読書記録:ユリゴコロ (双葉文庫) 著 沼田まほかる
【暗黒の世界で見つけた拠り所、それは深い愛を伴う】
婚約者の千絵が失踪したり、父が末期の膵臓癌になったり、母を事故で喪った亮介が一冊の書記を見つける事で、殺人鬼の半生が浮き彫りとなる物語。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
かの有名な哲学者であるニーチェの言葉である。
人は自分の暗がりと対峙し続けていると、その醜い欲望に知らないうちに呑み込まれてしまう。
醜い欲望とは、自分がしたい本能であり、それに流されてしまうのは、正直に言えば、楽な生き方である。
それを抑える為に、理性というものが人には備わっているのだが、その本能に抗えない人間もこの世界には存在する。
衝動的に人を殺しているのに、美談として語られる。
罪を償っているとは言えないのに、家族の深い愛が見え隠れする。
それはユリゴコロという名の、心の拠り所が、形は違えど、誰しもが心の奥底に潜めている証でもある。
産まれた時から自分でも良く分からない衝動という物が人の心の中にある。
それを上手く飼い慣らせる人もいれば、それに呑み込まれてしまう人もいる。
だが、普通から外れてしまったアウトローな人間は、普通の幸福を探す事を諦めて、法律やルールを越えた、自分にとっての快楽を優先するしかない。
サイコパスの見解は、誰しも心の奥底に、もう一人の殺人者が潜んでいて、呼び覚まされる条件が整う時をじっと待っていると宣う。
しかし、そのような生き方を貫けば、人に怨みを買って、自分にとって不都合な不幸も起きるし、人格が歪に狂ってしまうのも無理はない。
亮介は、不幸の疑惑を解明する為に弟の洋平に協力を求める。
喫茶店で働く同僚の細谷さんの助言を受けて、姿を消した、恋人の千恵の思惑を一緒に考える中で。
ふと蘇る、小さな違和感。
それは幼い頃に母が入れ替わっていたのではないかという曖昧な推論。
不幸が立て続けに起きた亮介が見つけた書記。
それは、母の美紗子の罪の告白だった。
それは、知らない方がいい真実であり、暴き立てても詮無き事実であった。
ある種の障害を患い、命を消す事で心の安寧を図って、それを自らの拠り所とする。
娼婦として、行きずりの男との間に宿した命。
それを共に育てた父親との奇妙な関係性。
美紗子の妹である英実子を美紗子として受け入れて、歪な家族を築きあげていく、余命が幾ばくかの父親。
美紗子は殺人を犯した罪を償おうと子供達と心中しようと決意したが。
無関係の子供を巻き添えにしたくないと夫婦で話し合って、母の妹である英美子を亮介の母に仕立て上げて家族を営む事を決める。
犯した罪から眼を背ける、英美子と入れ替わる計画を立てた、端から見ればおぞましい家族の形。
しかし、その理由は、殺人犯の子供という負い目を亮介に感じさせない為でもあった。
殺人を何とも思わない一方で、我が子には溢れんばかりの愛情を捧げるという、アンバランスな情緒。
どれだけ、グロテクスな関係であっても、家族としての愛情を消失させたくないという、両親の複雑な心境と葛藤。
そうやって、仮初めの家族の体裁を整えるが、殺人衝動を押さえられないアウトサイダーである自分に対して、負い目を感じ始める美沙子。
人を殺す事で生を実感して、幸せを感じる自分は異常者なのか?
その罪悪感はずっと、彼女の心にのしかかっていた。
思い返せば、美沙子は幼少期から、日常的な生活の中で、楽しさや幸せを感じるといった心が欠落した「ユリゴコロがない」子供だと言われていた。
それは、小さな子供が足下の蟻を躊躇なく踏みつける事に罪悪感を感じる事なく。
むしろそれが自分にとって深い意味のある行為だと、認識してしまうような悪癖である。
だが、人殺しの美紗子を愛してくれる人がいた。
それが今の旦那であった。
夫婦はそれぞれ人を殺してしまった過去があり、二人はその罪と欠落を寄り添う事によって、互いの拠り所とした。
空虚だった心の寂しさが、徐々に満たされていく感覚。
人を殺さなくても、精神の安定を取り戻していく美紗子だったが、人が宿す業とはそんなに生易しいものではない。
彼女にとってユリゴコロとは、人を死に至らしめる瞬間に感じる幸福であり、リストカットする人が気持ちが良いと感じる感情と同じであると、理解しがたい感情を独白した。
美紗子にとって殺人とは愛や好意といった、他者との深く結び付く為の手段であり、命とは儚いものであると生を実感する行為であった。
しかし、その歪な認識が、自分の身体から産まれた命と恋慕をひた注ぐ父親の存在によって。
愛や繋がりとは壊すものではなく、築きあげて、守るべきものなのだと変わっていく。
その両極の矛盾と葛藤によって、自分の首を締め続けるような苦しみを味わい続ける。
世間を戦慄させるようなサイコパスでも、自らの異常性と共存して生きるのは、やはり苦しい。
社会からかけ離れた苦悩を抱えてしまう自分をどうしても意識して、嫌悪してしまうから。
だが、憎悪や怨恨の為に、人を殺害した経験は美紗子には一度もなかった。
全ては、彼女にとって、人との繋がりを実感して、命の儚さを知る事を快楽とする行いであった。
しかし、罪のない人を殺す理由が如何なるものであったとしても、正当化出来るものではない。
被害者からすれば、彼らは罪を犯しているのに、幸せに辿り着く事自体が、許せないだろう。
だからこそ、亮介の両親は死んだ後も、その代償と罪障を背負い続けなければならない。
その書記を読み終えて、亮介は常々とそう実感したが、最後に予想を越えたどんでん返しが待ち受けていた。
恋人の千恵が、突然に姿をくらました本当の理由。
そして、別世界へと旅立ったと思われた両親であったが。
亮介が働くドッグランのある喫茶店のマスターである細谷さんが、実は急死したとされていた美紗子であった。
彼女は亮介が気付かない間、ずっと我が子を一番傍で見守っていた。
犯した罪の代償として、子供から離れる決意をした美紗子だったが。
英美子に母親を代わってもらっても、やはり、我が子の事は、一番に気にかけていた。
それが、彼女なりの不器用な、母性としての愛情であった。
日の当たらない暗がりに、ずっと陥っている感覚を覚えていた亮介だったが、いつも傍でじっと見守られて、つたない暖かさに包まれていた。
快楽殺人という、度しがたい罪を積み重ねて作り上げた家族の形。
ただ、その罪を背負っていても、我が子だけは守り抜きたかった。
自ら犯した罪には、愛すべき我が子は関係がないから。
個人的には、美紗子には自分の犯した罪を償って、その自らの業と衝動をコントロールする治療を行って欲しい。
そうやって、自らの業から解放された姿で、もう一度、亮介にちゃんと、胸を張って会って欲しい。
ただ、人は本来は弱い生き物であるのだろう。
自分一人の力ではなかなか変わる事は出来ない。
しかし、自分にとって大切な誰かを思い浮かべて、その人を哀しませないように、変わるしかないと覚悟を決めて生きるしかない。
美紗子はおぞましい殺人鬼でもあったが、一人の母親でもあって、我が子を深く慈しめる感性を持ち合わせている、ごく普通の女性でもあったから。