもシンプルなテーマがあります。
 知識や知能だけで私達は幸せになれないのだ・・・と。

 
 成長した時にどの程度の知識や知能を得ていかは人それぞれにしても、私達は一人ひとりそれなりに、心や体の成長を実感しながら日々を生き、大人になってきましたよね。

 そこには一見無駄かもしれない道のりや、合理的じゃない感情があって、それでも私達は、「まあ、あれがあったから・・・」と、苦笑いをしながら励ましあって生きていくのだと思います(それを宝物と呼びたいです)。
 

 この小説の主人公チャーリイにはその「重ねた時間」がありません


 人間としての心や情緒が育たないまま、不完全な器に小爆発を続ける宇宙のような知能や知識をむりやり詰め込まれている・・・ような状態です。

 
 ーーだからもちろん、心が壊れてしまいそうになります。

 
 物語の終盤で、高まる知能と傷つく心の間で苦しむチャーリイが、自分に手術を施したチームの一員である、大学の心理学教授と言い合いをする場面を少し引用します。

 教授陣は、手術の被験者として素直に研究に協力しなくなったチャーリイを非難しますが、人間の心を持ってしまった彼は、反論します

 「誤解しないでくださいよ」私は言った。「知能は人間に与えられた最高の資質のひとつですよ。しかし知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりに多いんです。これはごく最近ぼくがひとりで発見したんですがね。これをひとつの仮説として示しましょう。すなわち、愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないし精神病すらひきおこすものである。つまりですねぇ、自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ。
 ぼくの知能が遅滞していたときは、友だちが大勢いた。いまは一人もいない。(後略)」

「アルジャーノンに花束を」(作・ダニエル・キイス/日本語訳・小尾芙佐/早川書房)p393より

 

 ーーこれを、単なる小説の一場面、主人公のただのセリフだと・・・私はどうしても片付けることができないんですね。

 
 私がこれを初めて読んだのは20代の時でした。
 今は40代で、子どもを育ていますから、再読すると、どうしても子育て目線で考えてしまいます。
 

 今は、「こうしたら子どもの学力が上がった」「こうしたら志望校に合格できた」・・・というノウハウや体験談にあふれています。
 ーーもちろん、それはとても大切なことです。
 勉強ができること・・・というか、教科書に書いてある内容や世の中のできごとが「わかる」ということは、重要です。生きやすくなります。選択肢が増えます。

 
 けれど子どもは、知識や知能やスキルの器である前に、愛情の器だと思うのです。

 感じる心や、人としての情緒や、自分で考えることの喜びがあり、その器に知識や知能が入っていくという基本を、忘れたくない・・・。


 「アルジャーノンに花束を」は、そんな気持ちを思い出させてくれる一冊です。
 
 ーーいつか子ども達が成長したら、うちの本棚から、これを引っ張り出して読んでほしいと思います。少し難しいですが、読書体験を積み重ねれば、いつか読めるようになるでしょう。
 そうしたら感想を聞いて、いろいろ話し合ってみたいと思います。

 

 ・・・ちなみに。

 これは本ではありませんが、私のなかで同じテーマを感じる映画に
「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1998年/アメリカ映画/監督・ガス・ヴァン・サント/日本語字幕・太田直子)
 
 ・・・という作品があります。
 これも有名なので、知っている方が多いかもしれませんね。
 
 主人公の青年ウィルは天才的な頭脳の持ち主ですが(特に数学)、不遇な生い立ちから深い傷を負い、人に心を開こうとしません。――が、ある心理学者との出会いから少しずつ心を癒され、人生を取り戻していきます。

 この作品から強く感じるテーマもこれまた、
「知識や知能だけで私達は幸せになれない」なんですね・・・。


 ウィルの才能に気づいた大学教授ランボーと、ウィルを救おうとする心理学者ショーンの会話のなかに、アメリカに実在したテロリスト、テッド・カジンスキーの話が出てきます。彼は天才数学者でしたが、その頭脳で爆弾を作って人を殺しました。

 人格を形成しなければ、能力は無為にはたらく可能性もあるのだということを、ショーンは語っているのだと思います・・・。

 
 ――考えさせられますね。
 
 
 この映画も、いつか子ども達に観てほしいなと思います。

  物語や小説は、時に本当に人生が変わるくらいの考え方の転換や、心の栄養を与えてくれます。

 我が子だけでなく、今を生きるたくさんの子どもや、若い年代の人達に、触れてほしい物語です。
 

 お手紙、続きます。


 
〈なに思う伏目のまつ毛のその先の小さなその手でめくるページに〉


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