ICTをとりあえず使うから、ICTだからこそできる学びへ
GIGA2年目の1学期も終わろうとしています。毎年1学期は嵐のように過ぎ去って、夏休みにほっと一息する先生が多く見受けられますが、今年もまさにそんな感じです。
全国の小中学校にタブレット端末が配備されICTを活用した学びが本格化してきているなと感じています。
GIGA元年にあたる昨年度は端末配備や環境構築の観点でスタートが2学期だったりするところも多く、足並みが揃わないままなんとか1年目を終えたという感じでしたが、2年目となるとそうはいきません。
それに伴い教育委員会の考え方も変わってきているなという印象です。
今回はどのような変化が見られるのか、またまだまだ沢山の課題があるのでどのような点があげられるのかを整理しながら2学期以降どのような学びの環境構築ができるか、されるべきかを考えたいと思います。
つべこべ言わずに使ってみるから、ICTならではの学びへ
つべこべ言わず、というフレーズは平井聡一郎先生の有名なフレーズですが、平井先生自身も今年度に関しては、つべこべ言わずに使ってみるからの脱却を掲げているとおっしゃっていました。
実際に、少しずつではありますが変化は感じています。
昨年度はどちらかというと、紙媒体やアナログで運用していたことをデジタルへ移行してみる。
とりあえず今までやっていたことをデジタルでやってみる。
そんな感覚であった学校がほとんどではないでしょうか。コロナの感染症も時期によっては増えていたりしますし、まん延防止もありました。
そうした中でまた学びを止めないためにデジタルを使うということもありました。
ただこうした措置はあくまで、今までのリプレイスでしかありません。
GIGA2年目に入り、このままでは最大化することはできないということを感じてきています。
このような背景から「とりあえず使う」から「ICTだからこそ出来ること」を考えるようになってきています。
私自身もようやく研修の企画力が求められてきているなと感じています。
「どうやるか」より「どうあるか」を考える
この一年で全国的に沢山のICT活用に関する情報が流通しました。たくさんの本が出版され、メディアによるたくさんの事例紹介が共有され、動画でどのように操作をするかなどのHow toコンテンツは一気に増えました。
これ自体は本当に素晴らしいことで、先生方の努力や日々の素晴らしい実践の賜物です。
一定の情報が流通した現状において、これからは「どうあるべきなのか」ということについて焦点が向けられてきています。
2年前のブログでも書きましたが、Be-Do-Haveの考え方を今こそ改めて考えていくべき時なのかなと考えています。
今一度Be-Do-Haveについての確認ですが、以下のような考え方です。
GIGA元年は主にDoやHaveをずっとやってきていたと思います。
しかしながら、毎年のように新しいオンライン教材やICTツールが台頭してきており、正直ICTについての最新状況を常に追っている私や同業界の方でさえ、全てをキャッチアップすることは難しくなってきています。
そしてこの流れは今後も止まらないでしょう。
ただしそのこと自体は歓迎すべき事実です。もっともっと学びの選択肢が増えることは児童生徒にとっては素晴らしいことであり、教育業界をさらなる高みへ連れていってくれる存在なわけです。
ただし、その全てを追いかけていくのは不可能です。到底全部を覚えることなんてできないし、覚える必要もないです。
では、我々はどうしたらよいでしょうか。
それは、どうありたいかをデザインすることです。
これらを考えることが重要です。
どうありたいかを想像すれば、どのような学びを構築すればいいかがわかる
教育業界に従事するものであれば、なんとなくでも児童生徒がどのような人になってほしいのか、という理想像はあるかもしれません。
また、先日のブログにもこれから必要な生きる力についても述べてきました。もちろん個々人の思いと社会全体が求めていることを照らし合わせながら考えていく必要はあるでしょう。
そのどうありたいか像が明確になれば、あとはそこに向かって何をするか(do)、何を知っていなければならないのか(have)、ということが見えてくるわけです。
反対にどうあるかを定義していなければ、何をすればよいのか、何を知っていなければならないのか、がぶれてしまい、とりあえずみんながやっているからそうしよう、やあれもこれも学ぶなんて無理、となってしまいます。
キーワードは"個別最適な学び"と"協働的な学び"で、どちらかというと協働学習の方が難易度が高い
文科省が主体的・対話的・深い学びを呪文のように唱えるのとともに、語られるのは"個別最適"と"協働学習"になります。ICTを語るうえで、ここ数年はずっとこのテーマについて各所で様々な意見が述べられてきていると思います。ここで詳しく書くと長くなってしまいますので、より詳細を確認したいという方は、ぜひ以下のURLをご確認ください。
まず手っ取り早く対策に講じられるのは、"個別最適な学び"についてです。GIGA1年目の話を冒頭にしましたが、いわゆるアナログだったものをデジタルにリプレイス(代替)するということが起こりました。
実際、アナログだったものをデジタル化しただけだったか、というとそうではなく、ICTの特性である"処理能力の速さ"と"データの蓄積"によって、より個々人の性格や知識レベルに合わせた学習の提案や指導が可能になりました。
もちろんどこまで個別最適された学びを実現するかという深さの違いはあるものの、アナログだったものをデジタルに移行するだけで一定の個別最適な学習環境は構築することができます。
ドリル系のアプリを導入すれば、自分にあった問題ができるようになりますし、Google Formsを使えば、すぐにクラスの学力傾向がわかり、次の授業でどうすれば良いか道筋が簡単にわかったりします。
一方で、"協働的な学び"に関しては、そうはいきません。
これまでにない活動を増やすことが求められるわけです。
これはつまり、既存の授業設計においての時間配分や先生のスタンスを変えなければなりません。このハードルは非常に大きいと各所では声が上がっています。
そして、協働的な学びは必ずしもICTを活用する必要はなく、文部科学省は以下のように述べています。
つまり、個別最適な学びも協働的な学びもあくまで手段でしかなく、最終的には上に書かれているような資質・能力を身につけることが必要であると述べられているわけです。
では、今、この資質・能力がトレーニングできる授業設計になっているか、カリキュラムになっているか、というとそうだとは言い切れません。
だからこそ、それを実現するために"個別最適な学び"と"協働的な学び"の二つを実現することによってこれらの資質・能力をトレーニングすることができるのです。
少し話が脱線しましたが、ではその二つを実現するためにすべきこととしては、どうしても従来の時間配分を変える必要があります。
上のように表してみましたが、関係性としてはこんな感じでしょうか。
個別最適な学びの実現によって、今までやっていたことを1/2程度の時間や労力で習得につなげる、そして残りの1/2で協働的な学びの時間を確保する。
こういう姿の実現が望ましいとされています。
しかし現状を見ていくと、下にあるような感じで、ICTによって個別最適な学びが実現されつつある状況において、余った時間をさらに演習問題の数をこなしたり、もっと難しい問題を解くような流れになっているところも少なくありません。
だからこそ、今一度「卒業時の児童生徒はどんな姿か?」という理想像に立ち戻り、何が足りていて、何が足りていないのか、を冷静に整理し、考える必要があるのです。
まとめ
ここまで様々なことを述べてきました。
まとめるとメッセージは二つです。
1. 何をするか、を考える前に、どうあるべきか、を考える
2. 個別最適な学びがもたらすのは、従来型の学習を効率化、効果を最大化することと相性が良く、その余白で協働的な学びの実現を考える
こんなところでしょうか。
私自身もGIGA2年目の変化を肌で感じています。
どのようにこれからICTを活用して、そのさきに何を目指していくのか、という点について各所で悩みを抱えているところが多く見受けられます。
ぜひ一緒に考えていきながら、ポジティブな未来に向かってあゆみを進み続けて行けたら、より素晴らしい日本社会が待っているのではないかなと思います!
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