22歳大学生「完璧な人間なんていない」
この世に完璧な人間なんて1人もいない
その通り過ぎる言葉だ。ミスなんて誰でもする、ミスを過剰に背負い込む必要はないなど自己肯定感を下げないために言う言葉ではないだろうか。言われたこともあるし、言ったこともある。
今日はこの言葉を再度解釈する。
完璧なんて無理
年始に宣言した目標の通り、オンライン英会話は毎日行っている(1日だけChatGPTとの英会話になった)。Noteは毎日投稿している。完璧にできていると言えば、そうかもしれない。
生活を振り返るとどうだろうか。スマホを見て、ダラダラしたこともあった。何となくYouTubeを見てしまったこともあった。完璧ではなかった。やろうとは思っても完璧は無理だ。人間って難しい。
最低限ここだけは譲らないぞというところは守れている。
完璧を求めて苦しくなるよりも、調子が良い日も悪い日も、すべて受け入れながら進める方が、心の余裕も生まれる気がする。
なんて、甘いことを認められないのが私。本当に、厄介で面倒な人間ですわ。もっともっと完璧にしたい。英単語を習得し、英語を読む習慣を確立させて多読、常に世界の状況を注視して自分の意見を持つ、会社以外の収入源を昨年以上に安定したものにする…やりたいことは尽きない。
完璧からの脱却
完璧になりたいけど、完璧にはなれない。年始から約2週間でこんなに完璧でいられないのだから無理だ。そっちの星の人間ではない。
「じゃあ好きなことは無意識に続けられるかも」って考えてみたこともある。間違ってはいない、むしろ理想的、ただ再現性がない。
ここまでの人生を振り返った時、そんな夢みたいな時間はそう多くも長くもなかった。塾に通い始めて1年は本当に親が止めるまで勉強したが、気づけばまっさらなプリントの山。野球を始めてすぐは帰ってから日が暮れるまでバットを振ったけど、気づけばその習慣は消滅。
好きなことならと言うが、我を忘れて没頭できるかなんてやってみないとわからない。軌道に乗るまでは時間がかかる、その割にその火はそう長く続かない。なので、この理論も実現不可能なタイプの人間。嗚呼、厄介な人間だ。
そもそも、完璧とは100%できていること、やっていることだと私は解釈している。1回でもミスをしたらダメ、これってあまりにもタフすぎないか。そういえばテストで100点を取った喜びと99点だった悔しさが釣り合ってなかったし、完璧を求めることも完璧だと感じることも最初から無謀なことだったのかもしれない。
できたかできていないか、やったかやっていないかで考えるから完璧かどうかという判断基準が生まれる。もう、この判断基準から降りる。逃げる。
完璧主義辞めますなんてスケールじゃない、完璧を自分の脳内の辞書から消す。
「やるやらない」から「するしない」へ
代替案を考えた。「やるやらない」を「するしない」に言い換えるというものだ。
例えば、食事は「する」もの、トイレは「行く」もの、シャワーは「浴びる」もの。ここにやるやらないのような達成か未達かの概念はない。
「よし、食事をやるぞ!」「絶対にこの後、トイレに行ってやるぞ!」「頑張ってシャワーを浴びてやるぞ!」と気合いが入る動作でもない。習慣とかそんなものでもなく「当たり前すぎて今更何を?」レベルのものだ。
やるやらないで「やらない」を選ぶことはあっても、するしないで「しない」を選ぶことはそう多くない。基本的には私たちの生活は~~するでできている。「電車に乗る」「仕事に行く」「大学に行く」と言う。誰も「バスに乗らない」「家に籠らない」「通勤通学をサボらない」なんて日本語は使わない。
これを私の生活に組み込めばいいのではないか。Noteを投稿する、オンライン英会話をする、ジムでトレーニングをする、社会人5年目までに海外で仕事をする、会社以外からも安定した収入を得る。やって当然だよね?食事や排泄と一緒だよね?やらないのは変だよね?の状態にしてしまえばいい。
「しない」をしてしまうことを悪と捉える
するしないで「しない」を選ぶことはそう多くない。と書いたが、市内を選ぶことだって当然ある。「違法な薬物をしない」「危険な運転をしない」「人に危害を加えない」、このNoteを読んでいる皆さんはもちろん多くの人間にとっての至極真っ当なことだ。
この「しない」をしてしまうことは悪、した人は悪人と呼ばれる。ここに今ついついしてしまっていることを追加していけばいい。「SNSを目的なくダラダラ見ること」「YouTubeなどを特に声も出さずに見ること*」「タスクを処理するために100%の力を出し切れないこと」、これらは悪だ。ダメだ。
更生プログラム
悪人、特に薬物や依存症に陥ってしまった人がすぐに改善してくださいと求められることはない。日本でも海外でも一定期間の更生プログラムが課せられる。私たちはふさわしくない状態からすぐに改善をしたがるが、本来この間に更生プログラムを挟む必要があるのだ。
自分もこうして無意味に時間を使っている状態からの更生を図り、改善へと持っていく必要がある。スマホで何を見ているか、なぜ見てしまうのか、どこに原因があるのか、こうしたことを自分に問い続けていく。
例えば、スマホでの時間の浪費を例にとると
Q. スマホで何を見ているか
A. インスタ・Xのショート動画
Q. なぜ見てしまうのか
A. 意識がなく、気づいたらハマっている
Q. どこに原因があるのか
A. ワンクリックで楽に開けてしまうこと
Q. どう改善するのか
A. インスタやXはスクロールのできないパソコンで閲覧・検索する
パソコン上から投稿できる仕組みを作る
こうして、どう改善に向けて行動するかを考えていくことで更生につながり、その先の改善も見えてくる。
私は変かもしれないが、「スマホを見るときは独り言で何をするか、何を見て、何を感じているかをぶつぶつ実況すること」「動画を見るときは声を出して笑うか、泣くか、感動するもの以外は見ない、1つの動画ごとにそれを確認する」マイルールと課した。
長くなったがやるやらないではなく、するしない。これを心に留めておくだけでも効果はあると思う。
今年の目標に入れ忘れていた理想の自分像だが「人間らしさを無くす」としている。これはストレス発散を仕組みにのっとって行ったり、自己研鑽を無意識に・自動的にできている状態を指す。人間は不安定だから、もっとシステマチックに。システムは基本ミスをしない。
そして、ロボやAIにやらないという選択肢がないから。オーナーの指示には必ず従う、拒否しない、サボらない。言うなれば「完璧」
超高性能AI「自分」、スーパーコンピュータ「自分」、全自動生活ロボット「自分」を目指す1年にする。
では。