読者記録: 破局 (河出書房新社) 著 遠野遥
【社会模範に則った自分のルールに縛られて破滅する】
慶應大学に通う陽介は、公務員を目指して、OBとしてラグビーのコーチをして己の鍛錬も続けるが、麻衣子と灯に出逢う事で、いつしか爛れた性に溺れていく物語。
自分を形作る上で、絶対に揺らいではいけない価値観と信念が人にはあると思う。
それがあるからこそ、人は雑多で不確かな価値観が溢れた世界でも、己を保つ事が出来る。
それはある種、本来の自分を自らの思い描く理想へと型をはめる行為。
しかし、もしその理想像が、自らが犯した失敗で壊れてしまったら、人はどうなってしまうのか?
それを赤裸々に紐解いていく「破局」という本作。
タイトルがなんともインパクトがある「破局」である。
読み始める前に、改めて辞書を引いたら、恋愛以外でも「破局」という言葉は使うらしい。
スポーツに打ち込む者、勉学に勤しむ者、なりたい職業を目指す者、目標に向かって正しい努力が出来る者。
そういった環境に恵まれた、いわゆる「正しい」人生を歩んでいるつもりの人達でも。
その「正しさ」とは一体なんなのか、何を基準にして決めているのか、よく認識してなかったり、ルールが曖昧な人が多い。
大学生の陽介は、社会規範やルールに則る事こそが、是とする理念に憧れを抱いて、そうすべきだと考える。
今までからこれまで、ずっと公務員を目指してきた。
彼にとって公務員が、数ある職業の中で正解だと信じていたから。
ラクビーで汗を流して、抜群なルックスで異性からもてはやされて、頭も切れるし、塾講師のバイトで稼ぐ経済能力もある、完璧超人。
恋や勉強、就職活動も順調に進められる、極めて優秀な学生であり、そんな彼を周りは評価する。
しかし、陽介はあらゆる行動の一つ一つに理由をつけなければ行動できない癖があった。
だが、その彼が考える理由と普通の人が想像する動機とは、どこか認識の違いがあって、そのちぐはぐさに独特の気持ち悪さがある。
それは、彼らしい本心が感じられないからである。
「マナー違反だから」「迷惑だから」「公務員になる為だから」
彼の行動指針は、常にこうすべきだという価値観。
合理的に生きる事こそが彼にとっての正義であり。
全てが自らの思考と整理によって制御出来るからこそ、他者のアドバイスや繋がりを必要としない。
むしろ、合理的に生きる為には、時として感情的に動く人間関係は邪魔だとさえ言ってのける。
あらゆる物事は、他人が勝手に巻き起こす他人事。
そんなのに左右されない、型にはまった生き方を選ぶ方が自分は楽であるから。
その無駄を省いた心境は、機械的であり、人情や人との心の触れ合いを忘れたゾンビのような生き方だった。
彼は全ての行いを感情で動くのでなく、法律や規則で定まっているのだから、それに従うべきだと考える。
だから、他人や自分の感情など邪魔でしかない。
その法律や規律がどういう目的で定められているのかは、彼は敢えて想像しない。
理路整然と目指すべきゴールに進む、最短ルートは彼は、もう分かっていたから。
だが、彼にも人並みの幸せを手にしたい願望もあった。
だからこそ、友人と恋人にも、表面上はきちんとした言動や態度で接する為に、自らを偽って、擬態する。
素敵な人間関係に恵まれて、同じ景色を見ているようで、彼は全く違う事を考えている。
彼の支柱となるのは、健康的な肉体と性。
それをずっと自らのパラメーターにしてきた。
正常に機能する事こそが、彼にとっての正義である。
そんな自らの正しさに、絶対的な自信を持って生きてきた。
なぜなら、この価値観を抱え持っていても、今まで大きなトラブルもなく、順風満帆に人生を歩んでこれたから。
しかし、陽介の正しさは独りよがりであった為に、他人の価値観を理解しようとせず、過剰に自分の正義を押し付けようとする。
そうやって、一見、自己中心的に生きているようで。
悲しいくらいに、他人を慮るマイルールに従っていた。
たとえば、公衆トイレの便座を下げたままにした者に、激しい怒りを抱く。
「なぜなら~で、~であるからだ」という哲学は彼が合理的に生きる上で外せない考え方であった。
そんな彼は、向上意欲と才能が溢れた生徒達が通う慶應義塾大学へ通う。
恋人にはこうであるべき。
指導者はこうであるべき。
時には、その自分のマイルールを外部へと持ち運び、社会のルールや正しさを、自分の言動に則って、決めていく。
自分の理想の枠組みから、少しでも外れた瞬間にさに、それを敵として判別する思想を、彼は度を越えるほどに持っていて。
自らを常に律して生きているからこそ、他人のマナーやモラルをいちいち気にして、他律的に生きていく。
そうやって生きているのだが、その実、何故か他人に対して、興味が沸かない。
順風満帆に見える主人公として描かれているが、どことなく感じる、そこはかとない気持ち悪さと不気味さ。
都合の悪い事から目を伏せるような不安定さが、忍び寄るように伝わってくる。
こうするべきだからこうする。
そういったシンプルなマイルールを貫く事が、完璧に調和の取れた生活であり、自己肯定感を上げてくれる、彼にとっての癒しとなっていた。
しかし、まるで陽介とは正反対の、感情の赴くままに生きているような同級生である「膝」と関わる事で、彼との価値観の対比により、自らの異常性に気付いてしまう。
そして、陽介に対する純粋な愛情が、生々しい性欲への捌け口へと変わっていく同級生の「灯」と出会った事で。
陽介は、同級生の「麻衣子」とも付き合っていたが、彼女との価値観の齟齬から、どんどんと疎遠になって、一年ぶりに灯を彼女として乗り換える。
自らこだわりを優先的にするが、大きなトラブルもなく、静穏に進んでいた彼の大学生活。
しかし、理性で抑え込んでいたはずの本能が、ある瞬間に、直情的な感情になって、沸騰するように爆発する。
自らの価値観を揺るがそうとしてきた人物を、思いっきり殴ってしまった。
その瞬間に陽介が感じたのは、たまたま、読んでいた殺人犯側の心理を描いていた小説の男の末路。
規範に従ってきた陽介は、自らの欲望に素直になって、その葛藤から解放される男のラストシーンと、自分の行いが重なったと自覚するきっかけとなった。
そこから、規律正しく生きていた陽介は、坂を転がるように堕落していく。
処女だった灯は陽介を知ってから、セックスの虜になる。
互いのアパートを行き来し、北海道旅行に出掛けたりと、二人の蜜月が続くが、麻衣子と完全に別れ切れていない事を灯に知られてしまい。
甘ったるい生活は、唐突に修羅場に変わって、今度は灯から別れを告げられてしまう。
付き合っている女性には、その意志を出来るだけ尊重して、向こうが許す範囲内で性行為をする。
その場での相応しい正当性を求めて、自らの感情を移入させる事を極力省いて、こんな場面ではどうするのが妥当かと考えている。
彼は外見は申し分ないし、真面目であるのは間違いないのだろうが。
付き合っている女性がいるのならば、元カノが押しかけてきたとしても、部屋に入れるのは間違っていると考えながらも。
次の行では、彼女を部屋に招いている。
彼にとっての都合が悪い事は、頭の中で都合よく削除されるのだろう。
しかし、そうやって保身的に生きる事こそが、人間的な生き方でもある。
常に、社会的で常識的なマニュアル通りに生きられる人間なんているのだろうか?
彼は次第に、自らの価値観に疲れ始めて、信念を疑い始める。
自己を鍛え上げる為の努力は惜しまない。
間違った事はしたくない、常に正しい存在でありたいと考えていたはずなのに。
自らの思い描く通りのルートを歩んでいたはずが、ちょっとした不幸が重なって、ガラガラとあらゆるものが崩れていく。
意固地に生きてきたからこそ、物事の変化に対する柔軟性がなく、ちょっとでも理想から外れると全てを投げ出してしまう。
彼にとっての価値観とは「◯◯だから◯◯であるべき」という思考は、0か100かであり、その中間で世の中の大半が、形成されている現実を受け入れられない。
その自らの行動指針が空虚なものだと感じてしまった。
そこから、人間味がなく機械的だった陽介が一気に人間らしくなっていく。
爛れた性に溺れていき、大学生がやりがちな失敗に次々とひっかかり、完璧だったうわべだけのハリボテが崩れていって。
行き着く先は、取るに足らなく、何の変哲もない、よくある大学生がやりがちな、犬も食わない破局へと落ち着いた。
陽介は自らの存在はぼんやりと認識しているのに対して、法律や常識、道徳といったものははっきりと輪郭を持って存在している。
自らの意志や欲望も当然にあるにはあるのだが。 ほとんどは、社会的に肯定されて、認められている規範をなぞるように従うだけで。
本当は自分に対して、絶対的な価値観も信念も持ち合わせていない。
登場する二人の女性も、膝という友人もどことなく掴みどころがなくて、昨今の登場人物の心境やキャラクターの魅力を深掘りするような手法とは赴きが異なる。
だから、登場人物に共感しづらいし、全体的にふわふわと地に足ついた作品ではないが、陽介は絶えず何かに対してずっと我慢をしていて。
その目に見えないものに、鬱々とした静かな怒りを募らせているのが、ひしひしと感じられた。
ルールや規範は守るべきだし、それを蔑ろに生きた果てに待っているのは、目を伏せたくなるような当たり前の地獄であろうが。
その社会規範を自らの価値観にしてしまうと、本来との自分の性格にギャップが生まれて、その違いに苦しむ羽目になる。
理想とは、こうなりたいという願望であり、それが分かっていても出来ない事こそが人間という生き物である。
そして、この世界に絶対的な価値観などない。
法律もルールも時代と共に移り変わる。
だからこそ、合理的に生きていると、彼のように物事に対する柔軟性が失われる。
本来は何かをすべきではなく、こうしたいという自らの感情を優先するべきだったのだろう。
陽介は完璧な超人として描かれていたが、曖昧なグレーな結論を許せない不器用な人間だったのだ。
だからこそ、感情と行動の落差が極端であり、理性と本能のバランスをとって、大半の人間が営んでいる現実社会が、彼にとって生きづらくなっていたのだ。
そんな風に上手に生きられないからこそ、自分のマイルールに縛られて生きる事こそが、彼の精神を安定させる唯一の方法であった。
同じ事を毎日、同じように繰り返す事が、彼の心を癒していた。
しかし、ラストはそんなマイルールさえも曖昧なものになって、彼の輝かしいキャンパスライフは見るも無惨に破滅した。
綺麗事ばかりを人生に飾っても、そうは出来ない自分がいるから、ストレスが溜まるし、疲れてしまう。
人は理想がなければ生きられないが、理想だけに縛られて生きる事も、やはり出来ないのだ。
ラストは落ちぶれてしまった陽介が、犯罪を犯して、警察官に手鎖を嵌められて、パトカーに連れ込まれる場面で幕を閉じる。
公務員という夢を棒に振ってしまったというのに。
連行される際に、なぜか陽介はニヤッと笑った。
それは、ようやく自分で自分を苦しめていた、マイルールから解放される安堵から来るものだったのだろうか。
少々、特異な描かれ方をされているが、こういった
感情は、噛み砕いて考察していけば、誰にでも当てはまるような大衆的なよくある感情だった。