【この1冊】島田荘司『異邦の騎士』を読んで、信じられるものはここにあると思えた
20年以上前に20代で出会った魂の1冊
※核心的なネタバレは避けますが、かなり内容に触れるので、未読の方はご注意ください
※作家名は敬称略とさせていただきます
ーーあぁなんか、ついにこの本のことを書く時がやってきた気がする。好き過ぎて、なかなか触れられなかった。けど、ようやく自分のなかで「この先書いていきたいこと」のジャンル分け(ミステリー/映画/子どもと本など)ができてきたから、次の扉を開けてみようかと思えた。時事的な意味は特にない。ただただ大きな影響を受けた本の話。
島田荘司『異邦の騎士』はすごく大切な1冊だ。ミステリーとして面白い、を自分のなかで遥かに超えている。
20代前半でこの本に出会って私は、なにかと迷いがち、ブレがちな日々のなかで「こういう考え方を軸に生きて行けばいいんだ」という指標みたいなものを手に入れた。読書の軸も、島田荘司の作風が中心になった。それは「知的であり、人間として温かい」という手触りだったと思う。
出会いとしては、ミステリー好きな私が『占星術殺人事件』の謎解きに衝撃を受け、探偵・御手洗潔シリーズの第4作として自然な流れで手に取った、という形なのだけど、その前にある推理作家が「国内で好きな作品No.1」として『異邦の騎士』を挙げたインタビューを何かで読んだのだ。「すごく感動して、泣いた」と言っていたので「泣ける?謎解きに感動したという意味かな」とちょっと不思議に思いながら読み始めた――という経緯もある(誰なのか忘れてしまった、残念)。
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島田荘司『異邦の騎士』のあらすじは次の通りだ。舞台は昭和50年代の東京。
――という感じなのだけど、これは探偵・御手洗潔シリーズの第4作でありながら、実は時系列としては最初の事件(※)。この時の御手洗は20代で、肩書きは占い師。第1作『占星術殺人事件』の前段階の話にあたるので、御手洗はまだ「探偵」として世に知られてないし、益子と出会ったのも、たまたま・・・というか益子が看板を見て「御手洗占星学教室」を訪れたのがキッカケだ。
※実はこの後、御手洗のより若い頃のエピソードを書いた作品が何作か発表されているのだけど、それを考えるとキリがないので(番外編的なものもあるし)、あくまで『占星術殺人事件』が最初の事件、という認識で話をすすめます。
『みたらい』です! もしあなたに特に反論がないなら、次からそう呼んで下さい
2人の初対面は、飄々としていて突拍子もない御手洗と、心のなかで突っ込みを入れる益子との掛け合いがなんとも面白い。記憶喪失ではあるが、益子が常識的な善人であることがよくわかる。たとえばこんなふう。
「御手洗」という名字をどう発音するか自信が持てず、呼びかける際、益子が早口で「おてあらい」と「おたらい」の中間に聞こえるように発音する、という場面で、
――と、なかなかにエキセントリックな展開(笑)。急にキャラクターミステリーのム-ドが増してくる。ちなみに御手洗が突然椅子に倒れ込んだのは、まだ寝起きだったから。これはやりとりのほんの一部なのだけど、もし映像作品になって原作の雰囲気をそのまま生かすことができたら、楽しいシーンになると思う。この場面が大好きだ。
そして、一見噛み合わなさそうな2人はこの後、御手洗の大好きな音楽(チック・コリアとか)を聴いたりして心の距離が近くなり、御手洗の提案で「友人」になる。後で考えると「そんなことよりわれわれは友人になりませんか。友人になればお代はタダになる」という御手洗の発言にも大きな意味があったんだ・・・とジワリとくるのだ。
戦慄の過去を知って追い詰められる主人公
さて、物語全体で起こっている出来事に照らし合わせると、初対面の時点で御手洗は益子に対して不穏な何かを感じていたはずだ。
それは御手洗が優れた占い師であり、「思いやりのある天才」だからなのだけど、この時、視野の広さと狭さという点においても2人は大人と子ども、いや仙人と赤ちゃんほども違っていて、仙人のほうの御手洗が後で起こる(実はもう起こっている)悲劇から益子を救うことになる。小説とはいえ、出会いって本当に奇跡を生むからすごい。
で、ここから中盤にかけては益子が1冊の日記を手に入れたことから、「ある人物を殺さなければ・・・」と精神的に追い込まれる様子が描かれる。ここからすごくサスペンス感が高まってきて、この話、いったいどこに着地するの? とハラハラドキドキするのだ。
そして事態は急展開し、かなりまずい状況へ突進していく益子。さぁどうなる・・・というところで御手洗が助けに現れる。初めて読んだ時は私も、益子と同じように「どうしてここに御手洗が⁉」と本当に不思議だった。
――そしてこれ以降、手品の種明かしのような、驚くべき謎解きが始まる。もうこのあたりから、ページをめくる手がとまらない(再読でも)。
えっ、こんな話だったの? と物語の本当の姿が見えてきた時、益子も読み手も、今まですごく狭いところでウロウロしていた(させられていた)ことに気づくのだ(視野狭窄に陥ると他者にコントロールされやすい・・・という現代にも通じる教訓も感じて怖い)。
私はこの小説の一番どこに感動したんだろう
作者の島田荘司は、『改訂完全版 異邦の騎士』のあとがき「異邦の扉の前に立った頃」のなかで、「これはミステリーではない」と書いている(書いた時の心情を述べているのであって、謎解きがないとは言ってない)。
とは言え、御手洗が益子との何気ない会話や様子から疑問を感じて、自分で調べた内容と緻密な論理から「益子の置かれた状況」の真実を導き出したのは、まぎれもなく名探偵の仕事だと思う。
ここで御手洗はようやく、「記憶喪失の主人公が出会った風変わりな占い師」から「名探偵・御手洗潔」としての姿を現すのだ。
後半で、バイクに乗って夜の土手に現れる場面はまさに主役登場といった趣だし、もし映像化されたらここは印象的なシーンになっただろうな・・・(島田荘司は『御手洗潔の挨拶』のあとがきで、昔『異邦の騎士』のドラマ化オファーがあったと書いている。ちょっと見てみたかった気もするけど)。
でもこれだけなら、私はもしかしてこの小説を、島田荘司の作風を、大好きではあるが心のより所にまではしていなかったかもしれない。
初めて読了した時、余韻に包まれながら「私はどこに一番感動したんだろう」と頭を整理し、浮かんだのは、御手洗が益子に向けたこの言葉だった。
――真相はこうだ、と御手洗が伝えた時、益子はその辛さに「君なんかに何が解る!」と激怒する。理論と感情のぶつかり合いだ。そして「出ていってくれ!」と言われた御手洗が悲し気に言ったのがこの言葉。
そう、私がこの物語でいちばん好きな場面、御手洗の言葉は、自分に対して容赦のない怒りをぶつけてきた友人に対してのものなのだ。けれど――。
本当に「頭がいい」ってこういうこと
普通ならこういう態度は取れない。私なら「せっかくここまでしてあげたのに」「こっちが正しいのに」と腹を立てるかもしれない(いやそもそも推理ができないけど)。
本当に頭がいいってこういうことなんだ・・・という感動は20代の私の心に深く染み入った。
意味としてはちょっと違うけど、「井の中の蛙」のように益子は小さな世界にいて、溺れかかっていて、もう自分は終わりだと思っている。だけど本当は、井戸の向こうに本物の世界があり、益子が自分でそれを見つけるまで御手洗は「部屋で待ってる」と言ったのだ。
穏やかに、同じ場所で待っていてくれる人がいるって、人を救う。
謎解きをするだけなら、それは「ただの探偵」だと私は思う。名探偵は「心解き」をする。思えば名探偵ポワロも刑事コロンボも、時として事件の関係者の心に寄り添い、優しく励ますことがある。――そういう名探偵が私は好きで、だからミステリーが好きだといっても過言ではないくらい。御手洗潔はまさしくこの『異邦の騎士』で、その名探偵ぶりを見せてくれた。こういう精神は美しい。信じられるものはここにある、と私は打たれた。
そして傑作ぞろいの御手洗シリーズのなかでもこの作品が特別なのは、『占星術殺人事件』以前の「名前にコンプレックスを抱く御手洗」の、可愛らしいとも言える自虐的な独白が(かなりイキイキと)書かれているところだ(シリーズが進むにつれてこうしたシーンは少なくなっていく)。
天才だけどトボけてて、演説好きで変人扱いされるけど、実は本質を述べているだけという、誤解されやすい、愛すべき人物(変人扱いに関しては本人はまったく気にしていない)。せっかくなのでもう少しだけ、前半の楽しい場面を引用してみたい。
益子が「名前も面白いんだけど、人間も面白いぜ」と良子を連れて「御手洗占星学教室」を訪れた場面。
そしてこの後、御手洗は自虐的な演説を繰り広げ、子ども時代「便所ソウジ」とからかわれて毎日トイレで泣いたこと、「皮肉なことに、ほかに一人になれる場所がないのさ」という辛い過去を話して、良子を涙が出るまで笑わせた。
考えてみればこの物語で良子の真に明るい場面はここだけかもしれない。御手洗が自らすすんで道化師を演じる時は、相手の不幸を感じ取った時だ。シリーズ通しての読者として、そんな気がする。
名作だけど『占星術殺人事件』未読の人にはおすすめしづらい理由
あぁ、それにしても。
御手洗シリーズファンのなかでもこの『異邦の騎士』を特別な作品として挙げる人が多いのは、それ単体が物語として面白いから、だけではない。
それは『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』・・・とシリーズを順番通りに読んできた者にとって、最後に「えっ!」と驚く感動的な事実が待っているからだ(ちなみにシリーズ第3作『御手洗潔の挨拶』は短編集で、順番はあまり気にせず読んでもわりと大丈夫)。
わかる人は「あぁわかるわかる」と言うだろう(当たり前)。
やっぱり3冊目か4冊目に読むのがベストだけど、百歩譲って最低限『占星術殺人事件』を先に読んでほしいと願う(なぜオマエが譲るんだ・・・というのは置いといて・笑)。いやそれはもちろん読む人の自由だし、『異邦の騎士』は単体でも読める作品ではあるんだけど、やっぱり最後は
――え~、そうなの!
これって、その話だったの?
と「びっくりして感動して」ほしい。だってそれが、読み手にとって一番ハッピーな流れだと思うから。
クドいようだが、何度でも言おう。
『異邦』は『占星術』を読んでから!←標語
ただこうまで言っておきながら悩ましいことがある。
それは「できれば先に読んでね」と言うには『占星術殺人事件』はあまりに本格マニア受けする重量感のある作品だということと、同じシリーズでありながら物語の味わいとして『占星術殺人事件』と『異邦の騎士』は「まったく毛色の違う2作品」だということ。誰でもサクサク読めるとは言い難いのだ。
もちろんそんなことは気にしない人や読書慣れしている人、『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』を読んでいて、なぜか奇跡的に(?)『異邦の騎士』はまだ・・・という人は、ぜひ読んでみてほしい。
忘れられないラストの3行
加えてこの作品、ラスト3行がまた素晴らしい。何度でも余韻に浸れるし、今までその3行を500回は読んでいる(さすがに引用はしないでおきます)。さまざまな出来事がこの締めによって静かに閉じていくイメージだ。あぁ終わった・・・と納得できるから、悲劇であっても読後感がいい。こんなすごい文章は、何度生まれ変わってもきっと書けないだろう。
かつてこの作品を「いちばん好き」「泣ける」と話していた推理作家の方は、果たして誰だったのかな・・・できることなら思い出したい(そもそも名作だからそういう人も多いのだろうけど)。あれは25年くらい前だった。今も同じ気持ちでこの本を読んでいる読者がここにいます。これは泣く。本当に、すごい作品ですよね。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
素晴らしい読書体験がたくさんの人に訪れますように
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